10.カッコ良い負け、カッコ悪い負け(後)
哉のチームは、12チーム中8位という結果に終わってしまった。
個人戦の部長が100メートル4位という結果が最高ランクだった。関東大会に行けるのは総合3位のチームまでだ。鎬を削る選手達の壁はやはり簡単に越えられるものではない。
それでも。
前を見据えて哉の走る姿は本当にカッコ良かった。ビデオを回しながら視界がぼやけてきたくらいだ。
お疲れさま、と心から伝えたかった。
会場の外まで出ると、一気に疲れが出た。自販機でお茶を買って喉を潤す。
ぼうっとしていると、驚いた顔の哉が―――いた。
「―姉ちゃん?どうして」
「ち、哉」
「天谷のお姉さんか?初めまして、部長の神林です」
中学生とは思えない風格の男の子に律義に礼をされ、慌てて
「哉の姉です。いつもお世話になってます。今日は本当にお疲れさまでした」
と挨拶を返した。
気まずい響に、このまま家族と帰れと部長に言われ哉が隣りに立った。
「…来てたの」
「ごめん。どうしても哉のこと応援したくて」
相変わらず一本調子な声に、響は顔を上げられなかった。
「…カッコ悪かっただろ」
ボソッと呟いた声に、
「そんなことない!」
反射的に言い返していた。
「結果は、ダメだったかもしれないけど…姉ちゃん感動したよ。哉のカッコいいところもっと早く見たかった」
ダメだ、また視界がぼやけてきた。
「なんで姉ちゃんが泣くの」
「だって…」
一度溢れた涙は堰を切ったように流れ出した。情けないことに鼻水まで。
「…ごめん。俺、どうしても勝てる試合しか見せたくなかったから」
ハッキリと聞こえた、信じられない言葉に目を見開く。
「でも俺、これで諦めてないから。次はもっと良い結果出す。そしたら応援来て」
哉の目は敗北に憔悴しきってはいない、力強く澄んでいた。ついこの前まで響と変わらないくらいの背丈も、随分伸びたようだ。
反抗期と思っていた弟はしっかり自立していた。やはり哉は自慢の弟だ。
「…なんつー顔だよ」
哉は笑った。
「そ、そんな酷い?」
「酷い酷い」
「酷ーい!」
繰り返し同じ言葉を連呼して、二人は笑いながら並んで帰った。
日曜は珠美のリクエスト、レモンの蜂蜜付けにレモネードを用意して学校に向かった。
哉のときより幾分リラックスした雰囲気ではあるが、やはり選手達の集中した空気はピリッとしてカッコいい。
珠美に差し入れをして、席を探していると取り巻きに囲まれた緒方を見つけた。
来ないかも、と聞いていたので嬉しくなる。ユニフォームと首に下げたスポーツタオルを絶妙に着こなしていて、今日も素晴らしい。
試合前の緊張するときでさえ、周りへの配慮を忘れないのもさすが緒方の為せる技だ。
「うわっ天谷ちゃん!?」
緒方が声をかけてくれた。
「緒方くん、頑張ってね」
挨拶にも大分慣れた。今までで一番スマートにできたと思ったが、緒方は恐怖に慄き引きつった顔をしていた。
「な、何でいるの?」
「珠ちゃんの応援に」
「あ、ああそう…」
何か様子がおかしい。緒方は響の視線を逸らし、そそくさと言った具合でコートに入って行った。
「準~」
「頑張れー」
きゃいきゃい女子が黄色い声を上げる。片手でそれに答えると、キャーとまた歓声が上がった。何と言うオーラ。最近、響は緒方みたいになりたいと師匠のように尊敬する気持ちが強くなってきた。頑張れ、緒方くん!
試合中、歓声はやまずとても盛り上がって見えた。
響もワクワクして応援していたのだが…
「あれ?」
違和感を覚えた。緒方は全部の力を出していない感じがしたのだ。持ち前のセンスでサーブが決まるときもあれば、ちょっとしたミスもあり。それに悔しそうな表情が見えなかったのが意外だった。
結果、緒方は負けてしまった。終わってすぐ女子に囲まれ、色んな差し入れをもらっていた。
違和感を突き止めたい気もしたが、珠美の試合が始まるのでそちらに集中した。
珠美と相手校の選手はとてもいい試合だった。どちらも緊迫して息を飲んで試合から目が離せない。最後までボールに食らい付いた珠美が、僅差で勝ち、響も思わず歓声を上げた。
「珠ちゃんっ!おめでとう」
「響、やった勝った!」
勝利した者にしか味わえない高揚感を抱いて喜び合う。
「すっごい良い試合だったね!カッコ良かったよ〜」
「ありがとう!響の差し入れが効いたよ」
嬉しいことを言ってくれる。やっぱり本気って気持ちが良いな、と思った。
元々が親善試合であったため、穏やかなムードで全ての試合は終了した。着替えをする珠美を待っていると、緒方が一人で出て来た。ファンもさすがに帰ってしまったのだろう。
「緒方くん。お疲れさま」
「あー、天谷ちゃん」
「残念だったね、試合」
「え?ああ、まぁあんなもんだよ」
爽やかな笑顔を向けられる。
「あんなもん?」
「俺、全然練習しなかったし仕方ない」
「そうだったんだぁ。じゃあ次は勝てるね!」
勢い良く返す。
「え?いや分かんないよー」
「そんなことないよ!一生懸命やったら絶対結果出るよ」
「いやいや、真剣にやって負けたらカッコ悪いっしょ」
緒方は柔らかく微笑んでいた。
「え?負けにカッコいいとかカッコ悪いってあるの?」
そのときヒュッと強い風が吹いた。思わず目をつむって、もう一度開けたとき緒方の顔から笑顔が消えていた。その表情に言い過ぎた、と思い慌てて取り繕う。
「ごっごめん!たまたま昨日うちの弟も試合で負けたんだけど、すぐ次のこと考えてたから」
「俺の柄じゃないから」
緒方は響の言葉にかぶせるように言う。
「え?が、柄?」
何の?パンツ?
「俺みたいな奴が本気になったらキモいじゃん」
緒方の言葉を理解するまでたっぷり時間がかかった。いや、理解できていなかった。
「キモい?って気持ち悪いってことだよね…。何が?緒方くんはカッコいいよ。いつも周りの人に気配りできて、すごいって思ってるよ」
「バカにしてんの?」
「はっ?」
「チャラ男とか…事実だけど」
「チャラ男だと本気になっちゃいけないの?」
「…………」
「そう…大変だね」
響は緒方の言ってる意味が全然理解できなくて、会話に疲弊していた。緒方の世界は凡人には分からなくて当然なのかもしれない。見習おうなんて無理な話しだったのだ。
響は珠美を待つのも酷く億劫になり、そのまま帰宅することにした。