1 ラース、掃除をする
「グー! これはどういうことだよ!」
ラースとユイハルが屋敷に戻った翌朝、ユイハルが爆発した。
「子供を引き取ってきたんだから、ちゃんと世話をしろよ!」
昨夜はそれぞれ休み、ラースも久々に自慢の温泉を楽しむことができた。
そして朝になって、騒ぎは起こった。
「そんな、グーさんは大魔法使いなんですよ! そのような雑事にお手を煩わせるわけにはいきません」
当のミケがそんなふうに言うものだから、グーも「そんなものか」と思ってしまったのだろう。
だが、ユイハルは納得しなかった。
「衣食住の保証は雑事じゃない!」
「屋根もありますし、食料も好きに食べていいと言われてます」
「火、使った形跡ないけど? 料理もまともに出してないじゃないか」
「ミケがいいと言ったんじゃ……。ならばそれでよいじゃろうと……」
「遠慮したんだよ、見てればわかるだろ。それにベッドだって、埃だらけじゃないか」
「そ、それは違うんです! 僕の部屋は後回しでいいかと思って」
「ほら、これを聞いてもまだのんきなこと言ってられんのか!」
ユイハルの剣幕を前にして、あのグーが床に正座をして肩を落としている。なぜかミケまでグーの隣で反省している。
大魔法使いに膝をつかせるなんて、すごいなユイハルは……。
呆れて見ていたら、こっちにまで飛び火した。
「ラースだって、あんなカピの巣みたいなところで寝ているし!」
「いや、あれは私の――」
「ラースは黙ってろ。俺は今、グーに大人の責任ってものを解いている!」
ギリッと睨まれて、ラースは口を閉ざした。
アレはとても快適なのだが……。そう言いだせない迫力があった。仕方がないのでラースもミケの隣に座った。
その瞬間、ミケと目が合った。
ほぼ初対面ではあるが、不思議と彼の言いたいことがわかった。
つまり、ここでグーを庇えば、ユイハルの怒りがますます爆発するということだ。
「ユイハル。教えてくれ、我々はまず何をするべきだ」
ラースが慎重に尋ねる。ユイハルは深く息を吸い込んだ。
「掃除だ! そのあと洗濯っ!!!!」
ユイハルの大声に屋敷の周りの鳥や獣が逃げ出した。
ラースも、ただのカピバラだったなら駆け出していたかもしれない。
だが、もちろんラースは分別のあるカピバラなので静かに頷いた。
「掃除なら得意だ。任せろ」
ラースは三階の、かつての自室に向かい窓を開け放った。
「準備は完了だ。次は、風で吹き飛ばす!」
掃除とは、部屋の中のものがすべて片付いたことを言う。
「どうだ」
自分の仕事に満足してラースは頷く。威力が少々強すぎたのか、ユイハルとミケの髪がボサボサになってしまったが。
「ユイハル、髪が伸びたか?」
「いまそれどうでもいいんだよ! 何が得意だ、部屋を壊すな! 邪神のほうがまだうまくやるぞ!」
「そんなはずはないだろう」
『掃除は上からやるものだ。天井の煤が取れていない』
「ほらな」
瓶詰邪神が、しれっと会話に加わった。
以前もユイハルと会話をしていたから、それ自体は驚くことでもない。
それよりも――、天井を見上げれば本当に煤が残っていた。
『道具を使え、人間未満め』
邪神に見下された瞬間、体の芯から冷えて凍えそうになった。がっくりと膝から力が抜ける。
「わ、私は……邪神に負けたのか……?」
グーが駆け寄り支えてくれなければ、そのまま床に顔から突っ込んでいたかもしれない。
「いかん、ラース、気をしっかり持つんじゃ!」
「なに落ち込んでるんだよ。事実だろ」
「うぐっ!」
「ユイハル、ラースを追いつめてはならんぞ!」
「ハッ! ばかばかしい。行くぞ、ミケ」
「で、でもでも!」
「お前には、正しい掃除の仕方を教えてやるからな」
「ヒィィィィ!」
「ははっ。なんだよ悲鳴みたいな声出して。知らないことは覚えればいいんだよ」
爽やかに笑って立ち去るかに見えたユイハルが、立ち止まって振り向いた。
「それから、グー!」
「わしの部屋はきれいじゃよ」
「ああ、そうだよな。自分の部屋だけな! 使ってない部屋も掃除するんだよ! そうしないと屋敷がダメになるだぞ」
「じゃが、屋敷には保存の魔法が……」
「うん?」
有無を言わさぬ雰囲気に、グーの肩がまた狭まる。
――いや、アレは、面白がっているな?
「ぐ、グーさんの分は僕が、あとでやりますから!」
「いいんだよ、ミケは気にしなくて」
「大魔法使い様ですよ! それに、――それに、なんで邪神と……。アッ、ァァァアアッ!」
「大げさだなあ」
そうして今度こそ、ラースとグー、二人が残された。
「仕方ない。やるかのう」
「そうだな」
こうして、大掃除が始まった。
ひとまずラースは、天井の煤を取ることにした。もちろん魔法で。
「加減が難しいな」
そう言いつつ、ラースは角に沿うよう風を起こして、汚れごとそっと窓の外へ追いやる。
窓は凍らせて、氷ごと汚れを取り去る。
割ときれいになったと思うのだが……。
「魔法でごまかそうとするな。自分の目で見て、手で汚れ具合を確かめて、心を込めてキレイにするんだ!」
「わしは道具を使ったぞ」
「……へえ、じゃあ、そこで踊ってるホウキはなんだ? シャクトリムシみたいに床張ってる雑巾は?」
グーは目をそらし、後ろ手でそろりと掃除道具たちを黙らせた。
「掃除っていうのは、家族や仲間が心地よく過ごすためにするんだよ。少なくとも俺はそう教わった」
団体生活を送ってきたユイハルらしい言葉だった。
だが、ラースにとっては、掃除は使用人の仕事だ。カピバラとなってからは不要となったものだ。
いまさらだ……。
「それから、ラース」
「なんだ」
「床にわらを敷くな! カピの部屋作ってんじゃないんだぞ!」
「これが快適なんだ」
「カピを中心に考えるの止めろ! お前は人間なんだ」
そうだろうか。ラースは自分をカピバラだと思う。それに、ユイハルだってカピバラのほうが良いはずだ。そう考えたとき、なぜだか少しムッとした。
「まあ、いい。次は洗濯だからな」
「まだやるのか」
「当たり前だろう」
やれやれ、この元気はどこから湧いてくるのか。
仕方ないのでミケを迎えに行く。
あの子もうんざりしているのではと思ったが、案外平気そうだ。頭に三角巾をつけて、窓を拭いている。
「あ、グーさん、ラースさん! ユイハルさんはすごいんですよ。すごくきれいになりました! さすがはプロの掃除人です」
「いや、掃除人じゃない。俺は聖騎士だ!」
『左下に汚れが残っている』
「あ、ありがとうございます。邪神さん」
ミケがすっかり馴染んでいた。
邪神にも、ユイハルにも……。




