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第七話 ビスケットとミルク


 妖精の国の空はピンク色をしている。雲は虹色で、太陽は星を集めたようなとげとげとした形をしている。


僕は昼寝が好きだ。と言っても妖精はみんな好きだが。さら美様に呼び出されない間はごろごろと過ごしている事が多い。


しかし大学という所にご入学されてからはあまりそうもしていられない。

嬉しい事に呼び出してくださる事が増えたし、こちらに帰っている間もあちらの様子が心配で、おちおち昼寝などという気分にはならないのだ。


 妖精の国からでもさら美様の様子を見る事は出来る。そういう『鏡の池』がある。

空から覗いたような視点で映し出されるが、指で軽く水面を撫でると近付いてお顔をよく見る事も出来る。

しかし音やお声は聞こえない。

池なので持ち運べもしない。

なのであちらの世界でさら美様がお使いになっている『すまほ』とやらの方が高性能と言えよう。


 ノックをすればビスケットが出てくるかまどに寄って、ポケットにたっぷりと詰めてきた。

美味しいミルクが湧き出る井戸にも寄って、しっかり二人分瓶に注いできた。


僕ら妖精は空腹にならない。

木漏れ日の光だとか透き通った水面の煌めきがあれば生きていける。

けれど木の実だとか葡萄酒だとかチーズだとかも好きだ。

「心の栄養なのね。わかるわ、私達もおやつを食べるもの。」とサラミ様が言っていた。


 心の栄養。だと言うのなら今、彼には至急、たくさん必要だろう。

「モコモコ。」

鏡の池のそばに座り込んでいるというのに、そちらには背を向け膝を抱えている。


ドーナツ屋に入った所で帰還させられた、それからずっとこうなのだ。

音は聞こえないのだから背を向けていてはここに居る意味も無いだろう。そう言っても動かない。


 ふわ子様に再び呼び出されてからしばらくは、羽根でも生えたかのように軽やかに、浮き立つ心を歌に発散させながらこの鏡の池に通っていた彼だったが、水面を眺めている朗らかな顔はある日硬直した。

「誰だろうこの男の人。」

水面は僕の目にはさら美様を見せ、モコモコの目にはふわ子様を見せている。だのでそう言われても僕にはわかりっこない。

けれど様子を聞いている内に思い当たる節があった。


「ふわ子様は今世で男の恋人がいるらしいと、さら美様が言っていた。」


 記憶が無くなっている以上不貞などとも言えないのだろう。行く宛ての無い想いにさら美様も酷く傷心なさっていたが、モコモコもまたやるせない絶望を感じているようだった。


 サラミ様に「恥ずかしいから見ないでほしい。」と林檎のように赤らめた顔で懇願されるまでは、サラミ様とフワコ様の恋人同士二人きりでする行為という物をモコモコと僕で鏡の池から見守ったりしていた。


仲睦まじい様子は喜ばしいので「フワたん、サラたんの頭をたくさん撫でているね。」「サラミ様もあんなに嬉しそうにしている。」と和やかに眺めていたのだが。


 モコモコは知らない男とふわ子様がそのようにしている様子を目にしてしまったらしい。

気分の良い話ではないからと、ふわ子様に他の恋人が出来ていた事をさら美様も僕もモコモコにすぐに伝えられなかった。


心構えをさせてやれていたならと悔い謝罪したが、モコモコはそんな事はどうでもいいとでもいうように「こんなの嫌だ。フワたんはサラたんを愛していたのに。」と開ききった瞳孔を刺さらんばかりに男に向けていた。


 男と直接対峙したのはモコモコも今日が初めてだったらしい。

僕らはサラミ様とフワコ様をお護り出来なかった自らの非力さを呪い、妖精にはあるまじき事だが、どうしたらこの細腕でも敵から主人を護れたのかと、少々物騒な手段を考え尽くす日々を過ごした。

