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第六話 納戸色


 平日十六時の店内は昼時の喧騒を残してはいるものの、席の確保は必要無さそうだ。

挨拶は据え置きとりあえず入店した私達は、各々トングとトレーを手に取りショーケースからドーナツを選ぶ。


「どまんなかぐらしのコラボまだあって良かったね、色君。」

「うん。」

キャラクターを模した可愛らしい造形のドーナツを三つもトレーに乗せ、男は満足そうだ。


城壁と呼ぶに相応しい図体をしておきながらこの男、幼子より何オクターブも低いテノールで「うん」ですって?

あらそう貴様そういった物がお好き?

可愛子ぶるんじゃないわよ母性をくすぐるなんていうのはね精神が幼稚で未熟で甘ったれだという事をていよく許容させているだけなの騙されないでふわ子。



✿❀✿❀



 席に座る際、ふわ子は私とこの男どちらの隣に座るのだろうか。

こういう時って大概は彼氏の隣なんだろうな。

視界にずっとツーショットで映るの?物凄く嫌だけど?今からでも逃げていい?

なんて戦々恐々としていたせいで、ドーナツを選んでいる間の記憶が無い。

何取ったのかしら私これ。なんで取ったのかしら。選んだ事無い商品だわ。


 けれどそんな心配は杞憂で済んだらしい。

ふわ子はいつも目に付いたすぐそばの席に座るきらいがある。至極どこでもいいという人間なのだ。

幸いにもこの店の会計後の動線に待ち受けている席は丸型のテーブルだった。

ふわ子の右隣はこの男であるけれど、左隣は私だ。

助かった。しかしという事は私の左隣がこの男という事になる。私は椅子を引いて座る際、さりげなくふわ子側に寄せた。


 結局私は一人でこの地獄に立ち向かっている。

ドーナツ屋に入った時、チクタクとモコモコは呼び出してから二時間が経とうとしていた。

そう、妖精の国に帰らなければならない制限時間が来てしまったのだ。


最悪のタイミングだが、これで良かったかもしれない。あんなに嫌悪をあらわにしているモコモコは初めて見た。


 妖精は本来通じぬ者には触れられない。主人という契約は残っていながら、その姿を視る事は出来ないふわ子はモコモコをすり抜けていたように。

けれど主人のすぐそばであれば、触れようと念じた物体、生命体以外の物に対してのみ触れる事が出来る。つまり、例えばモコモコがこのアイスティーを男にぶっかけるなんて事は可能なのである。


 ふわ子が望む以上平和的にこの場を無難に済ませなければならない。モコモコと私、二人も危険因子がいてはチクタクが可哀想⋯、いえ、私には攻撃をするような度胸も無いとチクタクはわかっているかもしれないけれど⋯。


 「それじゃ紹介するね。さら美、こちら彼氏の色君。医科大学の三回生。」

「もぐ、よろしく⋯。もぐ」

席に着いて早速頬いっぱいに食べてんじゃないわよ。


「花通さら美です。よろしくお願いします。三回生って、先輩だったのね。」

男の方にはなるべく目を向けずほとんどふわ子の方を見て話しているが、これはこの男への憎悪ではなくコミュ障の弊害だ。

情けない事に初対面の相手なら誰にでもこのザマだ。


「気にしなくていい。敬語で話されるの好きじゃない。」

「高校の時からそうだよね。」

「高校が同じだったの?」

「そうなの、私が高校一年生で色君は三年生だから一年しか被ってないけど、その時に付き合ったから⋯今年で交際四年かな。」


「へえ⋯。」なんて必死に平静を装って私もドーナツに手をつける。気を紛らわせたい。

学生恋愛で四年ってちゃんと長いわよね。受験や卒業のタイミングで別れなかったんだ。

ああ味、食べてもよくわからない。

今私ちゃんと笑顔でいられてるかしら。


 「花通さん納戸色って知ってる?」

「は?」


男から唐突に投げかけられた問いに思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。

何の脈絡?えっ?何?なんど色?

「知っ⋯てるけれど⋯。青緑っぽい色よね。」

昔ママが買ってくれたたくさんの色が入ってる色鉛筆にそんな名前の色があったわ。

濃くてほんの少し灰を混ぜたような⋯そう、


「あなたのインナーカラーの色がそれじゃない?」


この男のウルフカットの襟足がちょうどそんな色だ。それでこの話題かしら?


