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必ず君を

作者: 西園寺歩
掲載日:2025/11/10

人は誰しも愛を叫ばずにはいられない。

他者から見て歪な恋も、もし違う世界であれば違和感も感じないのかもしれない。

細胞レベルで惹かれ合う。そんな恋ができていますか。

 家に帰ると思い出せるあの人の顔、しかし朧げでか弱かろう体の線を忠実には再現できない。程なくして、玄関からあの人が帰ってくる。そうか、あぁこんな体をしていたのか。

 かれこれ20年ほど前、僕は幸恵と出会った。場所は武蔵村山市のアパート。初めて会った時は照れてしまい、自分の名前すら伝えることができなかった。そして共に過ごした時間は一瞬で、瞬きをする時間すら与えられなかった。即座に伝える。

 「君の名前は?」

 幸恵からの返事はなく、過ぎ去ってしまう。そんな幸恵に目を奪われながら、その日は終わった。


 当時の僕は、僕と呼べるほど崇高な人間ではなく、周りからはよく言えば引きこもり、悪く言えばひきニートと呼ばれていた。言われることが苦ではない僕は、一人称をワイと自称することとした。

 ワイにも友と呼べる人がいる。こいつは身なりや家柄がよく、とてもワイと関わりがあるように見えなかった。それはそうだ。そもそもこいつと会ったことはない。勝手に金持ちだと決めつけてはいるが、理由は?と聞かれたら黙ってしまうだろう。聞かれることもないのだが。


 こいつとの出会いは突然の電話だった。

「お世話になります。第三者不動産の恋津と申します。今、少しお時間よろしいでしょうか?」

「はい。」

 声はやんわりとしていて心地よい。肌艶の良い女性だろうか。年齢は20代後半といったところだろう。そんなことを決めつけて会話を進める。

「2025年に関西万博が開催されるんです。有識者たちは、地価が高騰することを見込んでいます。不動産投資に興味はないですか?」

「はい。」

「であれば、あなたの電話番号にショートメッセージを送ります。そこから情報を登録してください。」

 側から見れば、不動産投資詐欺の手口と分かる。が、ワイにはそんなことどうでも良かった。久しぶりに生身の人と、温もりのある会話をした、その事実だけが胸を熱くする。

 気がつけば、毎日のように連絡をしていた。憲法記念日も、勤労感謝の日も、天皇誕生日も関係なく、連絡を取り合った。

「関西万博が終わったら?まだまだ地価は上がり続けます。」

「今日も電話ですか?ちゃんと検討していただけてます?」

「上司の大馬です。ご連絡ありがとうございます。恋津ですが、先週を境に部内異動をいたしました。代わってご案内いたします。」


 こいつには何でも話すことができた。借金で首が回らない時も相談に乗ってくれた。両親がご飯を用意してくれない時も、自炊の機会とアドバイスをくれた。こいつはとってもいいやつだった。だからこそ会って話したかった。会って。こいつとの関係性は一年近く続き、自分に勇気を持ち始めた頃、一人称はワイから僕へと変わり始めていた。


 その頃、絵を描くことに興味を持ち始めた。初めは金持ちの道楽だの、紙を汚しているだけだの理由をつけて嫌煙していた。しかし、ふとしたときに筆を持ち絵を描くといつの間にか時間が経っている。真っ白いキャンバスに筆を走らせ、自分が描きたいものを描く。羽が生えたように、その時間だけ、僕は自由だった。ブリスベン、シャンパーニュ、マサチューセッツなど様々な景色を検索して模写をする。自分がその場所で旅をしたかのような感覚に興奮した。

 絵を描き始めて10年が経ち、試しに自分の絵をネットオークションに出してみようと両親がいった。僕は心底どうでも良かった。結果は言うまでもない、3桁の額がついた。

「本当にすごいな。まさかモノにするとは。」

 初めて親から褒められた。鼻で笑いながらも嬉しいことに変わりはない。どんな時も見放さなかった両親には感謝をしている。だから僕の絵は何にどうされようがどうでもよい。笑顔で僕にご飯を作ってくれるのは心地が良い。ようやく他者からも認められ自信もつく。これまでにない感覚が感情を昂らせる。


