21.意外なグルメ通
納得したんだかしてないんだか、緒方と那須はあれこれ話し合い、呼び出しを受けた響は置いてけぼりだった。
授業が終わり、いざ帰宅と準備をする。今朝は不穏な空気のまま出かけてしまった。弟妹たちのわだかまりは早く解いておきたかった。
「天谷ちゃん、俺も帰る」
緒方が追いかけてきた。
「あれ?部活はいいの?」
そう聞くと苦い顔をする。
「緒方…今日は私も話しがある」
恐ろしい声で珠美が緒方の首を掴んだ。
「もう部活はサボらないんだよな?」
ドスの効いた迫力ある声の珠美に、響も賛同した。
「そっか、部活頑張って!緒方くん」
「くそー…やりにくい」
緒方はがっくり肩を落として、珠美に連れていかれた。
「…天谷さん?ちょっといいかなぁ」
下駄箱に行くと、派手な集団に声をかけられた。こんなことは初めてだ。驚いて顔を見ると、以前緒方と話していたミホと呼ばれていたギャル達だった。
「何でしょう」
「ここじゃなんだから、ついてきて」
用件が読めないので、言われるままに着いて行く。茶髪は綺麗に巻かれ、耳にたくさんピアスがついていた。スカートも響の半分の丈しかないように見えるが、覗く足はほっそりとして綺麗だった。
―あれだけスタイルが良いから足が出せるんだ。
響は感心していた。
ミホと他3人の女子は、資料室と言う暗くて人気のない部屋に響を押しやった。ここは泉に作文を押し付けられた嫌な場所だ。恐ろしい笑顔を思い出し、響は体を固くした。
「天谷さんってェ、準の何?」
唐突に聞かれ、響は言葉を咀嚼するのに時間がかかった。聞き返したいが、丁寧に教えてくれなさそうな目付きをしている。
「同級生です」
「だよねー。じゃ何で朝、手ェ繋いでたの?」
「手?」
自分の手を見て朝を振り返った。
「あのさー、準が優しいからって」
「えっ!あれ手繋いでたのか」
「は?」
響は驚いた。朝は酷い剣幕で怒鳴られ引っ張られただけと思っていたが、そうか。確かに緒方の手と自分の手は触れ合ってた。
「そっかー。あの緒方くんと手…」
いつもなら涙ものだが、おかしい。あまりというか、全然嬉しくない。
「でも皆さんなんてもっとあるでしょ?」
響は尋ねた。名前を呼び捨てるほどフランクな仲なのだ。
「そっそりゃー手ぇぐらい」
「あたし、キスしたことあるー」
「はぁ!?」
「じゃ準の家行ったことある?」
「ちょっと何それ」
急に火がついたようにギャル達は言い合いを始めた。
それを響は遠巻きに見ている。ここにいるだけで4人、緒方の魅力に取り憑かれたように心酔している。すごいなぁと感心した。
「何をしているんですか」
ガラッと扉が開いた。
皆が一斉に口を噤む。それくらい容易いほどの威圧感を持つ、泉が立っていた。
「生徒は立ち入り禁止のはずですが、何か用ですか」
「やっ、別に…」
「何でもないでーす」
行こっとギャル達は逃げるように去って行ってしまって、響は一人残された。
「……あ、失礼します」
意識が戻り、すぐ響も退出しようとした。
「待ちなさい」
ぴしゃりと言われ、響の足は竦んだ。今日は怒られてばかり、何て厄日なんだ。
連れてこられたとは言え、勝手に部屋に入っていては響の分が悪い。物影に隠れるようにして、響は懇切丁寧に謝った。
「先生、申し訳ありません。悪気はなかったのです。もうしませんから許してください。後生ですから」
「そんなの分かってますよ」
思いがけぬ言葉に響は顔を上げた。
「どうせ彼女たちに連れてこられたんでしょう。弱い者苛めだと見て取れましたよ。大丈夫でしたか?」
弱い者って…。言い方に引っ掛かったが、泉が助けてくれたのと分かり、響は頭を下げた。
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
「貴女は…僕のことを王様か何かと勘違いしてませんか?」
響は目を剥いた。
「どっどうしてそれを…」
「あのね、僕は王でもないしそこまで卑屈にされるほど偉くありません。しがない教師です」
そう言いながら、泉はイスに腰掛けた。こ、これはまだ話すと言うことなのか…?響は自分を置いて逃げて行ったギャル達を恨んだ。
「しかし、教師であるからには一つ言っておかねばなりません」
「は、は、はい」
「君、僕にスコーンを試食させると言ったでしょう。約束は守ってください」
―何だって?
響は耳を疑った。
「楽しみにしていたんですよ。高級蜂蜜まで用意して…」
そうやって、泉は引き出しから小ビンを取り出した。
「こ、これって!ミラウェル社のアカシア蜂蜜ですか?」
響は我を忘れてそのビンに飛び付いた。この大きさで5000円はする値段も味も最高級の代物だ。現地の値段なので通販すると倍はかかる。響には夢の一品だった。
「お、良く知ってますね」
「どうしてこれを…」
「僕の好物です。と言ってもたまの贅沢ですが」
「うわぁ…羨ましいです」
涎が出そうだ。
「では、どうでしょう。君がスコーンを作ってくれたら一緒に食べませんか」
「いっいいんですか!!」
「今の時期しか取れない早摘みダージリンも用意しますよ」
「ぜひ!ぜひお願いします」
響は心から頭を下げた。
その様子に泉は満足そうに微笑んだ。その顔を見ても、響はもう怖くなかった。
ちょっと目付きが悪くて、ちょっと表情がなくて、ちょっと言い方がきつくて、ちょっと人間味のない…まぁちょっとにしては色々あるが―グルメな先生だった。
響はすっかり気分を良くし、家路についた。