その為だ。モコモコを止めなければ。彼の腕を掴むのに一秒も有さなかった。


 ビスケットを分けるとモコモコは不貞腐れた顔ながらも一枚二枚と手に取って頬張る。

僕も隣に座り、しかし僕は水面を眺め、ビスケットをかじった。


 さら美様と一緒に居るのだ、僕にもふわ子様のご様子が見える。恋人だという男も。


 さら美様の事だ。ふわ子様に気を使い友好的に乗り切るのだろう。

不安があるとすれば帰宅後お一人になられた時に食事も喉が通らない程落ち込まれる事だ。

人間は生命活動に食事が不可欠だ。しかしなんとか口に含んだところで、味わう余裕も無いのならばどんなに新鮮なミルクも芳香なビスケットも心の栄養になりはしないだろう。


そうだ、モコモコはどうだろうか、と一抹の不安が過ぎり尋ねる。

「美味いか。」

「美味いよ。」


杞憂だったようだ。モコモコは切り替えが早い。ころころと気分が変わるし、それはそれこれはこれといったような割り切り方が上手い。


かといって心底悔やめば文字通り心の底にずっとそれを飼っているし、滅多に怒ったりしないがいざ怒った時の瞬間出力といったら面をすり替えたのかと疑う程だ。


だので今、ミルクとビスケットで彼の眉間のしわが薄まろうとも、注意をしておかねばならない。


「おまえ、ふわ子様と恋人の男二人きりの時に呼び出されたらどうするつもりです。」


刃物が近くにあれば手に取って目を切り裂くか、紐や長い布があれば首を絞めるか、レンガなどがあれば頭をかち割るでも。

その気になって考えてみれば人間を害する事など主人のそばでさえあればいとも簡単だった。

モコモコとてそう感じていたろう。


「⋯なにもしないよ。

愛してる人が目の前でわけもわからず血を流して倒れたら、ふわたんを悲しませて、恐がらせてしまうもの。」


そう言って項垂れるモコモコの目はまるで遠くを見るように虚ろだ。

数刻前の殺意に満ちた獣は目の錯覚か?


「僕が抑えてなければ飛びかかっていたでしょうに。」

「飛びかかっていたよ!いいでしょどうせ噛み付いても殴っても触れられやしないんだから!」


その辺に水でもあればぶっかけていたかもしれないけどさ、と酒のようにミルクをぐびぐびとあおる。

少し足を伸ばして樽から葡萄酒を頂戴して来てやった方が良かったかもしれない。


「イヒはふわたんの望みを叶える為にいるんだ。

ふわたんの幸せを祈ってるんだ。

本当なんだよ。嘘じゃないんだよ⋯。」


僕とモコモコも長い付き合いだ。

涙声になっていく声に、彼が今どんな顔をしているか見なくても容易に想像出来る。泣く時も突然決壊したように涙を溢れさせる奴だ。


 さら美様とふわ子様、お二人が共に見えるよう鏡の池には少し遠目にその様子を映させている。

朗らかに男に微笑みかけているふわ子様のお顔はとても幸せそうだ。

そんなふわ子様をさら美様は愛おしいとばかりに目を細めて眺めては、手に入らぬ物だと思い出したように目を逸らし、しかしやはりそれでも愛おしさに満ちた瞳でそのお姿を視界に収め、たまに投げやりに笑ってみせている。

モコモコのように一面一面が素直で激しいわけではないが、心の中がちぐはぐで困っているのは同じだろう。


「複雑な気持ちになるのも無理も無い。

少しずつ絡まった糸をほどく時間がいるのだろう。

さら美様にも、おまえにも。」


僕とて以前のフワコ様を慕っていた。

サラミ様とフワコ様の愛が永遠に続くものだと信じていたし、この現状は誰も望んだ物では無いと不服に思う。


けれど生命が一度途絶えた、死して生まれ変わったという事実は重く受け止めるべきだろう。

僕が僕でしかいないように、モコモコもモコモコでしかいない。誰も「続き」など出来はしないはずなのだ。


「おかしいのはふわ子様に記憶が残っていない事では無い。

さら美様に記憶が残っている事の方が、おかしいと言うものだ。」


 モコモコは器用にも泣き出すのをぴたりと止め、わざわざ背を向けて見ないようにしていた水面が視界に映る事もいとわず僕に振り返る。

急になんだと目をやれば、予想外に力強い眼差しと衝突した。


「リリーカル国のあった世界に行けないかな。

妖精の国から通じていた世界は元々あっちだよね?

魔女は妖精の国に平気で干渉してきたんだもの。」


そうだ、最初は僕ら魔女に捕まって道具を媒体に使役出来るように魔法をかけられたのだ。

愛すべき主人に巡り会ったおかげで恨んでなどいないが、例えばその魔女もあちらの世界でまだ生きていてもおかしくない。


「さらたんがどうして記憶を引き継いで生まれ変われたのかわかるかもしれない!

そうしたらふわたんの記憶の取り戻し方も見つかるかもしれないよね!」


羊のようにふわふわした奴だと思っていた、妖精の中でもとびきり阿呆だとも思っていた。

しかしどうだろう、二つの世界ひっくるめて、全世界一、この羊は天才かもしれない。

少なくとも賢い振りをして諦めてしまっていた僕よりも。


まだ残っているビスケットを頬袋に詰め込み僕らは駆け出した。


待っていてくださいさら美様。

今度こそこのチクタク、あなたの幸せを叶えるお力添えが出来るかもしれません。



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