2.日々の癒しは教室に
電車に乗る慧を駅まで見送って、響たちも学校に向かった。二人が通う高校は家から徒歩10分にある。言わずもがな、響の進学理由は『家に近いこと』だった。
「慧、単位とか大丈夫なのかな」
「俺明日からもう少し早くくるよ」
「そうしてそうして」
慎一の提案に響は頷いた。さすがに彼氏が来るなら早く起きてくるだろう。
「おはよー」
「響!あんたんとこ、米いる?米」
「米!?どんだけでも欲しい!」
教室に入るなり、親友の珠美の掛け声に響は目を輝かせた。
「どんだけって、そんなないわ…」
「キロ?俵?」
「ヒョウってなに!?」
珠美の顔が引きつっている。
「…ごめん、たったの10キロなんだ…足りなかったね」
「うそうそ、ありがとう!親友」
茫然と呟く珠美に、響は勢い良く抱き付いた。
珠美は父親の仕事柄、お中元やお歳暮が大量に届くらしい。ハムやらソウメンやら油やら…一人っ子の珠美には消化できずいつもご相伴に預かっていた。
「でも10キロよ?持って帰れる?」
「軽い軽い」
どうせ今日はスーパーとクリーニング屋に行く予定がある。愛車の手を借りれば10キロなんて余裕だった。
「10キロ余裕なの?天谷ちゃん力持ち〜」
「お、緒方くん」
ふいに声をかけられ、響は思わず赤面した。
「盗み聞きすんなよ」
「珠ちゃん怖っ」
そうおどけて、緒方は笑いながら離れた。するとすぐ違う女子に声をかけられ楽しそうに喋りだす。
緒方準はいつも誰かに囲まれて笑っている。同じテニスクラブの珠美には、軟派なだけだと口を酸っぱく言われるが、響はそんな緒方に憧れていた。
「どうしよ、緒方くんに怪力って思われた」
「事実じゃない」
「珠ちゃあん」
珠美の辛辣な言葉に響は泣き付く。
「なんで緒方なの?軽い男に響は似合わないよ」
「いや、そこまで好きとかじゃないって」
「はぁ?」
訳が分からないと珠美は首を傾げた。
「なんか…私、中学から家事ばっかじゃん。部活も遊びもできなくて、そんな枯れた自分の癒しなの」
「チャラ男が」
「チャラくても皆に好かれてるじゃん。あの青春を謳歌してる感じが羨ましい…」
「疲れてるのね、響」
疲れには甘い物がいいよ、と珠美はキャラメルをくれた。子ども扱いされてる気がしたが、有り難くいただく。家では弟妹の中心になり、一家を支えている響を唯一甘やかしてくれるのが珠美だった。
珠美は、嬉しそうに頬張る響と緒方を見比べた。確かに緒方は自分のためだけに時間を使っているように、身形も手を抜いていない。元々の顔立ちもあって下手なアイドルよりよっぽど見た目はいい。陽に照らされると金にも見える茶髪を緩くカールさせて、柔和な雰囲気と、人見知りしない性格で一人でいるときがないくらいだ。反対に、中学からの親友は途中で娯楽を置いてきてしまったというように、流行に疎くスーパーの情報やお金のやり繰りだけ異様に詳しい。
誰もが化粧や着飾ることに興味を持つこの時期に、そんな時間はないと黒髪をひっつめて結んでいる。せっかくの肌の白さも、やつれたすっぴんが青白く見せて、もったいないと思わないこともない。
しかし、下手に色気付いて緒方のような下衆に毒されては困る。
それは親友として意図することではないし、天谷家の弟、恵に監視してくれとうるさく言われている。なんだかんだ弟妹を悪く言わない響に、彼らも懐いているのだと思う。
しかしあの恵は大丈夫なのだろうか。ひょろひょろと背だけ高い秀才のシスコンぶりは年々痛さを増しているように思う。響が緒方に惚れているなんて知れたら間違いなく学校に乗り込んでくるだろう。何も知らずに、特売チラシをチェックする親友を不憫に思った。
「じゃあ買い物済ませたら貰いに行くね」
響は腕まくりをして言った。これからタイムセールなのだ。主食と言ってもいい肉はいくらあってもいい。響は意気込んでいた。
「お母さんに言っとくから遠慮なくもらってってね」
「ありがと珠ちゃん」
部活に行く珠美と別れて教室を出ようとすると、
「響」
慎一に呼び止められた。
「なに?」
「これ上手かったよ。サンキュー」
弁当箱を渡された。
「ああ、うん…荷物になるから洗って返してよね」
「え!?ごめん」
「うそうそ。明日お迎えよろしく」
冗談を言って笑い合った。
「なに?二人付き合ってんの?」
「おっお、お緒方くん!」
突然の緒方に、響は固まった。
「大緒方じゃねえよー。天谷ちゃんって面白い」
あのキラキラスマイルが目の前にある。珠美曰く安い笑顔らしいが、響は思わず見とれた。
「響、時間大丈夫?」
慎一の言葉でお花畑に飛んでいた頭がタイムセールに戻る。
「そうだ。4時になる」
「え?なに?」
「あ、お、緒方くん部活頑張ってね」
余計なお世話だっただろうか。附に落ちない顔をする緒方に挨拶をして、響は猛ダッシュで帰宅した。
今日はラッキーだ。接点のない緒方に2回も話し掛けられた。響はニヤける顔を叩きながら、風丸に跨がり颯爽とスーパーに向かった。
しかし残念ながらその顔は乙女ではなく、嬉々として戦場に赴く雄々しい武将のようだった。