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2 ユイハル、結界を壊す


「ぬくぬくカピバラだ!」


 ユイハルは大きな声を出しそうになって、慌てて口を塞いだ。

 それは幼少のころ絵本で見たのとまったく同じ光景だった。


 温泉にゆったり浸かる、大きなネズミ。

 ネズミというには、どこか角ばった印象の顔。大きな鼻。


 ユイハルはふと、母の膝を思い出した。

 何度も繰り返し読み聞かせてくれた声も、顔ももうおぼろげだ。

 それなのに、絵本のカピバラの方がよく覚えているのは、孤児院にも同じ本があったからだ。


 懐かしさのあまり不用意に近づきすぎたのか、カピバラはざぶっと湯から上がった。

 ぶるぶると体を震わせ水しぶきを払ったと思ったら、次の瞬間には駆け出していた。


「わ、早っ!」

 あっという間に見えなくなってしまったので、ユイハルは、しばし呆然とその場に立ち尽くした。

 なんとなく気まずくて、温泉に目を向ける。


「それにしても、なんでこんなところにこんな立派な温泉が?」


 よく見れば、常に新しいお湯で満たされるようになっているようだし、向こうには洗い場らしきものも見えた。

 大魔法使いの遺産だろうか。


「さっきのカピバラ、気持ちよさそうだったな……」


 誘惑にかられるが、さすがにこんな怪しげな場所でのんびりできるほどユイハルも図太くはなかった。

 それでも未練が残る。

 顔くらい洗っても……?


 悩んでいると、がさっと草むらが揺れた。魔獣だ。だが魔獣は温泉には近づこうとせず、こちらに背を向けて走り出した。

 ホッとしたのは束の間のことで、ユイハルは気づいてしまった。


「あの魔獣、カピバラを追っていったんじゃ……!」


 たかが動物一匹、放っておけばいいと先輩方なら言うだろうが、放っておけないのがユイハルだ。

 ところが、奥へ進むほど嫌な予感が強まった。何か良くないものがこの土地にいる。

 まさか邪神が?


 いや、違う。

 邪神が封じられているのはこの地ではないはずだ。

 だったら、この気配は何だ……。


 少し進んだところで魔獣が横たわっていた。

 ギクリと身をすくめるユスハルだったが、魔獣はすぐに塵となって消えた。


「あんな強い魔獣を、一撃で?」


 なんだ、ここに何がいるんだ……。

 手が震え、足がすくんだ。それでも、確かめなければならない。今それができるのはユイハルだけなのだから。

 そう思うのに、一歩ごとに足が重くなり。とうとう足が止まってしまった。


 ユイハルは深く息を吐き、剣の鞘をそっと撫でた。そこには、犬の頭を持つ善神フィーデアの姿が描かれている。


「フィデーア様、お守りください」

 それだけで気持ちが落ち着く。

 そうだ、この程度のことで気おされていては、いずれ来る邪神の目覚めに立ち向かうことなどできない。


 邪気払いのつもりでユイハルは剣を抜き、さっと空気を切り払った。

 そのつもりだったのだが、なぜかボウンとすごい音がして、透明な何かがガラガラと崩れ落ちた。


「うわっ、なんだ!?」

 ガラスの壁?

 いや、そんなもの、ここにはなかったはずだ。地面を見ても、何も落ちていない。

 それなのにあたりに黒い煙がもうもうと立ち込めた。


 目も空けていられず、ユイハルはとっさに頭をかばう。何者かに襲われるのではないかと警戒したのだ。しかしいつまで待っても何事も起こらない。おそるおそる様子を窺うと、そこには目を疑う光景があった。


 石造りの建物が目の前に見える。先ほどまでは確かになかったはずだ。

 幻覚かと思って目をこするユイハルの前で、ギイッとおぞましい音を立て屋敷の扉が開いた。


 まるで呼ばれているようだ。

 

 逃げることも進むこともできずにいると、屋敷の中から何かがポーンと飛び出してきた。

 すれ違いざまに見えたのは先程のカピバラのようだった。


「えっ!?」


 驚いて体ごと振り向いてユイハルはようやく背後の異変に気が付いた。

 いつの間にか魔獣に囲まれている。十、いや、二十はいるだろうか。

 カピバラはよりによってそっちに向かって走っていったのだ。


 思わず駆け寄ろうとしたユイハルだが、一歩足を踏み出したところで雷が落ちた。

 雷は過たず魔獣をとらえ、すぐに一匹塵と化した。それに驚いているうちに、次は氷の矢がカピバラの周りに出現し、魔獣めがけて飛んで行った。


 一瞬だった。ユイハルは一体倒すだけでも苦戦したのに、あのカピバラは、一瞬ですべて制圧してしまった。


「つ、強い……。あんなすごい魔法、見たことがない」


 かなり距離があるから、まさか聞こえたわけではないだろうが、カピバラがチラリとこちらを見た気がした。

 そのとき、屋敷のほうからうめき声のようなものが聞こえてきた。


 カピバラもその声を聞いたのか、屋敷へ戻っていった。


 邪神が復活したのだといわれても納得してしまいそうなほどの恐ろしい気配は、屋敷の中から発せられている。

 それでも、確かめなくてはならないと思った。


 まったく何もわからないままでは、教会に報告しようがない。異変を放置するわけにはいかないだろう。

 ユイハルはゴクンと唾を吞み、勇気を振り絞った。



「お邪魔します……」


 一応礼儀として頭を下げてから玄関ホールに足を踏み入れる。

 正面には階段があり、三階まで行けそうだ。

 しばらく進むと、焦ったような男性の声が聞こえた。


「ラース、来てはいかん!」


 第一声はハッキリと聞こえたが、それ以降は声を抑えているのか、会話の中身はわからなかった。

 盗み聞きのようになってしまうかもという恐れよりも、人がいるなら、助けなくてはという使命にかられた。


 三階まで駆け上がると、左奥の方の扉がうっすら開いているのが見えた。ユイハルはそこへ駆け込む。


「大丈夫ですか!」


 部屋の中にいたのは先ほどの青年とカピバラ――ではなく、青年と華奢な子供だった。

 年のころはユイハルと同じは少し下、つまり、十四歳くらいに見える。


 一瞬女の子かと思った。

 サラサラしたクルミ色の髪がもう少し長ければ、そのまま誤解してしまったかもしれない。

 白く滑らかな肌。きれいな鼻筋。ハッと見開かれた瞳はこの森とよく似た深緑色――だが、ユイハルと視線が絡みあう前にその目は伏せられてしまう。


 もう一度、その瞳を覗き込みたいと思ってしまったくらいには、ものすごい美少年だった。


 誰もが気をそらした刹那を狙って、邪神の黒炎が一筋、するりとひび割れた瓶から抜け出した。

 邪神が狙ったのは、この場で一番弱いもの、すなわちユイハルだった。


 ユイハルの目には、何か黒いものが飛び出してきたようにしか見えなかった。それでも背筋に寒気を感じ、とっさに顔を手で庇った。


「――っ!」





『少年たちがわちゃわちゃしているアレ、何て呼べばいい?~BLのジャンル分けについて考えてみた~』

というタイトルでエッセイを書きました。こちらも読んでもらえると嬉しいです!


シリーズの『ボーイズラブいろいろ』から、または作者マイページからどうぞ。

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