第四話 朝雲ゆめ
この世界の娯楽で驚いたのは、アイドル、モデル、タレント等の存在だった。
普通に生活しているだけであらゆるメディアからたくさんの魅力的な人々を知る事が出来る。
生まれが王子というわけでも姫というわけでも無い。己の魅力で歓声を手に入れた人々だ。
私が目で追うのは決まって女性だった。
笑顔や、雰囲気や、声や、体つきがフワコに似ているという基準ではあったが、素敵だなと恍惚する対象が女性だという客観的事実は認めざるを得ない。
女の子が好きなんじゃない。私はフワコが好きなのだ。フワコが男の子に生まれていても恋に落ちたに違いないのだから。そう胸を張って、唯一無二の神聖な愛だと自分の気持ちを誇ってきた。しかし女の子であるフワコを愛した事で結果的に、私の性対象は女性になっていた。
私が前世で生きた世界とは違い、この世界は性的マイノリティへの理解が進んでいる。
姉妹でというところはやはり禁忌に変わりなかったけれど、今のふわ子との関係ならば同性だという点は絶望的な障害では無いのだろうと思う。
けれど私がレズビアンであるなどとカミングアウトする必要はどこにも無い。何故なら紹介する恋人などいない、その恋人を探す予定すら無いのだから。
心に決めた最愛の人がいるなどと言っても、その人と結ばれないのであれば空を切るだけの独り善がりな誓いだ。
それならばただ恋愛に興味が無い人として振舞っていればいい。
そう思ってきたのだけれど…。
✿❀✿❀
「さら美は彼氏いるの?」
自分で受講する科目を選ぶとはいえ、必修科目は必然的に被る。受講する科目がひとつも無いという所謂空きコマも、時に避けようが無い。
そうして時間を持て余した私達一回生は、思い思いに次の講義までの約九十分間を過ごしていた。
私は(有難い事に親友枠を獲得し)ふわ子といつも一緒に行動しているのだが、この合コン女…ゆめちゃんはふわ子と仲がいい。いえふわ子はそもそも友達がとても多いのだけれど。
朝雲ゆめ。最初から引っかかっていたのだけど、「彼氏」と断言した発言をするのが気に入らない。
私が同じ前提条件を持っているとどうして思えるの?
あなたの性対象はおかげさまでとてもわかりやすいけれど。カムアウトしたらこういうの配慮してもらえるのかしら。
大学内のテラスで優雅にお菓子を広げていたのだ。
目の前に座っているふわ子もコンビニで買ったクッキーをぽりぽりと頬張りながら「そういえば聞いた事無かったなあ」なんて私の返答を待っている。
逃げ場は無い。
「…いないわ。いた事も無い。」
少しだけふわ子への自身の潔白を含み(伝わるはずも無いが)私はやっと答えた。
無駄に溜めてしまったせいでなんだかとてもいたたまれない空気に…。私今すごく虚しい人みたいだわ。
愛する人との関係が「友達」に降格したのだから間違いなく虚しいのだけれど。
入学式の日、ふわ子が二つ返事でセッティングした医大生合コンは本当に開催されたらしい。
それも大満足の結果だったようだ。
「私は付き合うって感じの人いなかったんだけど、あっち側の幹事してくれてた男子と意気投合してね。
夏になったらもう少し人数集めてみんなでバーベキューしようって計画してるんだ〜。
ふわ子も彼氏さんと一緒においでってこの間誘ったの。さら美も来ない?」
ああ、その為の脈絡…。
この感じだと彼氏がいると言ったところで「彼氏さんも一緒に!」と誘ってくれていただろう。
愛の出会いだけを求めている子では無い。友達との交流が好きで、それを心から楽しむ子なのだと、友達の友達という距離ながらここ二ヶ月で知る事が出来た。
嫌な子じゃない。けれど…。
「私は行かないわ。興味が無いし、大勢で遊ぶのも好きじゃない。」
ふわ子が誰とも知れぬ男と仲睦まじくしている様子を、愛しい者への視線を、仕草を。私ではなくその男に注いでいる姿を見るなんて耐えられない。
「さら美様。今のお言葉は少々感じが悪いかと…。」
チクタクが着いているとこういう事を教えてくれるから助かる。ゆめちゃんに冷たく当たるつもりは無いのに、やってしまった。