男は恐らく表情筋があまり柔らかくないのだろう。

けれど初対面の私でも彼が喜んでいるのだと不思議とわかる程に、無表情ながらぱああと瞳を輝かせた。いや、逆に器用ね。なにそれ。


「俺の名字、納戸っていうんだ。

なんどいろと書いて、納戸色(なんどしき)。」


ご両親随分ふざけたわね⋯?という言葉を飲み込む。

「珍しい個性的な名前ね。」

よし、ろ過成功。それを言うなら私とふわ子も大概なのだけれど、方向性がまた、奇天烈な。


「でもそう説明してもなんど色を知らないって人が多くて。だから高校入って髪にこのカラー入れたんだ。」

凹凸の多い細く大きな手でぴろんと襟足をめくって見せる。なるほど確かにそうして見せたら話が早い。そして多分強烈に印象に残る。


「やっぱりふわ子の友達だな。

ふわ子も初めて会った時、俺が言うより先にこの髪を見てなんど色だって言ってくれたんだ。」


いやあなた今誘導したでしょ⋯と思ったがふわ子が「それほどでも〜。」と得意げなので黙っておく。

なるほどこんな感じねあなた達。こんな感じで付き合ってきたのね。ふわ子も貴様ものびのびほわほわしているわけだわ。


ありがたい⋯のかはわからないけれど、なんだか気が抜けてしまった。

狼だと身構えていたら人懐こくておバカなシベリアンハスキーだった気分。


 敬語を使うなと言われた事もあって、想定外にスムーズに三人での会話は進んだ。執拗に惚気話を聞かせてくるでもない、それぞれの大学の話だったり地元の話だったり。


 気がつけばセットで頼んだドリンクもストローを回せばかしゃかしゃと氷だけが擦れ合い、結露が小さな水溜まりを作っていた。

ドーナツの食べ終わりは納戸色があまりにも早かったのだが、話しながら少しずつ食べていた私とふわ子の皿ももう随分空虚を乗せている。


 誰からともなくさあ帰ろうと立ち上がってもおかしくない空気だ。

ここは私から⋯と鞄を手に取ろうとした時だった。

「そういえば花通さん。」と納戸色に新しい話題を提供され狼狽える。

陰キャは心構えしてない事に弱いのよ。なんなの。区切り良かったのに今。


「リネン交換したい。ふわ子に大学で何かあったとか、連絡つかないとか、俺より花通さんの方がふわ子の家も近いし。助かるかも。」


えらくファンシーなカバーをしたスマホを取り出して納戸色はついついと画面を触っている。恐らくメッセージアプリを開いている。

ゆめちゃんもふわ子もそうだったけれど、なんでそんな軽々しく連絡先を交換しようと出来るのよ。


ふわ子は「なにも無いよ〜。心配性だなあ。」と呆れている様子だが、恋人が自分の友達と仲良くするのは歓迎派らしく嬉しそうだ。

困った。


 こればかりは本当に、ただただ私の今世での拗らせが悪い。ふわ子にも知っておいてもらった方が助かるだろう。

男性本人に向かって言うのは気が引けるけれど、他に上手く断る文句が思い付かない。

「⋯ごめんなさい、」

勇気を出して口を開く。


「私⋯小学生の時に嫌な思いをしてから、男嫌いを拗らせていて⋯。

男性恐怖症と言う程でも無いのだけれど、連絡交換はあまりしたくないの。

連絡が来るかもしれないってだけで不安になってしまうから。」


ああ本当にごめんなさい、空気を悪くしてしまう事を言って。あっけらかんと平気だったなら良かったのだけど、ふわ子の彼氏だからとかじゃなく今世では本当にずっと駄目だったのよ。


 反応が早かったのはふわ子だ。

「そうだったの?!」と店内に少し響く声量を出し、私の肩を両手でガッと掴む。痛い。


「じゃあ今日ずっと無理してた?!早く言ってよ⋯!知ってたら紹介したりしないのに!」

「いえ、まあ、でも、どんな人か、気になっていたから、良かったわよ。」

がくがく揺らされて舌噛みそう。

嘘は言っていない。無理してた事は否定出来ないけれど、紹介したいと思ってくれた気持ちだけは嬉しいし、どんな野郎かは本当に気になっていたもの。


「そういう事ならやめる。今日頑張って話してくれてたんだな。ありがとう。」


そう言うと納戸色はすっかり交換体制になっていたであろう画面を潔く閉じ、まるで剣先を下げ安心させるかのようにスマホを上着のポケットに退散させた。

理不尽な理由で断られたのにそれに対する不快感も見せない、おまけにごめんでもなくありがとうなんて。


「⋯いいえ私こそ。

あなたはとても良い人だわ、納戸君。」


本当に。怒れもしない程。嫌になる程に。ふわ子が選んだ人だもの、当然よね。


 私が取ったドーナツは結局バターチキンカレーパイと大納言小豆のあんドーナツだった。

癖の強い食べ合わせだけれど、何よりもカスタードを想定して口に含んだ物が粒粒とした小豆だというのは、どちらにしても美味しいはずなのに、形容しがたい不思議な気持ち悪さね。



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