4 ラース、棚に上げる
旅立ちの日の朝、ラースはユイハルを探して調理場を覗き込んだ。
「準備はできたのか、ユイハル」
「ああ、うん。もう行ける。……ちょっと待った、今なんて?」
「だから、準備はできたのかと聞いた」
「じゃなくて、な、な、なまえ……」
「ユイハル」
「急になんだよ!」
ラースは驚いて目を見開いた。
何だとはなんだ、昨日は「ユイハルと呼べ」と言っておいて。
――いや、今、カピではないからか。
カピにしか許さないということか。
普段表情に出さないようにしているラースの眉も、さすがにぎゅっと寄った。
その顔を見られぬよう、すばやく背を向けた。
「準備できたなら早く来い」
「いや待て!」
「なんだ」
「その背中の荷物はどういうことだよ! パンパンに詰め込まれた干し草はなんなんだ!」
「食料だ」
ラースは少し考えて、付け足した。
「カピの分だ」
するとユイハルは眉のしわをふわりとほどいた。
「カピも行くのか?」
「当然だ」
「そうか、手伝おうか?」
「不要だ」
ラースはぷいと顔をそむけた。カピバラの時と、なぜここまで態度が違うのか。わけがわからないから、ラースはすこし不服だった。
朝の森はすんだ空気に満ちていた。ひらりと枝から落ちた葉は、黄色く色づいていた。
冬が来る前に片付けたいものだ。
ラースは背中の荷を背負いなおした。
「実のところ、錬金術師を探すのは、そう簡単なことではないかもしれん」
「なぜだ、グー?」
「なに、おぬしらの修行中、わしもそれなりに探してみたつもりじゃが、当時の知り合いはみな墓の下だったんじゃ」
「なるほど、そういう弊害もあるのか」
グーの転移魔法だが、話し合いの結果今回の旅では使わないことにした。
何せ邪神と聖騎士が一緒なのだ。魔法にどんな影響を及ぼすかもわからない。
というわけで出発してから五時間、歩き詰めだ。意外なことに、ユイハルは文句ひとつ言わなかった。途中の休憩も干し肉と固いパンでも平気そうだった。
実のところ、ラースのほうが限界だ。さっきから草が食べたくてたまらない。
とうとう耐えかねて、ラースはピタリと足を止めた。
「二人とも、先に行ってくれ。――私は、カピにエサをやってくる」
「なんじゃって!?」
「そうだぞ。わざわざ離れなくても、カピをここで呼べばいいだろ」
グーの視線がキョロキョロと忙しい、ラースにもの言いたげな視線を向けて、ユイハルをギョッと見て。
ラースはとっさに念話でグーに話しかけた。
「(ユイハルは、私がカピバラだとまだ知らないんだ)」
「(どうして教えてやらんのじゃ)」
「(……マナの修行だ。きちんと扱いを覚えれば私とカピが同一個体だと気づくはずじゃ)」
グーは頭を抱えてため息をついた。
「名づけまでしおって……」
手はラースに行けと合図を送っている。
「行ってくる」
ラースは素早く二人のそばを離れて、物陰で草を食べる。ここに青草があるのに、今すぐ大切な食料を消費せずともいいだろう。むしゃむしゃ食べながら、荷物は魔法で浮かせる。食事中はマナの制御がおろそかになりがちなので、いい修行になる。
二人を見失わないよう、食べならが後を追うというのも新鮮だ。
彼らの会話は聞こうとしなくとも耳に入った。
「あーあ。俺も、カピが食べてるとこ見たかったな」
「ぐっ、ごほん。……あー、ユイハルは、カピが好きか」
ユイハルはあっけらかんと答えた。
「そりゃそうだろ。カピは可愛くて賢いし、何より俺に懐いてる!」
今度はラースが「ぐっ」と喉を詰まらせた。
「ほほう、懐いておるか」
妙な会話を止めさせたくて、ラースは人の姿になって二人の前に飛び出した。
「お、終わったぞ!」
「え? もう。カピちゃんとゆっくり食えたか? ――って、おまえが草をくわえてどうすんだよ」
ユイハルは笑って、ラースの口から食べかけた草を取ってその辺に捨てた。
そのまま歩き続けるので、ラースも少し遅れてついていく。
妙なタイミングで人に戻ってしまったから、口の中が青臭い。
ちゃんと消化できるだろうか。あとで腹が痛くなったりしないだろうな。
いや、草の抽出液を飲んでも大丈夫なのだ。きっと平気だ。ラースは自分に言い聞かせた。
「それにしても、そなたは意外と旅慣れているな」
あからさまな話題変更のせいか、ユイハルは一瞬片方の眉を上げた。
そして、いつものように尊大な態度で頷いた。
「当然だ。聖騎士だからな」
「いまさらだが、そなた単独で行動していていいのか? 騎士なら隊を組むのでは」
ユイハルは何が不服なのか眉を寄せている。
「……また、そなた、か」
「うん?」
小さなつぶやきではあったが、ラースは聞き逃したわけではない。
ただ、言われたことの意味が分からなかった。
名前で呼ばれるのが嫌だと言ったのはそっちだろう。今度は何が不満なんだ。
ユイハルはしかし、次の瞬間にはそれを忘れたかのようにふるまった。
手を頭の後ろで組んで、空を見上げる。
「うーん、隊に入るには、まず成果を上げなきゃならないな。俺には後ろ盾がないし。それに、先輩たちも俺にならできるって送り出してくれたんだ! 期待には答えないとな」
ユイハルの暑苦しい笑顔を見て、ラースはひそかにグーと視線を交わした。
騙されているのでは?
じゃなければいいように利用されているのでは?
ラースは自分を棚に上げて、ユイハルのことが心配になった。




