17.それぞれの思惑
視点が色々変わります。
午後になり、ようやく店も落ち着いてきた。
「すいません、天谷先輩います?」
「天谷さん?あれ、どうだったけ。ちょっと待ってね、委員長ー」
「はぁい、何かしら…あっ!あなたいつも響ちゃんをお迎えにくる騎士ね!」
日常で絶対聞かない単語に動揺しないよう、緒方は小銭を必死に掴んで落とすのを耐えた。
緒方は休憩後、そのまま帰っても良かったのだが倒れるまでに尽力を注いだ響を見て、そんな気分にもならず教室に戻った。事情を知った委員長からは腕を使う配膳ではなくレジを任されることになった。
「ごちそーさま♪」
そうだ。今はこの女の会計中だった。
綺麗に髪を巻いて、同じように綺麗にカールした睫毛に囲まれた目で、緒方を見つめている。
「ありがとね、サオリちゃん」
意識せずとも出る得意の接客スマイルで返す。
「ね、準。今日この後遊ぼうよ」
上目づかいで見てくる瞳はうっすら潤んでいて、その誘いがどう言う意味か語っていた。
隣りのクラスのサオリとは何度か寝た。肉付きが良くて、あの爆弾委員長のほどの胸ではないが、のめり込むには十分な大きさで。
―「ナイト?ははっそうですね。俺、1年の那須って言います」
「あらご丁寧に、片桐舞子です」
「俺、響さんと約束してたんですけど調理室覗いてもいなくて」
遊んでる間とは言え夢中になった女より、緒方の耳は後方の面白くもない後輩と変人委員長のやり取りに向いていた。
…約束?
「ねぇ、準。聞いてるの?」
鼻にかかった甘い声が不機嫌になる。
「ごめんね、えっと今日、何だっけ?」
―「まー!響ちゃんたら後夜祭の人決めてたのねー」
聞き捨てならなかった。後夜祭とは、暗に恋人同士が楽しむ恋愛イベントである。
―「ははは」
耳障りな笑い声だ。
「準?大丈夫?腕痛い?」
「あーごめん、今日無理」
「えーつまんなーい」
「ごめん、サオリちゃん。俺もう無理」
「…何が?」
聞き返すサオリの声驚くほど冷たかった。
―「そんで響さんは…」
「ああ、ごめんなさい。響ちゃん早退したのよ」
「えっ?」
「ほら、ずっと寝不足だったでしょ。彼女には準備で随分頑張ってもらったし、弟さんが連れて帰ってくれたの」
「弟…」
「彼がいるなら那須くんにお願いすれば良かったわね」
「いや、分かりました。ありがとうございます」
「ねぇ準、どういうコト?サオリに飽きたの?」
「あーいや…」
―「俺、見舞い行ってきます」
「じゃあ何?」
―「響ちゃんにお疲れさまって伝えてくれる?」
「ねぇ準」
―ああうるせぇ!
「!」
ビクッとサオリの目が見開いた。やばい、口に出した?
クラスの皆もこちらに注目している。そうだ、何をしても俺は人の視線を浴びている。それなら言うことは一つだ。
「もう飽きた。ごめん」
わざと皆に聞こえるように言って緒方は教室を駆け出した。
「おい、一年」
前を急ぐ自分よりでかい後輩に聞く。
「お前、付き合ってなんかねぇだろ」
「え?あー、まぁそうですけど」
不躾だったが、後輩は答えながら緒方の意図を組んだのかスッと真顔になった。
「…緒方先輩に関係あります?モテ男っつーのはクラスの女子全員まで気にするんですか」
「うるせぇ。全員にするか」
言ってしまうと、気分がスッとした。
「響さんからかってんなら辞めてください。先輩なら選び放題でしょ」
「天谷ちゃんに用があるから俺も行く」
響さん、響さん、うるせえな。
「はぁ?何の?」
「関係ないだろ。俺と一緒に保健室いたんだ」
「どういうことっすか」
おくびもなく飄々とした後輩の顔に不快の表情が走った。それを見た緒方は初めて優越感を覚え、いつもの笑みを浮かべられた。
「行きがてら説明するから、案内しろよ」
緒方のキラキラスマイルは男女に有効のようだ。那須は胡散臭そうな目で見てきたが、諦めたのかそのまま足を進めた。
夕暮れ時の天谷家の玄関では、恵を筆頭に兄弟全員がスタンバっていた。
緊急時にくる珠美のメールからすると、そろそろなのだ。いつかこういう日がくるとは思っていたが、いよいよ姉に骨抜きになった輩と対面できる。姉から信頼の厚い哉の協力もあり、恋のイベントを徹底的に阻止する。どんな小さいことでも塵も積もれば…だ。当然うるさい妹たちには言っていない。
カーテンからそっと覗くと住宅街の一本道に二つの影が見えてきた。真っ直ぐ家の前までやってくる。
―ピンポーン!
