31.信じる?信じない?(2)
その晩、暁は1時間も門限を破った。一瞬気まずそうな顔をしたものの、響の説教を仏頂面で聞き流し反省の態度は見られなかった。
「理由は何?今まで友達との話しに夢中だった、とか色々あったじゃない」
「特にない」
「じゃあ私も許せないからね。今月は6時に帰ってきなさい」
「えっ!そんなの無理だよ」
「どうして?学校は4時に終わるでしょ」
「……。守れないから!そんな門限」
そう言って暁は部屋に駆け込んでしまった。こんなことは初めてだ。夕飯も友達と食べた、とその日は顔を出さなかった。
「どうしちゃったんだろ…」
「反抗期だろ」
思い当たる節がないか考えている横で、恵が冷たく言い切る。
「そうなのかなぁ。でも今朝は普通だったのに」
「あ、ねぇ響ちゃん。暁が私にお金貸してくれって言ってきたの」
慧が思い出したように言う。
「いつ?」
「昨日。友達の誕生日プレゼントにとか言って、3000円貸したよ」
3000円は暁の一月分のおこづかいだ。響は眉をしかめ、今朝の問答を思い出す。既にそのときには慧から借りていたなんて、急ぎの用もなかったくせにおかしい。
「ごめん、慧。私が立て替えとくよ」
「別にそれはいいんだけど」
何でも話せとは思っていないが、何か隠されているようで響は寂しくなった。恵の言う通り、成長の証なのだろうか。
赤ん坊の頃から可愛がっていただけに、暁の反抗はとても辛く感じその日はあまり寝られなかった。
翌日の学校で、響はよく知らない同級生から囲まれていた。
「天谷さん、いつの間にそんなことしてたの!?」
「どうやって緒方クン落としたの?」
「高田さんにコドモできてたらどうすんの!?」
キラキラした目で、顔におもちゃを見つけたと書いてある。まぁ恐ろしいのは、げに女の噂話である。
どこからそうなったのか分からないが、廊下の一件を聞いていたらしい野次馬が火種を飛ばし、響は緒方・麻由カップルを引き裂いた悪女になっていた。妊娠沙汰は教師の耳にも入ったらしく、当の緒方たちは指導室に呼ばれている。
「私、たまたま通りがかっただけなんだけど」
「うっそぉ!高田さんが『天谷さんとどっちを愛してるの』て叫んだらしいじゃん」
「きゃー修羅場ー」
…否定するのもバカバカしかった。けれども、面白半分に流していけない話しもある。
「本人たちが一番大変だし、そっとしておいてあげてよ」
すると高笑いがピタッと止まり、各々目配せして離れてく。
「何あれ、偉そうに」
「どーせ遊ばれたくせにね」
隠す気のない悪意の声。
「響、気にすんな」
後ろで珠美の低い声が聞こえる。思わず吹き出し、親友の怒りを鎮める。
「大丈夫だよ、珠ちゃん。本当にたまたま通りがかっただけなんだ。災難、災難」
「塩まくか、塩」
珠美が腕まくりしたとき、緒方が教室に現れた。野次馬たちが次々と群がっていく。響と珠美はその喧騒から離れて見ていた。周りから詰め寄られても緒方は慌てる様子もなく、両手を上げ微笑んだ。
「みんなが心配してるようなことはないよ。でも詳しくはヒミツ」
人差し指を唇にあてる姿はいつもの緒方で、響は安心した。
しかし、人の噂も75日と言うだけあってまだまだ話しのネタになるらしい。口を割らない本人たちを余所に、何故か響がターゲットになり視線や内緒話が絶えなかった。体育の授業なんて、どこからかボールを当てられたりもした。
珠美の怒りようは噴火寸前だったが、その威嚇のおかげで余計な被害も減ったと思う。心配する珠美を説得して一人帰ろうと下駄箱を覗くと、マンガのように嫌がらせのゴミが入れてあった。
すぐにゴミ箱に捨てる。これくらい、日々家庭のゴミをまとめる響には痛くも痒くもないのだ。
「アホらし」
後ろから吐息がかかった。振り向くと、隣りのクラスのフェロモン女子、小橋紗織がいた。
「女のヤッカミって面倒でしょ」
「はぁ」
「準もバカね。あんな噂流されて」
初めて話すと言うのに、紗織はくだけた様子で続ける。放心して立っていると、全身を舐め回すように見られた。
「…あなた、生理始まってる?」
とんでもないセリフに響は固まった。
「はい!?」
「やーだ、顔真っ赤。だって小学生みたいなんだもん」
「おっ同い年です!」
「知ってるわよ!私なんて早生まれだからまだ16よ!」
心外だと噛み付くように返された。大人っぽく見られるのも考えものらしい。確かに紗織は制服が似合わないほどに落ち着いた顔をしていた。
「でも、泣いたりしないんだ。高田の方がコドモだわ」
同い年なはずなのに随分偉そうだ。
「縋るだけ惨めって分かってないんだもの。準程度の男に未練たらたらなんてバカらしい」
紗織は切れ長の目を細めて、ニッコリと微笑んだ。
「だって事情があるんですよ。取り乱して当然でしょう」
「アンタ、あんな狂言信じるの」
「狂言ってそんな」
「驚いた。どっちがバカなんだか」
「信じることってそんなにバカですか?」
紗織は目を丸くして、響を凝視した。その顔に嫌悪の文字はない。
「さぁ?バカを見ることの方が多いと思うけどね」
綺麗にカールされた飴色の髪をくるくるいじりながら、紗織は笑った。
帰宅すると、暁の革靴があった。ちゃんと約束を守ってくれたんだと、急いでリビング行くと暁の姿はなく、変わりに一枚のメモがあった。
『ちゃんと帰ってきたよ!これからモエの家に泊まりにいきます アキラ』
響はため息をついて、暁のカバンから弁当箱を取りに行く。慧と仕切りで分けている二人の部屋は、狭いながら良く飾りつけられ暁らしい派手な空間になっている。
無造作に置かれていた鞄から弁当箱を取り出すと、一緒にポトンと何かが落ちた。
キラキラして、暁が好みそうな―値札がついたままのネックレスだった。
響は暫くそれを見つめていた。間違いなく、暁は何かを隠している。
―『信じるの?』
緒方の無機質な声が頭に鳴った。
―『バカを見ることの方が多いかもね』
紗織の声もよみがえる。
響は鈍い光をもつアクセサリーを固く握り締め、頷いた。
私は、信じる。