5 ラース、常識の違いに戸惑う
ユイハルが小ぎれいになったところで、再びグーの部屋へ戻った。
グーはいまだカピバラのラースに向けて、しょんぼりした顔で念話を送ってきた。グーはいまだ邪神の入った甕を抱えていた。
「(ラースは協力してくれる気はないのかのう……)」
ラースはくるりと背を向け退出し、ユイハルの見ていないところで人間の姿になる。
グーがラースに弱いように、ラースもどうしてもグーに弱いのだ。
グーはユイハルにソファーをすすめると、ラースにも着席を促した。グー自身は研究机のイスに座る。
カピバラならともかく、人間の状態でユイハルの隣に座るのは少し抵抗があったため、ラースは戸口に背を預けた。
微妙な沈黙のあと、口火を切ったのはユイハルだった。
「湯殿を貸していただき、ありがとうございます」
まず彼はきっちりと頭を下げた。そうかと思えば、きっと目を吊り上がらせる。
「それで、こっちは名乗ったぞ、そっちはどうなんだ!?」
ユイハルは結局半端な敬語をやめることにしたらしい。
グーが許してしまったから、ラースとしても文句を言う気はない。
温泉のぬくもりが残るせいか、ラースは寛容な気持ちだった。
「私はラース。そちらは大魔法使いグースレウスだ」
「大魔法使いだって……?」
ユイハルは大げさに顔をしかめ、疑わし気にグーを見た。
「こんな若造が、百年前に邪神を封印して死んだ、あの大魔法使い?」
ラースは思わずグーと顔を見合わせた。引きこもっている間に死んだことにされたことはともかくとして……。
「百年?」
「もうそんなに経ったかのう?」
「まだからかう気なのか! 俺は、聖騎士だ! 聖騎士なんだぞ」
「別にからかってはおらん。ただのぅ……」
「そんなもの、私たちが“存命”だったころにはなかったものだ」
「聖騎士を知らない……? そんなことあるわけ。――そうだ、魔石!」
グーに向けられていた視線がこちらを向いて、ラースはさっと目を伏せた。
「魔石?」
「さっき魔獣を倒していただろう。回収しなくていいのか?」
一体何の話をしているのか。どうにも話がかみ合わず、ラースは顔には出さなかったもののかなり戸惑っていた。
「……そんなもの拾ってどうする」
「どうするって、フィデーア様のお力で浄化するんだ。魔石を集めて浄化することで、邪神の力を弱めるんだよ!」
「無意味だ。魔獣の残骸なぞ、邪神にとって何の価値も持たない。それに魔獣の塵も魔石も、放っておけば本来の魔力の流れに還るものだ」
「は? でたらめを言うな! だいたい、それが邪神だってことから怪しいんだ!」
こいつ話を聞く気があるのか、ラースが少年を睨んだそのとき、グーが手を一つ叩いていさめた。
「そこまでじゃ! どうやら互いに大きな齟齬があるようじゃ。ラースよ、その子を責めるんじゃないぞ。そのように教え込まれておるんじゃろう。そしてユイハル、これが邪神と信じられぬならそれでも良い。ただ、自由にしてはならぬものだとは理解できるな?」
「それは……、わかる」
大魔法使いのめったに見せぬ威厳の前に、さすがにユイハルも生意気な口を閉ざした。
「事故のようなものとはいえ、おぬしが結界を壊したことは事実じゃ。先程、大丈夫かと聞いたな? 結論から言えばまったく大丈夫ではないぞ!」
ユイハルはそう言われ、ぐっとくちびるを嚙んだ。
「邪神は今、おぬしの力を浴びるのを嫌い、自ら引きこもっている状況じゃ」
なるほど、それでか。邪神がユイハルの力を完全に防いでいるから、ラースにも影響がないのだ。
「つまり、早急に新しい結界を作り直さねばならんのじゃ。手を貸してもらうぞ、ユイハル」
「ええ!?」
グーの話を黙って聞いていたラースはここで口を挟んだ。
「彼の力が必要なのはわかったが、彼はまだ子供だ。保護者の許可がいるのではないのか」
あとから保護者が現れて、半端なところで中止になるのは困る。
「なっ! 子供だって、そっちの方が子供だろうが!」
「魔力のせいだ。魔力を多く持つものは成長が遅いんだ」
言いながら、ラースはちらりと自分の姿を見下ろした。
本当にそれだけだろうか。
グーのようにマナを極めた者ならば、不老になってもおかしくない。
だが、ラースはまだその境地に達していない。だとすると肉体が一向に成長しないのは、呪いのせいなのかもしれない。
――今は、自分のことよりも彼のことだ。
ラースは小さく首を振り、余計な考えを追い出した。
「見た目はどうあれ、私はそなたよりも年上だ。それより、どうだ。外泊の許可はいるのか?」
「聖騎士にそんなもの必要あるか! 俺が教会に帰るときは、魔石を持ち帰るときだ!」
ユイハルはなにやら拳を握ってやけに力強く言い切った。そのあとぽつりと「あと、報告の時」と何やら付け足していたが。
「まあ、魔石については止めはせぬ。じゃが、浄化ならおぬし自分でできるじゃろう。いや、待て。教会に行けば、他にも神聖力の使い手がいるのか? それなら興味があるのう!」
「神聖力がどうとか? そんなの聞いたことがない」
グーが目をきらめかせると、ユイハルはソファーの背にピタリとくっつくようにのけぞった。
彼らが話す間、ラースは腕を組み、考え込んでいた。
なんにせよ彼は、あの強固な結界を剣の一振りで壊した。先程も邪神を跳ね返した。
なぜこれほどの逸材を、教会とやらは彼を野放しにしておくのだろうか。
おそらく、教会は彼の潜在能力に気づいていないのだ。そうでなければ彼は、今頃幽閉されるか、もしくは象徴としても持ち上げられたか――。
いずれにせよ、何らかの形で利用されていたはずだ。
ならば、これは千載一遇の好機だ。
予感がする。
彼がここでグーの教えを受ければ、後世に名を遺すような存在になると。
いずれは、大魔法使いに肩を並べるような――。
ラースはグーと視線を交わした。
そして彼の想いも一緒だとわかった。
邪神の封印維持のためにはユイハルの協力が必要だ。
なんとしても彼を丸め込まねば。
悠々自適な生活を、維持するために。




