6 ユイハル、憤る
「なんにしても今、邪神の再封印のためにユイハル、おぬしの力が必要じゃ」
「俺の力が……!」
ユイハルはこの手の誘いに弱い。一瞬にして流されそうになったが、何とか踏みとどまった。
彼らが何者なのかは、いまだによく分からなかった。
百年前の人間を騙るなんて、どう考えても無理がある。
まして、ユイハルのあこがれる大魔法使いグースレウスを! あんな優男が!
ユイハルの中では、大魔法使いと言えば、長いひげの老人のイメージだった。
「俺には、聖騎士としての務めがある」
「なんと! ではおぬし、この悪しき存在をこのまま放っておくというのか!」
ユイハルはギクリと肩を震わせ、思わず息を詰めた。
もちろん、そんなことはできるはずもないが。だが、どうにも腑に落ちないことがあった。
「アレが、邪神かどうかはともかくとして、ひどく弱っているように見える。そのまま倒してしまうんじゃダメなのか?」
「倒せるかもしれん。だが、現状、邪神が滅べばラースも死ぬ」
「え!?」
ユイハルは慌てて、ラースを見た。
自分の話題なのに、彼は無表情のまま誰とも視線を合わせようとはしなかった。
それが妙に気に障った。
「それってつまり……」
「そう、ラースを殺せば、邪神もまた滅する可能性があるということじゃ」
全く想像もしていなかったことを言われて、ユイハルは目を見開いた。
「そんなのダメに決まってる!」
その瞬間、大魔法使いを名乗る男はわずかに口の端を上げた。
試されたのだと分かって、ユイハルはむしろホッとした。
ところが、当の本人が「なぜダメだと思う?」などと首を傾げた。
「グーが反対するのはともかく、そなたと私は初対面だ」
ユイハルは耳を疑い、思わず声を荒げた。
「じゃあお前、誰かに死ねって言われたらそうするのかよ!」
「いいや? あの時ならともかく、今となってはそんなつもりは毛頭ない」
――もう、言われたことがあるのか。
こんな小さな子供に?
ユイハルの胸にモヤモヤしたものがわだかまる。
ユイハルはこぶしをきつく握る。
「そんなもんは関係ないんだよ! 俺は人を助けたくて聖騎士になったんだ! 一度でも誰かの犠牲に目をつぶれば、俺は俺自身を許せなくなる」
「つまり、自分の為か?」
ラースの反応はどこまでも淡白で、ユイハルはたじろいだ。
「え? うーん……。そうかも?」
「それならば納得できる」
「納得って! おまえなあ!」
「よすんじゃ、二人とも。まったく若いもんは血気盛んでいかんの。そんなことよりもおぬしに試してほしいことがあるのじゃ。ラースよ、すまぬがそこの棚から一つ素材を取ってくれんか」
「これでいいか」
そう言いながらラースがテーブルに置いたのは、黒くてごつごつした石だった。
「この部屋にあるものが、どれだけ邪神の影響を受けているのか知りたい。ユイハルよ、これに手を当て神に祈るのじゃ!」
ユイハルはしばしの逡巡のあと、フィデーア様に祈りを捧げた。
すると石から、黒い煙がムワっと湧き出してきた。
ユイハルは「わっ!」と声を立ててのけぞったが、グーとラースは身を乗り出して観察している。
三秒ほどの沈黙の後、グーは慎重に石を手に取った。彼が「むっ」と眉を寄せたとたん、大きな亀裂が走り、石はぽろぽろと崩れ落ちて床に散らばった。
「ああ!」
ユイハルはさっと青ざめ、必死に欠片を拾い集めた。
もとに戻らないとわかっていながら、そうせずにはいられなかった。
「ふむ、どうやら想定以上に邪神の力がしみ込んでいるようじゃのう」
ラースが近づいてきたと思ったら、拾い損ねていた欠片をひょいとつまみ上げた。
「これでは、触媒としては使えないな」
「触媒?」
って、なんだ?
混乱するユイハルに、彼は涼しい顔で頷いた。
「結界の維持に必要な、マナのこもった素材のことだ」
「これ、やっぱり大事なものだったのか……」
聖騎士になる前は、教会が運営する孤児院にいた。そこでは、備品を壊すと鞭で打たれた。でも外の人間はもっと厳しいのだと教えられた。だったら、この人たちは――。
「案ずるな」
その言葉はユイハルをさらに不安にさせた。罰の前にはいつも同じ言葉をかけられたのだ。「安心しなさい、この試練に耐えさえすれば、神は必ず許してくださる」と。
ユイハルはおそるおそるラースを見上げた。
彼の表情からは何の感情も読み取れなかった。
何を要求されるんだ? 金か? それとも――。
「これはいわば、経年劣化のようなもの。ここまで邪神の汚染を受けていては、もはや素材として使うことはできない」
「そうじゃのう。決しておぬしのせいではないぞ」
……え?
ユイハルはぽかんと二人の顔を見比べた。
「ゆ、許してくれるのか……?」
「許すも何も、わしがおぬしにやれと言ったんじゃぞ? それに先程ラースも言った通り、こいつはもはやわしらには無用の長物じゃ」
ホッとしたのも束の間のことで、ユイハルはさらなる事実に気づいてしまう。
「こういうの、まだあるんだよな」
ぞっとして、素材を持ってきた棚のあたりに目をやった。
「邪神の汚染って、危険なんじゃないのか! そうだ、持ち帰ってフィデーア様に浄化を頼んだほうが!」
「それはやめておいた方がいいだろうな。確かに私たちには不要だが、呪いを扱う者の目には魅力的な邪物と映るだろう。もしも悪しき心を持つ者の手に渡れば、新たな邪神を生みかねない」
「そんな!」
「そうなる前に壊したほうが良いじゃろう」
「壊すって……」
「そう、おぬしがやるんじゃ、ユイハル。おぬしにしか出来んことじゃ。それが、世のため人の為なんじゃ!」
「世のため人の為……、俺にしか出来ない……」
ユイハルは呆然とつぶやいた。




