25.だがしかし彼女はいた
次の日、家の前にマナミがいた。
「ぎゃっ」
途中帰宅が一緒になった暁が悲鳴をあげて響の後ろに隠れる。
「マナミさん!どうしたの」
響は感動しながら駆け寄った。昨日のあの異常な弟を見てもまだ、好いてくれていたのかもしれない。
「こんにちは。突然すみません」
マナミは固い表情でこちらを向いた。手にはたくさんの荷物がある。
「恵に用ですか?まだ帰ってないけど、上がっていきませんか?」
響は必死に懇願した。こんなに気高く美しい女性で、しかもあの醜態を見ても屈しない人なんて今後絶対いないだろう。そう思うとこのチャンスは逃せなかった。
「よろしいんですか?」
「やだっ!響ちゃん何言ってんの?」
暁が小声で猛反発しているが、聞こえないフリだ。
「今日、学校は早く終わったんです。ただ恵くんは残ってるので、遅いと思います」
「あらー、また補習か説教ですか」
「いいえ、その逆です」
「「はい?」」
暁と二人で聞き返した。
「恵くんは、交換留学の説明会に出席しています」
響は口と目を開けるだけ開けた。
忘れがちだが、恵は勉強だけはできる。この前の弁論大会で見事1位を獲得したり、その他にも色々表彰されているらしく、国際教育機関から指名が入ったそうだ。
明晃学園は、交換留学制度を積極的に設け、ある水準に達すれば希望者にもすすめているらしい。機械のように淡々とマナミは話した。
「すっごー。あのメグ兄が」
暁が放心しながら言った。
「恵くんは国を背負える天才ですわ。ご存じないの?」
キッと暁を睨む。
「知るかよ、魔女」
「魔っ…!?」
「あーきーらー」
たしなめると、ふん!と鼻を鳴らして部屋に上がってしまった。よっぽどマナミと折り合いが悪いらしい。
「すみません、反抗期なんです」
「随分派手な妹さんでらっしゃるんですね」
「今の流行りみたいですよ」
マナミの皮肉はさらりと流した。暁が外見で誤解されるのはよくある。それでも暁がそうしたいと言うのだから、響は寛容に見ていた。
「留学の話し…お姉様はご存じでない?」
「はい。今初めて知りました」
「どう、お考えですか?」
艶のある漆黒の瞳が、響を食い入るように見つめた。
「どうって…。恵の好きに」
「名誉なことじゃありません!?」
「どわっっ」
更に顔を近付けられ、響は椅子から転げるのを耐えた。
「そ、そうですねぇ。恵は昔っから勉強だけ好きで。それがやりたいことなら応援しますよ」
その答えに満足したのか、マナミは姿勢を正してから、眉をしかめた。
「そうですよね。でも彼は行かないと即答したんです」
マナミは不治の病を告知されたような悲痛な表情を浮かべた。
「ああ、そうなんだ」
「これは!ただの語学留学じゃなく、日本の学生代表としてアメリカと知能を提供しあうんですよ!勉強だけじゃなく生まれ持った柔軟な発想力もなければ叶いません」
力強い語りかけに、響はさすが進学校の人は口調が違うと感心した。
「私、日本人の血筋ながら、フランスで生まれヨーロッパを転々としました。5か国語は話せますし、知能にも自信があります。でも、恵の前ではただのヒト。あんな人は初めて見たんです」
「…マナミさん、恵の良い所たくさん見つけてくれたんですね。ありがとうございます」
ここまで他人のことに一生懸命になれるなんて、よほどのことだ。響は恵の才能云々より、大事に思ってくれる人がいることが嬉しかった。
「お、お礼を言われることじゃ…」
マナミはコホンとわざとらしく咳をして、目を見開いた。
「恵くん本人に理由を聞いたところ、お姉様のお料理以外口にしたくないって!私と勝負していただけませんか!?」
「ええっ」
―話しぶっ飛びすぎだろ!
「私だって多国籍料理は得意です。彼が認めれば、私も留学を志願して毎日作ります」
「いや、勝負しなくてもぜひ作ってあげてください」
「私にはなくてお姉様にあるもの!それを知りたいのです!」
さっきから大声で叫ばれ、響の頭はキーンと痛くなった。慧の変な人、と言う言葉が身に染みる。
泣く泣く響はエプロンを付けた。マナミは全て見越して材料やエプロンを持ってきていたらしい。秀才っていやだ…。
「そんな広いキッチンじゃないので、マナミさん先に作ってくれますか?」
「いいでしょう。私、碁石も黒が好きなんです」
自慢気に言われても響には何が何やら。次々帰宅する、慧や哉もマナミの姿にギョッとして小さくなっていた。
「またきたの、あの人」
「すっげー怖い顔で飯作ってるぞ」
「絶対毒入れてるってあの女。それかメグ兄のだけ髪の毛とか爪の垢いれてんだよ。恋のおまじないって」
「それいい〜」
暁の悪ふざけに慧が腹を抱えて笑う。
「群衆っ!静かになさい!」
マナミの怒号が舞う。
響は、先ほどから手際良く料理をするマナミを夢中になって見ていた。知らない調味料や野菜もあって、興味津津だ。
「何を作ってるんですか?」
「ソパ・デ・アホ、スペインのスープです」
「これは何?」
「アセルガ、日本で言うフダン草です。そっちはアーティチョーク」
「聞いたことあります」
「アセルガは生では食べられません。湯がいてからオリーブオイルとニンニクで…」
「美味しい〜」
「でしょ?この茎のとこが美味しいんですよ。それなのにスペイン人ったら食べなくって」
「ニンジンの皮みたいなもの?」
「ニンジンって皮食べられるんですか!」
「うん、うちは専らキンピラに」
目を輝かせるマナミと響はすっかり意気投合して、料理についての知恵袋を出し合った。さっきの喧騒どこへやら、である。
「恵は甘い物だけ苦手でさ、ニンジンのグラッセもオエオエ言うのよ」
「えーっ!お肉のあとのお口直しですよね」
「ほんとよ。サツマイモご飯もダメだね。甘いものは飯じゃないって」
「とんだお坊ちゃまですね」
「…何してんの」
眉を顰めた恵が帰っていた。
「お帰り」
「今日は私がお夕飯作ったの」
「…他人の作った飯なんて食えるかよ」
聞き捨てならない暴言に、響は拳を振った。
「ちょっと恵!マナミさんはわざわざ恵のこと心配して来てくれたんだよ!いつも料理なんて待ってれば出てくるって思ってるんだろうけど、時間も手間たくさんかかってるの!それを食べないって、恵はそんなこと言えるのね?」
「…ごめん成田。悪かった」
「…!は、初めて謝られました」
「俺、いつもそんなこと思ってないよ?響ちゃんがちゃんと愛情注いでくれてるって分かってる」
「そう。じゃ、マナミさんのご飯も食べるね」
「はい」
しゅん、とうなだれる恵を見て、よしと頷くと、マナミが惚れ惚れと――――響を見ていた。
「響さんっ!すごいわ!俺サマの恵がいとも簡単に…」
頬を紅潮させて可愛いのだが、何か様子がおかしい。
「こんな女性初めて見ました!」
感きわまったように、マナミは響に抱き付いた。
「えっ?」
「ばっ!おい、離れろっ!バカコラ」
「響さん、小さくて可愛い」
「やめろよ!潰れるだろ」
「潰さないわ。あっ響さん、髪の毛サラサラね」
「やめろォーーー!」
…………あれ?