3 ユイハル、名前を教える
ティータイムが終わったところで、話し合いの再開だ。
「邪神は当面、ユイハルに預けるのがよいじゃろうな」
「そなたには負担をかけるが、頼めるか?」
「毎晩よちよちねんねとしてやるとよいじゃろう」
「添い寝はしねえよ!」
まったく、真面目な話かと思えばすぐにからかってくる。ラースまで真顔で「ははは」と笑っているし。
それはどういう笑いだよ!
「それと、錬金術師捜索の件じゃが、ユイハルとラース、二人に任せたいんじゃ」
「何を言うんだ、グー! この者と二人で?」
「なんだよ、嫌なのかよ」
ユイハルが睨むと、ラースはさっと目をそらした。
「無表情だろうが、そういうのは伝わるんだからな!」
「……嫌なのは、そなたのほうだろう」
言われて、ユイハルはムッと口を尖らせた。
ユイハルは子供には懐かれるほうだ。これまではそう思っていた。
孤児院の子供たちも、先程の村の女の子だって少し話せば懐いてくれた。
けれどラースとの距離感を掴みかねている。
だいたい、ラース自体が謎だ。
しゃべり方は古風で偉そうなのに、ポケットからドングリを取り出す。
剣や魔法の腕前は確かなものだし、尊敬できると思いきやたかだか腹痛くらいで大騒ぎする。
非常にマイペースなヤツかと思えば、「殺してくれ」なんて思いつめたことを言う。
ユイハルは髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。
わからない。本当にわからない。こいつと二人きりで出かける?
「……だいたい、旅先で腹が痛いとか言われたら、俺はどうすればいいんだ?」
何気ないつぶやきだったのだが、ラースのほうがピクリと反応した。いや、よく見ると小刻みに震えている。
「本当だ! グー! やはりグーがいなくては」
「何を言っておるんじゃ、おぬしは」
「グーはなぜ行けないんだ? 用事があるのなら、待てば済む話だ。――一緒に行く、それでいいだろう」
「ラース、おぬし……弱くなったのう。そんなことでは、わしの弟子は名乗れんぞ」
「なっ!」
ユイハルは二人のやり取りを見て、眉間にしわを寄せた。
じゃれているようにしか見えないのはなんなんだ。
それに、どうもグーはさっきからチラチラ同じ方向に目をやっている気がする。
「グー、そっちに何があるんだ?」
ユイハルが尋ねると、グーは目に見えてびくりとした。
「そっちは、グーの酒庫だが……」
ようやくラースもおかしいと気づいたのか、じっとグーを見た。
ひんやりした部屋に並ぶ大小さまざまな甕や酒瓶や樽を見て、ユイハルは目を見張った。
酒の量や種類もすごいが、もっとすごいのはこの空間だ。
「なんだここ……。すごいマナだ」
グーはごそごそとその中から茶色の瓶を取り出して、頬ずりした。
「この辺りが飲み頃なんじゃ。今を逃せば悪くなってしまう」
「それは大変だ」
「邪神の封印より大事なことか!?」
一口どころか一滴で寝るくせに?
ほろ酔い計画だってとん挫したくせに? 薄めると美味しくないとか言って。
ユイハルはとっさに、グーから酒瓶を奪った。
「何をする気じゃ!」
「……ブランデーか」
「ユイハルおぬし、酒がわかるのか」
「そりゃ、接待の準備とかあるし」
ユイハルはニッコリと笑って酒瓶を掲げた。
「いいこと考えた。消費に協力してやる!」
グーのためにブランデーケーキを焼いたことで、グーは納得して一緒についてくることになった。
その分ユイハルはどっと疲れてしまった。
ユイハルはよろよろと湯殿に向かった。いつでも使っていいとは言われているが、これまでは、なんとなく遠慮して隅の方で体を洗うだけに留めていた。
もう遠慮はやめだ。ど真ん中でゆっくりしてやる!
半分ヤケで湯船に浸かっているところへ、カピがぽてぽてやってきた。
カピはユイハルを一目見たあと、魔法で器用に体を洗ってから湯船に飛び込んだ。そのまま出てこない。
心配になってきたころ、ぷかりと鼻先を水面に出した。
ユイハルは笑み崩れて、カピを手招く。
カピは素直に隣に並んだ。そのくつろいだ顔を見て、ユイハルはまた笑いそうになる。
誰かさんよりカピの方がよほど表情豊かだ。
「カピ、温泉気持ちいいな」
「キュ」
「あー、俺の癒しはカピだけだよ」
「キュキュ?」
「あ、信じてないな」
わしわし頭を撫でてやるとカピは目を細めた。
ユイハルのくさくさした気分も宥められ、ついふざけたくなった。
「カピって言葉がわかるんだろ? ユイハルって呼んでみろよ」
「キュイ?」
「キュイじゃなくて、ユイハルだよ。ユ・イ・ハ・ル! ほら」
「……キュイキュィ」
「うん?」
「キュイキュイ」
「あ、呼んだ! ――じゃあ、グーは?」
「キュウ」
「俺」
「キュイキュイ」
「なんだよお前、ホント賢いな! カピー!」
感極まって抱きつこうとしたら、ひょいと逃げられた。
カピは外に出てブルブル体から水気を飛ばして、走っていってしまう。
「……照れたのかな」
見えなくなるまで見送って、ユイハルはふっと笑った。
それにしても、カピときたら本当に素直だ。人の名前を頑なに呼ぼうとしないあいつと違って。
「まさか覚えていないとかじゃないよな?」
すました顔を思い出して、ユイハルは眉を寄せた。
湯殿から出ると、ユイハルは旅の準備を始めた。
と言っても、そんなものすぐに終わってしまう。
ユイハルはため息を堪えて、広い部屋を見回した。
大きな窓。美しい模様が彫られたベッドや家具。花の模様が織り込まれたカーテン。
この部屋はおそらく、高貴な女性が使っていたものだ。
いつまでも馴染めないのは、そのせいか。
それとも、鏡台に置かれた邪神入りの瓶のせいか……。
ユイハルはどっさりとベッドに身を投げた。
「やっぱ、俺の癒しはカピだけだ」




