小話:いきすぎた?家族愛
恵視点です。
物心つくのが3歳だとすれば、そのとき既に俺には単語の羅列を喋り出した妹と、やっと立てるようになった弟、さらに母の腹にもう一人いた。傍にいるのは母でなく姉だった。
当然俺は姉の後を追い、姉がすることは何でも真似をした。
幼稚園に入った頃、響ちゃんのスカートを見て、俺も同じのが良いと駄々を捏ね、女性願望があるのではと両親を困らせたのは語り草だ。ありがちに、大好きな人とずっといっしょにいられる『結婚』という単語を覚えれば、姉とするんだと触れまわり、出来ないという事実に非常に納得がいかなかったのを今でも覚えている。
『ねぇ、どーしてメグは響ちゃんと結婚できないの?』
『知らなぁい。ママが言ってたからじゃない?』
『ママが良いって言えばいいの?』
『そんなの分かんないよっ』
この聞き癖は姉には気に入らないものだったらしい。なぜ?どうして?を連発するといつも風船のように頬を膨らまされた。
そんな弟にいよいよ痺れを切らしたのか、きっと無意識に違いないが、彼女はこう言った。
『じゃあメグが分かるようにすれば?』
それが分からないから聞いているのだ、と思うかもしれない。しかし俺には目から鱗だった。
多分ヘレンケラーがウォーターを水と認識したくらいの衝撃が全身を貫いた。
―自分が納得すればいいのだ。
幼心に俺は、母親が言うことが絶対という幼児期の常識が酷く窮屈だった。兄弟が多かったから、俺を育てたのは母より姉と言っても過言ではないだろう。そんな『母が法則』なんてのに従ってむくむくと俺の心は不満の根を張っていた。響ちゃんの言った『メグが』は母でなく、俺自身を指している。それが許されることであったと言われて初めて気付いたのだった。
小学校に入り、響ちゃんと同じくらいだった背丈を徐々に追い越し始めた頃、天谷家では少しずつ環境が変わっていった。
まず、末の妹暁が保育園に入った。それと同時に母が仕事を復帰し始めた。朝晩はいるものの日中は完全に職場に入り浸り、ランドセルに背負われてるような哉や慧は酷く母を恋しがった。それをうまくフォローし笑顔にさせるのが響ちゃんの技だった。俺は生まれつき慣れっこだったのもあって気にはならず、強いて言えば姉が小さい妹弟ばかり目をかけるのは面白くなかった―が、夢中になったものがあった。『勉強』だ。
幼児期の頃から理不尽なことに対してもがいて求めていたもの。それは自分を納得させる知識と理解力だった。
小学校に入って本を読めば、いくらか知識が増えてくる。なぜ地球は青いのか?と答えを探せば、表面の多くが海に囲まれているからと簡単に分かるように俺は執拗に探した。『何故姉弟で結婚ができないのか』と。
成程、おおよその倫理観、遺伝能力を示唆していることは分かった。しかし納得はいかない。
―俺が理解るまで。
納得のいく答えを探せばいいし、現状を変えたっていい。たとえば俺が法律を変えてしまえばいとも簡単に覆されることかもしれない。そう、俺はポジティブで、野心家のようだった。そして探せば探すほど増える知識に没頭した。そうして俺は天谷家始まって以来の秀才となる。
「全ては響ちゃんのアノ言葉だったんだよな~」
甘いため息をつきながら綺麗に器に盛りつけられたイチゴを摘む。響ちゃんの親友で俺の協力者でもある、珠ちゃんのご両親からイチゴ狩りに行ったお土産をもらったと、それはもう嬉しそうに言っていた。
「何が?」
不遜な顔をしながらも、彼女は絶対俺の言葉を聞き逃さない。そして、手元を見ずに熱い茶を煎れて兄弟に渡していく。勿論説明しても良かったが、話し途中で他の兄弟に気を取られるのは容易く想像できる。俺の大事な大事な思い出話に邪魔が入るのは嫌だった。
「響ちゃん、白いのある?」
じっと食後のデザートを見つめていた慧が言った。何だ?それ意味分からん。
「ああ、練乳ね」
テキパキとすぐ慧の手元には牛の絵柄のチューブが渡った。あ、コンデンスミルクのことか。
「美味し~い」
暁がぺろっと食べつくせば、
「私お腹いっぱいだから、食べていいよ」
と差し出す。諸手を挙げて喜ぶ妹の顔を見ながら、響ちゃんも嬉しそうに微笑んだ。
今、彼女は妹に譲ったのだと思う。俺とたった一才しか違わないなんて、その懐の広さは信じられない。俺だったら絶対にやらない。例え暁が病気でも。
他の兄弟もみんな姉のことを慕っている。表現方法はそれぞれでも、姉が自分に目をかけてくれることがどれだけ嬉しいと思ってるか伝えてやりたい気もする。が、哉もそうだと教えると、無愛想な弟には贔屓しがちの姉は涙ぐんで喜びそうなので言わない。それは癪に触る。
生まれた頃から変わらない黒い髪を一つにしばって、ちょこまか動く姉は、まるで家事をしやすくするためと言うように、小柄で薄い体をしている。兄弟の中で一番白いからか、薄いソバカスがあり、本人は気にしているが、小さい鼻に似合って俺は可愛いと思う。目元が少し下がっているのは俺と似ているところだ。この、他人には得られない『同じもの』があると言うことが、俺はとても自慢だった。
脳を活性化させるだけすくすく成長した俺が、後ろから抱きつけばその小さい体は簡単に収まる。
同じシャンプーの香り、触った時の安心感。生まれて15年間魅了してきたもの。
これを他人に渡してなるものか。好き、なんて単純な言葉で言い表したくない。
俺のこの愛は、他人が抱くものよりずっと清く深いのだ。絶対に渡さない。最後に勝つのは一番近い存在の弟だ。
勝算は完璧だ。かかってこい、いつかわいてくるだろう虫けらども。心の中で呟いた。