4 ラース、少々ごまかす
ユイハルは宿の調理場を借りて少年のためにかゆを作った。さきほど支援品だと言っていた雑穀をさっそく見ず知らずの他人のために使っている。こういう人柄だからこそ、善神の加護を授かったのだろう。
少年は、夢中になってかゆを食べている。
これほど飢えた子供を前にして、先に草を食んでしまったことに罪悪感を覚えたラースは、そっと人の姿に戻っていた。
「僕はミケと言います。先程は失礼しました。大魔法使いグースレウス様のお連れを疑うなんて」
お腹が満ちると、彼は丁寧に頭を下げた。
「なんで大魔法使いだってところは疑わないんだよ」
「マナの流れが他の人とは全然違います!」
ミケは首を振り、キッパリと答えた。そしてうっとりした様子で続ける。
「山のような森のような湖のような、大自然を前にしているようで圧倒されます」
「見るものが見ればわかるようじゃな」
グーは満足そうにうなずいて、チラリとユイハルを見る。ユイハルは歯をむき出して反抗しているが、これでグーのことを認めるしかなくなるだろう。
ラースは腕組みしてやり取りを見届けることにした。
「この方たちは呪われているんですか……?」
少年の視線がこちらに向いたので、ラースは腕を下ろして真面目に答えた。
「呪われているのは私だ。そちらはむしろ、抑え込んでいる」
ラースにとっては事実だが、ユイハルはそういう誤解を嫌がるだろう。
「抑え込むっていったい何を――ものすごく、禍々しいマナを感じるんですが」
ミケの言葉にユイハルは顔をしかめた。
「出して見せてもいいか?」
「少しの間ならいいじゃろう。ミケや、見るならば心することじゃ」
「は、はい……!」
ユイハルが懐から邪神を封じた瓶を取り出すと、ミケは「ぴゃっ!」と泣いてグーの後ろに隠れた。
「ままま、まさかそれは!」
「ふむ。邪神じゃな」
「どうしてそれを平気で持っていられるんです!?」
「体質じゃな」
グーはどこまでも和やかに答えている。
本当は善神の加護だというのに、かなり乱暴な説明だ。ユイハルが白目をむくのも仕方ない。だが、グーの判断は正しい。
すでに見抜かれた邪神のこととは違って、ユイハルがめったにいない神聖魔法の使い手だということは、言いふらすようなことではない。
幸い、ミケはむしろ邪神のほうに気を取られたようだ。
「それにしても、邪神……? では、その邪神は百年前に悲劇の王子ラース様が命を賭して封印したという? ではあなたは――ラース王子!?」
「悲劇の王子? そんなふうに伝わっていたのか」
邪神退治に命を懸けたのは本当のことだが、その後はむしろ、いかに快適に暮らすかを考えてきたから、悲劇と言われてもピンとこない。
「では、先程のあれが呪いですか」
「呪い?」
ユイハルがハッと顔を上げたので、ラースは内心ぎくりとした。
「そういえば、ラースの呪いって何なんだ?」
「え!?」
ミケが声を立て、パッと口を塞いだ。
ミケはユイハルとラースの間でしばし視線を彷徨わせ、こくりと唾を吞む。
そして小声で尋ねてきた。
「な、内緒なんですか……?」
ラースは少し考えてから、試しにミケに念話を送ってみた。
「(修行の一環だ。自分で気づくのを待っている)」
ミケは一瞬肩をビクつかせたものの、呪いについては隠したほうがいいのだと理解してくれたらしい。かすかに頷いた。
「……なんだよ」
と、ユイハルだけがいぶかし気にしている。
「あ、もしかして! 時々消えたりするアレ、アレがそうなのか!」
「まあそのようなものじゃ」
グーは面倒になったのか、ユイハルの勘違いをそのまま認めた。
「ユイハルよ、カピがいればラースは無事じゃ。わざわざ探しまわる必要なのいからの」
「そうなのか、わかった」
ユイハルが納得したところで、ラースはすかさず軌道修正した。
「邪神の封印だが、現状完璧とは言い難い。私たちは封印をより強固なものにするために、錬金術師の力を借りたい。何か錬金術師について知っていることはないか」