憎らしいくらい迷いもなくインターホンを押しやがった。
「二人…?あ、やっぱあいつだ」
相手は気付いていなかったが、保健室で惚けたように響を見つめていた男は、以前クリーニング屋の前でよからぬ感じで声をかけていた奴だった。IQ180の記憶力舐めんな。その頃から恵の危険信号は鳴っていた。こちらの直感も舐めんなと口を大にして言いたい。
でももう一人の方は見たことがない。珠美の話と違うぞと訝しんでいると、隣の哉が驚いたように呟いた。
「メグ兄、俺あっちの野郎知ってるぞ」
二人で顔を見合わせる。非常に気に食わないが、それも今の内だ。悪い芽は早い内に摘めと言うし、何事も早々に除去しておかなければ。闘争心に燃えていると後ろで平和な妹たちがキャッキャ騒ぐ。
「うそうそ、二人?やだー響ちゃんたらモテモテ」
「ちょっ右の人カッコいいんですけど!」
「左の人は背高いねぇ」
「メグ兄と張るんじゃない」
「でもほら、恵ちゃんはモヤシだから」
「女子軍うるさいよ!黙って!」
―ピンポーン!
「ほら呼んでるし、出ちゃお出ちゃお」
「ちょお待て!暁っ」
好奇心旺盛の妹は計画を丸投げして、己の欲だけのためにドアを開けてしまった。
「はいっ!どちら様ですか?」
勢い良く出てきたのは、響をケバくして金髪にしたような女で、その迫力に緒方達は一歩あとずさった。
「…おい、何で退くンだよ」
口の悪さも見た目に合っている。
「えっと、響さんと同じクラスの緒方って言いますが」
「俺、那須です。倒れたって聞いて見舞いきました」
「お見舞い?」
ガンを飛ばしてた瞳がきょとんとする。そうした顔の方が可愛らしく見えた。
「どんな様子ですか?」
事情を知らない那須は心配そうな顔で聞く。
「どんなって爆睡してるよ?」
質問に質問で返される。
「爆睡…」
緒方は容易に想像できたが、那須はその姿を知らない。脱力したように呟いていたので放っておく。
「まだ起きない?」
「うん。メグ兄が運んでから一度も」
貪欲な睡魔だな。
「おいっ余計なこと言うな!」
ニセ響の後ろからヌッと人影が浮かんで、拳骨が飛んだ。
「いったぁ!何?」
「彼女から会うつもりはないと言われました。お引き取りください」
嫌味たっぷりにスラスラ言う男はやはり身内だったのか、保健室から運んだ野郎だった。
「今寝てるって…」
那須がボソっと突っ込む。
「えー?響ちゃん起こせば?」
「黙れバケモノ」
強烈な言い草に、みるみる綺麗に塗られた小麦色の肌が真っ赤になった。
「~~死ねっ!クソ兄貴!」
ケバイ女は兄貴の足を思い切り踏んで、家に入って行った。潤んだ目からは涙がこぼれ落ちそうで、口で負けた悔しさが滲み出ていた。
「あのー、大丈夫なんすか?」
呆気に取られていた那須が確認する。
「ご心配なく」
身も蓋もない言い方で、そのまま男はぴしゃりとドアを閉めた。
「何だありゃ…」
取り残された男二人。
玄関では恵と哉がガッツポーズを取り、慧は暁が悔し泣きをするのをのんびり慰めていた。
いつもと変わらず騒がしい天谷家であったが、響はその日丸一日熟睡していた。