「ていうのは私がド陰キャだからで!せっかく誘ってくれたのにごめんね!」
慌てて笑顔を作り声のトーンを上げたが、自虐でしか誤魔化せないだなんて情けない…。
一国の姫として受けた社交教育はこの十九年ですっかりその威厳を無くしたらしい。
「全然いいよ〜!無理する事無いし、でも気が変わったらいつでも言って?夏までまだ時間あるんだからさ。さら美ならいつでも大歓迎するよ〜!」
気を悪くさせたのかと曇っていた表情をぱっと明るくさせ、ゆめちゃんはなんだぁそんなことかぁとばかりに笑い返してくれた。
ああごめんなさい。ふわ子の彼氏に嫉妬して、嫌な子なのは私の方よ。
✿❀✿❀
どこの施設を借りる予定だとか、どこまで決まっているだとか、ふわ子とゆめちゃんはこの夏の話に花を咲かせている。
楽しそうな様子を見ているのは心地良い。
ふわ子ったら花火もしたいねなんて子供のような顔をして、私は行かないなどと突っぱねておきながら可愛らしさに口元が緩んでつい微笑んでしまう。
それにしてもなんて絵に書いたような花の大学生活かしら。この国では二十歳未満の飲酒は法律で禁止されている。十九歳である今はそういう事が無くても、あと一年もしたら飲み会だなんだと二人もお酒をあおったりするのだわ。
お酒⋯。前いた世界だと私の国にそんな年齢制限は無かったのよね。小さい頃だとやっぱり量や度数は気を使われたけれど、祝杯では必ず配られていたし、皇女である私達はとびきり上質な物を飲ませてもらっていたと思う。
飲酒経験があると言っても前世で、なので法的には問題無いだろうけれど、そんな説明が通じるわけも無い。今世では一滴も口にしていないし、一滴も口にした事が無いという体裁を保っている。
しかし私は知っているのだ。
自分がべらぼうにお酒に弱いという事を。
そしてフワコはべらぼうに強かったという事を。
今世でも同じかはわからない。
けれど私の低血圧で朝が弱い所や、ふわ子のやたら抜群な運動神経がどうやら変わっていない様子を見るにアルコール耐性も引き継がれていると見ていいだろう。
おかげでふわ子が飲み会に行く時が来ても、その席に男が混じっているとしても、大して心配はしないと思う。
ふわ子を潰そうとする男がいたとしても逆に潰されるのがオチだもの。
⋯まあ本当に変わらず酒豪なのか三回⋯五回くらいは見て確認したいかもしれないけれど。
でもそうね。私がふわ子を守らんとばかりにそのような騎士ごっこをしようとも、そんな物はもう無用なのでしょう。
牽制をしたり迎えに来たりする彼氏なのかは知らないけれど、ふわ子は彼女だという自覚がしっかりある女よ。
お酒を飲んだからって私が恐れるような事態はきっと起こらない。
遅すぎたのだわ。今度こそはなんて、今度があると思っていた事がそもそも甘いのよ。
ふわ子を守る資格を私は失った。それを不条理だと訴えるには、私に罪過があり過ぎる。
愛を隠して生きる事などこれまで大して難しい事では無かった。私だけが知っていればそれで良かった。
チクタクだけが聞いていてくれればそれで良かった。
とても寂しかったしとても恋しかったけれど、
それでも静かな、無情にも平和な、十九年間だった。
あんなにも恋焦がれた愛しい人が今は目の前に居るというのに。
こんなにも近くに居て触れる事だって出来るのに。
美しい瞳に私を映して、名を呼んでもらえるというのに。
奪い返せるのなら何もかもさらけ出してもいいなどと欲望の種が芽吹いた。
今の方がずっと難しくて苦しいだなんて、
ああ本当に。
我儘で卑しくて嫌になる。
「ねえさら美は知ってる?
スクロースを濃硫酸で脱水する動画!」
こんなにも醜悪な私をふわ子に知られたくない。
「形がチっ⋯アレにしか見えないやつ!」
ゆめちゃんもこんな私に親切にしてくれて、友達として私ももっと優しく⋯
やめなさい。どこからそんな話題になったの。
朝雲ゆめ!!その単語をふわ子に聞かせたら許さないわよ!!
ああふわ子!!動画を流さなくていい!!
今すぐその画面を閉じなさい!!