 しかし、10年間書き溜めていた景色の絵は、全世界各地を描き終えてしまい、創作意欲が湧かない。そこから5年は筆を握らず、我が思うまま過ごした。ポテチを握り締め、砕いてご飯に振りかける。この上なくうまい。酒なんかよりも食べるのが好きな僕は食べた。たくさん食べた。気づいたときに遅かった。


 両親と呼ぶべき人はいつしか他界し、家にはただ一人、毎日体調がすぐれない男がいる。でも、それだけなら良かった。両親はいっときの感情に任せ、絵で儲けた金を不動産投資に全投資し、その地価がとてつもなく下がっていたのだ。何億ものマイナスの利益計上で負債をおわされた。こいつとの連絡も取れず、八方塞がりだ。あんなに仲良かったのに、何年か経つと離れていく。人間関係は残酷で儚い。今日意気投合した人も、明日疎遠になっているかもしれない。


 だが、僕は8年ぶりに筆を取ろうと思った。人生で親しくしてくれた、唯一の友達、こいつの絵を。顔くらい見させてくれでも良かったじゃないか。まったく。そんな小言をつきながら、想像で顔を描いていく。気がつくと絵が完成している。そこには想像上のこいつが描かれている。

 その顔は、紛うことなく18年前に出会った幸恵だ。

 「なぜだ。」

 何度紙を丸め捨てても、結局同じ顔が出来上がる。こいつを描きたいのに、幸恵の顔が出てくる。なんで初恋の人、失恋の人、忘れられないんだ。何も会話できなかった自分が歯痒い。そんな思い出したくもない過去、触れたくもない過去を、腕が、身体が動き出し具現化していく。終いには、あることに気づいた。


「僕は幸恵に細胞レベルで恋をしていたんだ。」


 こいつほど意気投合した人はいないし、幸恵ほど好きになった人もいない。だがどうして幸恵の顔が出来上がるのだろう。僕は答え合わせをした。

 「第三者不動産」ホームページ上には数名の従業員の顔と名字が掲載されている。その中に見つけた。幸恵だ。名字に目を移すと「恋津」と書いてあった。


 何度も疑ったが、趣味の欄に「西武ライオンズの応援」、特技の欄に「絵を描くこと」と書いてある。間違いない。西武ドームは武蔵村山市の近くにあるし、僕が絵を描くことへのきっかけは恋津との会話からであることにも繋がる。

「もっと早く気づけていたらな。」僕は静かに目を閉じた。


 家に帰ると思い出せるあの人の顔、しかし朧げでか弱かろう体の線を忠実には再現できない。

 初めて、最後に幸恵と会った武蔵村山市のアパートに向かった。会えるはずはなく、彼女のことを思い、向かう先を念じた。第三者不動産は関西万博で一世を風靡し、過ぎ去ってからセピア色に変わっていた。大阪にいるのだと勘ぐり、即座に飛んでいった。難波の繁華街の人混みを通り抜け、夢の叶う場所へ辿り着いた。万博の跡地、見ていられない光景だった。荒野の中に家が何軒か建っている。表札を確認する。「五十嵐」。僕の家だ。この世界ではここに住んでいるのか。

 「ただいま 幸恵」

 「おかえり 傑」

 僕の名前だ。そうか。この世界の僕の恋は叶ったのか。顔以外の幸恵を見ることができた。ようやく描くことができる。僕と、傑と幸恵の仲睦まじい絵を。


 「カラン」

 ポストに音が聞こえたのを耳にし、私は玄関へ向かう。土曜祝日に郵送物は来ないはずだ。いつかの傑は土日に電話をかけてきたっけ、くすくすと笑いながら戸を開ける。

 「ギィ」

 そこには第三者生命保険からの保険金受け取りのお知らせだった。驚き声を上げたところ、中から傑が出てきた。死亡人は「五十嵐 傑」。

 「おれ、死んだの?第三者生命保険ってどこの会社?」

 そんな会社聞いたこともない。幸恵は少し戸惑いながらも、「まさかね、、」と呟いた。

 ポストにもう一通、手紙が届いていた。そこにはこう綴られていた。

 「当時の僕は、こいつの言われた通り頷くことしかできなかった。そんな僕でも筆を取ることで誇れる人間になれたよ。ただ頷いていただけの僕も僕だから。いつかの借金は恋津のアドバイスどおり、これで返します。お幸せにね。僕、五十嵐 傑さま。五十嵐 幸恵さま。」

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