22.ティーパーティー
翌日の学校はざわざわと落ち着かない感じがした。不思議に思って耳をすますと、
「緒方くんがー」
「うっそ!マジで」
と囁き合い、何と響に視線を向けてくる。もしかして昨日のギャル達に言われた『手を繋いでいたらしい事件』のことだろうか?
まぁ相手が校内一有名な男子なので仕方のないことかもしれないが、どう見ても事故だし、何も自分に限ったことではない。緒方が誰かと手を繋ぐぐらい珍しくないのに、何で自分だけとちょっと不満に思った。
「響ーおはよ…」
疲れ切った珠美に響は驚いた。
「たっ珠ちゃん!どうしたの、その顔」
「あ、いいの。これはね、妄想に押しつぶされて眠れなかっただけ」
「も、妄想?」
「いいのよ、響。もう考えないことにしたの」
「そう?眠れなくなったら言ってね。私、生姜湯持ってたげるから」
「大体ね、他人が関与するってのがおかしかったのよ。―私はもう無になる」
「珠ちゃん!?」
意味不明なことを言って、珠美は机に突っ伏して寝息を立て始めた。…寝たようだ。何か不安なことでもあるのだろうか、顔色の悪い親友を見て、出来ることなら何でも力になろうと決意した。
そうだ、今日の昼休み泉の元に珠美も連れて行こう。美味しいおやつを食べれば元気になってくれるかもしれない。響はわくわくして珠美の短い髪の毛を梳いた。
「天谷さん、ちょっと」
2限目の現国、泉の授業が終わると彼から呼びかけられた。心配してくれてるのだろう、皆が一斉にギョッとして響を見てくる。
―大丈夫よ、みんな。私はもう先生を克服したの。
そう心で返し、力強く足を踏み出す。
「昨日の件ですが、お昼休みでも構いませんか?」
「はいっ!先生、由良さんも一緒でも良いでしょうか」
「ええ、いいですよ」
ぱぁっと輝いた目で喜ぶと、泉もまた微笑み返してくれる。その奇妙奇天烈な様子にクラスは更に固まった。
「天谷さんっ!どうゆうこと!」
泉と別れた途端、クラスメイトの西澤さんに肩を掴まれた。
「泉サマに何を、言上していたの?」
ねぇねぇと答える隙もなく体を前後に揺すられる。
「ごっ…?!」
確か天皇に使う言葉じゃなかっただろうか。何とも使い方を間違えているが、きっと西澤さんも泉の恐ろしさに怯えているのだろう。そう思うと、つい先日までの自分と重なり同志の情が沸いた。
「西澤さん、大丈夫だよ。私も最初は本当に怖かったけど、あんなの嘘だよ」
もちろん七不思議のことだ。
「3日経っても死ななかったもん。先生はちゃんとした人間だったよ」
響なりの笑顔で安心させ、トイレに向かった。
「―あの子には本当に悪気はないの。文字通り受け取ってあげてくれる?」
その間ぽかんと口を開け放心する西澤さんに、珠美はフォローした。
「死…?人間…?」
幸いなことに、彼女は響の言葉を理解するのに精一杯で、反感を買うようなことはなかった。
「天谷ちゃん、おはよ」
トイレを済ませ教室に戻ろうとすると、緒方に声をかけられた。
その右頬は赤く腫れていた。
「どうしたのっ?その顔…」
「はは、2限サボって片付けてきた、結果がコレ」
「2限?今出てなかったの?」
響は瞬きした。緒方の姿…あっただろうか、なかっただろうか。全然記憶にない。
緒方は唇を引き攣らせながら固く笑ったが、すぐ痛みに顔を歪めた。
「イテテ、笑うとキツイ」
「サボってまで、どんな掃除押し付けられたの?酷い。先生に言ってきてあげるよ」
泉の元に抗議しようとして、腕を引かれた。
「あのね、掃除の片付けじゃなくて。女」
「女?」
「今まで…遊んできてた女の子達にお別れを言ってきた」
美しい顔が腫れ、とても痛々しかったが、それでも見惚れる容姿の緒方は、響を真っ直ぐ見つめてきた。
「これで、俺もスタート地点に立てた」
フッと笑って少し力を抜いた緒方に、響は不思議な気持ちでいっぱいだった。
…例えて言うなら、すごく嬉しい名誉な称号を返上するような、そんな人を目の前にした気持ち。
「そっかー…。良く分かんないけど、良かったのかな?」
清々しい表情の緒方を見て、響は言った。
「だけど勿体ないね。たくさんの女の子と遊ぶ緒方くん、私の憧れだったんだけど」
思い切って言って、照れ隠しに頭を掻く。まぁ、響の意見なんて緒方には余計なお世話なのだが。苦笑しながら見上げると、彼は能面のような凍りついた顔になっていた。
「…え?なんて?」
痛みに耐えているのか、唇を震わしながら、か細い声の緒方に響は同情心が更に沸いた。
「ほら緒方くん、いつもたくさんの女の子から人気あったでしょ?すごいなっていつも思ってたの」
「…………俺、保健室行ってくる」
今にも倒れそうな声で、緒方は背を向けて行ってしまった。
待ちわびた昼休み、未だ青ざめた珠美を引きずって泉との約束場所へ向かう。
「一応聞いとくけど、いつ先生とそんな仲になったの?」
「おやつの件はさっき言ったでしょ。今回は特別で、あの高級ハチミツが食べたくてお願いしたの。ていうかね、私一回お母さんのお土産で、こーんな小さいビンの食べたことあるの。そっしたらもう、重厚感はあるわ滑らかだわ、スッと消えるようで後に残る香りが…」
「ハチミツはもうよろしい!!」
怒鳴り散らす珠美に肩を竦める。
「なによう、珠ちゃんも食べたら絶対ハマるくせに…」
「あ?何か言った?この口か?ん?二人きりで会うのはこれが初めてでいいの?」
矢継ぎ早に問いただされ、響は懸命に頭をフル回転した。
「試食はそうだよ。あと一回偶然、恵の弁論大会で会ったことある」
「はい?なんじゃそら」
「いや、本当偶然ね。先生の母校が恵と一緒で、審査員だったんだよ」
「へぇ、やっぱりエリートだったんだ」
と言うか、変人の巣窟か?あそこは。
資料室には優雅にパイプ椅子に腰かける、泉と良い香りの紅茶が用意されていた。
「どうぞ、天谷さん由良さん」
「先生、お待たせしました!」
「あれ、これ文化祭のと違うの?」
随分形が整っているスコーンを見て、珠美は驚いた。
「うん、せっかくだと思って本格的に薄力粉使った。あと先生…少しですがクロテッドクリームです」
「こ、これ作ったのですか?」
「ちょっと時間かかりましたけど」
「マスカルポーネを入れるんですよね」
「そう!良くご存じですね。生クリームにお塩とお砂糖混ぜればー」
和気あいあいと料理について花を咲かせる二人に、珠美は鋭く言った。
「響!先生!食べません!?」
「「あ、そうだった」」
表情を崩さないと名高い『孤高の王』と呼ばれている泉。西澤さんのように隠れたファンはたくさんいる。知らないのは響くらいだ。(美しくて)目が合うと骨抜きになる、(美しくて)微笑みを見た者は魂を抜かれる。これらの噂をカッコ抜きで文字通り解釈してたのは響だけ。…響が悪い。
それにしても、火事になっても眉一つ動かさないと言われていたこの男は随分柔和な物腰になったではないか。
深読みするまい、と珠美は美味しい紅茶とスコーン、ハチミツを黙々と口に運んだ。