2 ラース、「嫌い」が引っ掛かる
村の入り口で、子供が大きく手を振っていた。
「そなた、ずいぶんと子供の扱いに慣れているのだな」
「そうか? 普通だろ?」
子供相手にひらひらと手を振り返しながら、ユイハルが答える。
そうだろうか。ラースは内心首を傾げた。
ユイハルは率先して子供を背負い、怖がらないよう話しかけていた。そのせいか、村に着いたときには「行かないで!」と泣きつかれていたのだ。彼は笑って頭を撫で、なにか一言か二言いうだけで、あっさり少女を納得させていたが。
ラースなどはそもそも、あのとき子供を村まで送るという発想自体がなかった。彼を見ていると、なるほど善人とはああいった者のことをいうのかと、納得してしまうほどだった。
ちなみにグーは一足先に邪神の瓶詰を抱えて帰った。
「邪神の影響が心配じゃ」
などと言っていたが、妙にそわそわした様子だった。
屋敷に戻ると、さっそくグーの部屋へ行き話し合いだ。
グーはいつも通り自分のイスに座り、ユイハルはソファー。ラースはユイハルの隣に立った。
「座ればいいだろ」
「……うん」
とはいえ、先程面と向かって「嫌いだ」と言われたばかりだ。頷くだけに留めて、ラースは立ったままグーに続きを促した。
「それで、グー、邪神の様子はどうだ」
「結論から言えば、これでは不十分じゃ。こやつはまた抜け出すじゃろうな」
グーは邪神の瓶詰を指先でつついた。
「これではいたちごっこじゃ。根本的な解決のためには、再びあの規模の結界を張るしかあるまい」
「だが、グー、屋敷にある触媒はすべて邪神の影響を受けてダメになってしまっただろう?」
「それだけではないぞ。素材を最適な形に作り変えるためには、錬金術師の協力も必要じゃ」
「錬金術師? 魔法使いと違うのか?」
ユイハルが首を傾げると、グーがキラッと目を輝かせた。
「よい質問じゃな! わしやラースが使う魔法は、マナそのものに働きかけているのじゃ。例えばこうして炎を出しても――」
言いながらグーは指先に炎をともした。
「周りに燃え移らん限りは、わしがなにもしなくても自然と消えてしまうものなのじゃ」
「へ、へえ……」
「なぜかはわかるの、ラース」
「マナは流れるものだからだ。その場にはとどまらない」
「樽に入れた酒も、年月が経てば人が飲まずとも自然と中身が減っていくものじゃ。あれと一緒じゃな」
「……そうか?」
ユイハルが首を傾げるも、グーはお構いなしで続けた。
「そう、あれは天使のわけまえと呼ばれておってな」
「グー、話がずれている。簡単に言うと、魔法は基本的に瞬間的な力であり、錬金術はマナを物に定着させる術なのだ。先程、グーが出した炎はすぐに消えたな。しかし、錬金術師がランプを作り、そこにグーがマナを込めたならそのランプはグーが込めたマナが尽きるまで燃え続ける。結界も、同じ原理でできていた」
まあ、結界の維持に必要なマナは邪神から搾り取っていたのだが、今はそこまで説明する必要はないだろう。
ユイハルはじっと黙り込んでいたが、やがて視線を上げた。
「わかった。細かいことはともかく、結界の素材と、錬金術師を探せばいいんだな?」
「うむ。認識であっておる」
「……長くかかりそうだな」
ユイハルはため息に混ぜるように小さくつぶやいた。
ラースはそんな彼を盗み見る。人の役に立つのが夢だと言っていた。今日、子供を助けたことで彼は教会に帰りたくなったのかもしれない。
ふと浮かんだのは食卓を囲う光景だ。
彼がいなくなれば、あの柔らかなスープの匂いをかぐことは、もうなくなってしまうだろう。
「よし、俺、ちょっとお茶でも入れてくるわ。のどか湧いただろう?」
「……そう、だな」
ラースがうなずくと、返事を期待していなかったのかユイハルは軽く目を見開いた。
「わかった。じゃあ、ラースの分も」
そして屈託なく笑うのだ。
先ほど「嫌い」と言ったその口で。
わけがわからない……。
「なにかあったようじゃな」
ユイハルがいなくなり、途端に静まりかえった部屋の中、グーが問いかけてきた。
「その、邪神の蓋の玉のことだが……」
「今すぐには返せんぞ?」
「構わない。だが話しておかないと。――それは、魔獣だったものだ」
「なんじゃと?」
「ユイハルが魔獣化したオオカミの子を憐れんで、祈りを捧げたんだ。そのとき、マナのゆがみが神聖力によって正されて、魔獣ではなく、オオカミの死骸になった。死骸は光の粒になって消えてしまったが、あとに小さな石が残されたんだ」
「そうか、……ユイハルはやはり……」
グーはしばし考えこんだが、ラースのことを忘れたわけではなかった。
「それで、ユイハルはなぜおぬしにそれを預けた」
「わからない。だが、お守り代わりに持っておけと言われた」
「ほう」
「心配をかけたのだと思う。私は、彼に言ったんだ。私のことも、――殺してくれと」
恥とは別の感情が胸の奥から湧いてきた。
あの時、ユイハルはどんな顔をしていた?
ラースは彼を見てもいなかった。傷つけたんじゃないのか。
「あんなこと、言うべきではなかった。背負わせるべきではなかった!」
ユイハルは、「約束はしない」と言い切ってくれたけれど。それでも――。
「……なんじゃ、わしにはあっさりゆだねるくせにのう」
「え?」
「さっきのあれだってそうじゃ。邪神の捕獲に失敗したとしても、わしがなんとかすると思っておったんじゃろう。わしだって、弟子を手にかけるなんてこと、しとうないわい!」
グーが拗ねたように言うので、ラースはあっけにとられた。
「てっきりグーはそのつもりで私と一緒にいるのだと……」
「今は状況が変わった。ユイハルはわしらの希望じゃ。――逃がすなよ?」
グーは意味ありげな笑みを浮かべる。
「すでに嫌われてしまった」
「さて、それはどうかの」
グーは肩をすくめ、ふと扉の方へ目をやった。ラースの耳にもユイハルの足音と、食器がカチャカチャいう音が聞こえてきた。
「ユイハルが来たようじゃ、手がふさがってるじゃろうから扉を開けてやるといい」
言われた通り扉を開けると、ユイハルは驚いたようだった。
「おー、助かるよ。どうやってノックしたらいいか困ってたところ」
……話は、聞かれていないようだ。
ユイハルが手にしたトレイには、ティーポットが二つとカップが三つ。
手間だろうに、ラースの分はきちんと分けてくれている。
まだ口をつけてもいないのに、腹のあたりがじんわりと温かくなった気がした。