「そうですか、錬金術師を……。ですが、この街で探すのは難しいかと思います」
「理由を聞いても良いかのう」
「祖父はこの町最後の錬金術師でした。……みんな、加工者に成り下がってしまったから」
「加工者って? 錬金術師とは違うのか?」
ユイハルが口を挟むと、ミケは顔を伏せ静かに拳を握った。
「魔石からマナを抜いて、ただ魔法石に詰め替えるだけの仕事です。あんなもの錬金術とは呼べません。マナの性質を見極めることもなく自ら考えることもしない。正しい知識を持っているなら、この国のマナを他国に売り渡そうなどと思わないはずです。ここには、目先の利益に目のくらんだ愚かな人しかいません!」
「そなたではだめなのか」
「え!? 僕ですか?」
「その口ぶりでは、祖父殿の知識を受け継いでいるのだろう」
「知識だけあったって!」
赤毛をぶんぶん振るミケを、不思議な気持ちでラースは見つめた。
「だが、そなたはマナの巡りを知っている」
ミケはハッと口を閉ざし、顔をうつむけた。
「祖父との約束なんです……。扱いきれないものを一人で扱ってはならないと」
「グーは教えられないのか?」
ユイハルが軽い口調で尋ねると、グーは「ふむ」と顎を撫でた。
「魔法と錬金術は違います。グースレウス様に可能なら、わざわざ錬金術師を探したりはしないはずです」
「そうじゃのう、錬金術はマナを定着させる力。わしの力とは少々相性が悪いんじゃが……、ミケに知識があるのなら、暴走しないよう手助けすることならばできるかもしれんのう」
「……僕にできるでしょうか」
「わからん。じゃが、試す価値はあるように思うのう」
「だったら、ついてきて欲しい場所があります」
ミケが案内したのは、錬金術師の隠れ家だった。中にはびっちりと怪しげな実験道具が並んでいる。
「本当は素材もたくさんあったんですが……、父がほとんど売り飛ばしてしまったんです」
「素材はまた集められる。じゃが、知識と技術はおぬしだけのもの。他の誰にも奪うことなどできんのじゃ」
そう言って、グーはミケの頭にぽんと手を置く。
「手入れも行き届いておる。よく守り通したのう」
ミケは目に涙をいっぱい貯めて頷いた。
「グースレウス様の下で学べば、いずれこの街の状況も変えることができるでしょうか」
「そうじゃな、だがまずはわしらに手を貸してくれんかの。――ユイハル、おぬしもじゃ」
ユイハルがハッと顔を上げた。
「疑問も不安もたくさんあるじゃろう。それでも、邪神の封印が解かれれば、多くの人間の命が危険にさらされるのじゃ」
「心配しなくても、途中で放り投げたりしない。もとはと言えば俺が結界を壊したせいだし。……邪神を持ったまま騎士団に帰るわけにもいかないし。何が正しいかは――こっちの問題を片付けてから、自分の目で確かめる」
その瞬間、ユイハルの目から迷いが消えた。
「まっすぐだな……」
ラースの漏らしたつぶやきを、ユイハルが拾って「ん?」とこちらを向く。
「なんでもない」
ラースは答えて視線をそらしたものの、視界の端にまだユイハルの姿を捉えていた。
彼を見ていると、なぜか落ち着かない気分になる。
平静を保たなければ。
「では、ミケのことはわしに任せい。ここの荷物を整理したら先に帰るのでのう、おぬしらはゆっくり帰ってこい」
来るときは、邪神の影響を恐れて徒歩だったが、グーは転移で戻るつもりらしい。
ここで一度分かれることとなった。
「そうだな、せっかくだ、素材の一つでも探してこよう」
「うむ。頼んだぞ」
そこでラースはユイハルを連れ、火山を目指すことにした。
「なんで火山!?」
「温泉があるかもしれない」
キラッと目を輝かせるラース。そう、今ラースに必要なものは温泉で過ごすゆったりした時間だ。
そしておそらく、それはユイハルにも有効だ。
珍しく悩んで疲れただろうから……。
「おいっ! 素材探しだろ? 目的変わってないよな!?」
ユイハルが何か文句を言っていたが、温泉に入る機会は逃せない。




