婚約破棄騒動に巻き込まれた男爵令嬢。
「イリヤ! お前との婚約を破棄する!」
……マジか。
やりやがったな、あのバカ王太子。
内心で頭を抱えていたのは、パーティーの中心で得意げにふんぞり返っている王太子により、婚約破棄を告げられたイリヤ=カレンデュラ辺境伯令嬢その人ではなかった。
パーティー会場の隅で赤いドレスを纏ったリーゼ=チェストベリーである。
男爵家の末子であるリーゼにとって、本来なら王太子と関わる事はないはずであった。
だが。
王太子の背後で、おそらくというか間違いなく婚約破棄の原因となったふわふわのピンクブロンドの髪を持つ子爵家令嬢を、護衛騎士よろしく取り囲んでいる取り巻き達の一人であるマルヴィン=アイブライト伯爵家子息はリーゼの婚約者なのである。
これは、うちの方も婚約破棄確定だな。
そう思ってリーゼはため息をついた。
もっとも、破棄を告げるのはチェストベリー家の方だが。
「殿下。婚約破棄は出来かねますが」
凛とよく通る声でイリヤが告げる。
すらりとした長身で、紺碧の細身のドレスが大層似合っている。
美しい銀髪はきっちりと結い上げられ、カレンデュラ領で採れる青い宝石のイヤリングが耳元で揺れている。
「黙れ! どれだけ、お前が見苦しく言い訳しようと……」
「いえ、そうではありません」
王太子の発言を遮って、イリヤがきっぱりと言い切った。
王族の言葉を途中で遮るなど、たとえ婚約者であろうと許されない行為だ。
まぁ、気持ちは分かるけど。
リーゼが心の中で頷いていると、イリヤは予想外の言葉を告げた。
「先日、殿下と私の婚約を解消していただけるよう、カレンデュラ家から王家に対して申し入れを致しました。正式には発表されておりませんが、王家の方から諾という返答をいただいております」
ですので、婚約破棄は出来ません、とイリヤは言葉を続けた。
なるほど。そもそも婚約をしていないのだから、破棄など出来ないという事らしい。
「なんだと……?」
寝耳に水だったらしい王太子は呆気にとられているようであった。
「どういう事だ!?」
声を荒らげたのは、リーゼの婚約者であるマルヴィンであった。
確かに伯爵家同士でイリヤとの家格は表向き大差ないが、この状況で割って入る空気の読めなさにむしろ尊敬の念すら覚える。
「辺境伯家ごときが、王太子殿下との婚約を破棄など思い上がるな!」
……人の話はちゃんと聞こうな。
イリヤが申し入れたのは婚約解消であって破棄ではない。
イリヤはふぅ、と小さくため息をついた。
「父が身罷り、今は兄が家を継いでいます。
ですが、先日の隣国での戦により兄は足が不自由になり、私が辺境騎士団を継がねばならなくなりました。
ゆえに、婚約解消を申し入れました」
お分かりいただけましたか? と微笑むイリヤからは、なんともいえない威圧感が漂っていた。
カレンデュラ辺境騎士団はこの国の守りの要だ。
たとえ、王太子との婚約が無くなったとしても、騎士団を存続させる方を王家が選んだということなのだろう。
と、いう事は。
「……」
リーゼは素早く頭の中で話を組み立てた。
おそらく、近い内に王太子は廃嫡される。
辺境騎士団団長に、しなくてもいい婚約破棄を告げたのだ。
それも、わざわざ衆人の中で大々的にだ。
話はこの国の貴族だけでなく隣国にまで伝わるだろう。
自国の、それも重大な事案を理解していなかったような人物が王位を継いでは侮られる。
代わりに王太子の地位につくのは第三王子の可能性が高い。
母親はあまり身分の高い側妃ではないが、優秀な方だと噂されている。
現王太子と子爵家令嬢、それと取り巻き達の家は勢力を失うだろう。
うちも、早いところ婚約解消した方が良さそうだ。
リーゼは、そう結論づけた。
「リーゼ! どういうつもりだ!」
マルヴィンが怒鳴り込んできた。
来たか。
予測していた行動のため、リーゼは特に驚きもせず、マルヴィンを振り返った。
「既に婚約は解消されています。呼び捨てはやめていただけます?」
冷静に告げるリーゼに、マルヴィンはますます激昂した様子であった。
「たかが男爵家が、婚約破棄だと!? 思い上がるのも大概にしろ!!」
いや、だから婚約破棄じゃなくて解消だって。
リーゼは心の中でため息をついた。
破棄ならば慰謝料等が発生するため、アイブライト家がすんなり応じない可能性があった。
それ故の婚約解消だったのだが。
「我が家は伯爵家だぞ!」
「存じ上げておりますが」
財政が困窮している伯爵家だという事も。
リーゼとマルヴィンの婚約はアイブライト伯爵家から是非にと請われたものであった。
元々、チェストベリー男爵家は領地も小さく、また特産もなく貧しい貴族であった。
しかし、何故かやたらと戦闘能力の高い者が多く生まれ、王宮の騎士団で名を挙げる事もしばしばあった。
また、王宮騎士団に入隊出来ない女性は身分や名を偽り、市井で冒険者として活動する者も多かった。
リーゼの大叔母もまた、冒険者として名を馳せたが、その途中で商会の跡取り息子と知己となり恋に落ちた。
色々とあった挙句、大叔母は商会の息子と結ばれ嫁入りしたのであった。
それが縁でチェストベリー男爵家と商会は互いに持ちつ持たれつの関係になり、いつしか商会は国一番の大商会へとのし上がったのである。
ちなみに、リーゼの大叔母と商会の跡取り息子との色々は、地元では吟遊詩人達が語る唄になっている。
大商会との繋がりのあるチェストベリー男爵家との婚約をアイブライト伯爵家が是非に、と申し入れてきた形なのだが、当の本人であるマルヴィンはその事を理解していなかったようだ。
「私とマルヴィン様は、もう親しい関係ではございません。気安くお声をかけないよう、お願いいたしますわ」
「リーゼ!!」
マルヴィンが、リーゼに向かって手を上げようとした。
その手を簡単に払うと、リーゼは周囲からは見えないように手の中に隠し持った暗器をマルヴィンの首元に突きつけた。
「こっちが大人しくしている間に、さっさと退け」
「……!?」
マルヴィンが目を見開いた。
チェストベリー家の血を引くリーゼもまた、名と身分を伏せて冒険者として活動している。
リーゼがたびたび貴族令嬢らしからぬ口調や思考になるのはそのためである。
リーゼが手に力を入れる。
マルヴィンの皮膚に薄っすらと血が滲む。
「ご了承いただけます?」
マルヴィンの顔を覗き込み、リーゼはにっこりと笑ってみせた。
「……!」
がくがくと頷くと、マルヴィンは転げるように逃げていった。
その後ろ姿を見送り、リーゼはふぅ、とため息をついた。
さて、これで騒動は終わったな。
そう思っていたリーゼの元に、イリヤから辺境騎士団への勧誘の手紙が届いた。
実は先日の隣国の戦に、リーゼは名を伏せて一介の冒険者として参加していたのだが、どうやらイリヤには気づかれていたらしい。
「辺境騎士団か」
悪くないね、とリーゼは不敵に笑った。




