第二話 ふわ子とさら美
生まれ変わったのだと理解したのは⋯いいえ初めて意識が目覚めたのは、と言った方が正しいかもしれない。それは生後数ヶ月の頃だった。
その時の衝撃は生々しく記憶に残っている。
身体を思ったように動かせない!言葉を喋れない!ここはどこ?どうなったの?フワコは、モコモコは、チクタクは?
パニックのあまり泣き出すと「どうちたの〜?ママはここでしゅよ〜」と知らない女性に抱き抱えられた。
異国の言葉は当時何を言っているのか理解出来なかったが、この人ろくに寝れていない。そう疲労困憊の声色から察し思わず泣き止んだ。
大人びた子供だと時に浮いてしまったが、やっと大学進学という年齢まで今世を生きてきた。
最初こそ他人に思えた両親も、今では実の父と母だと認識し心から愛している。
ちょっと待って。大学までの路線は初めて乗るの。間違えないようにしないと。ホームは⋯二番線で良いのよね?ああ良し、電車が来たわ。大学の最寄駅まで二十分。もう少し身の上話をしましょうか。
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前世では姉妹だったのだから、フワコが産まれて来るかもしれないと期待をした頃もあった。
妹が欲しいとねだり両親を困らせたっけ。
どういう行為をして産まれるのか勿論知っていたが、そこは幼児という姿を利用してそれはもう純粋にねだった。
ねだるだけではない。一人で寝ると言って自分の寝室と夫婦の寝室を早々に分けたし、祖父母の家が近かったので週末両親の休みに合わせてそれはもう頻繁に一人で泊まりに行き夫婦水入らずの時間を作った。
業を煮やして遂には父に手作りミックスジュースだとうそぶきバイアグラを盛った事もあったっけ⋯。
両親は仲がいい。これだけあつらえているのにどうして⋯!と頭を悩ませたが、充分なお金をかけてあげられるように、不自由をさせないようにと子供は一人と結婚前から決めていたらしい。
かくして私は一身に愛される一人娘と相成った。平民に生まれるという事の大変さを噛み締めて泣いた。
幸せな家庭だったと思う。けれどフワコと再会出来ない事は私には充分な絶望だった。
夏休みの自由研究で家系図を作ると名目を掲げ、親戚をしらみ潰しに調べたがやはりフワコはどこにもいなかった。
それでも愛情を注ぎ育ててくれた両親の為にも真っ当にこの人生を生きなければならない。
花嫁姿は見せてあげられないけれど⋯。
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朝空を見ない為についた俯く癖が、大学の講義室でも白く無機質な床ばかりを視界に映している。
入学式という物は王国の式典に似ている。煌びやかとは程遠い、規模はとんでもなく質素だけれど、退屈な所がそっくりだ。
適当な席に鞄を置き、固く冷たい椅子に腰を下ろした。横に長い四人がけのテーブルだが、端に座っている人からは二つ席を空けているので挨拶も要らないだろう。
恋人作りは勿論の事、友達作りにも興味は無い。
とにかくきちんと学業を積んで、きちんと正職に就きたい。そして両親を旅行に連れて行ってあげたり、仕送りをしたりして、老後を贅沢に過ごさせてあげられたら。せめてそういった形で恩返しをしたい。
その為の毎日であり、その為の二回目の人生だと胸に決める事で気を保ってきた。
そんなこんなで話しかけるなという空気を醸し出している私の肩を、何者かにとんとんと優しくノックされ顔をしかめる。
二つ向こうの席に座っている子だろう。
こちらはイヤホンもしているのによくそんな事が出来たわね。何かよっぽどの用事かしら。渋々片耳だけを音楽から解放しちらりと目線をやる。
「花かんむり、お揃いね。同じようなのつけてる子初めて!」
しょうもない雑談だった事への驚きは、春の陽だまりのように柔らかく朗らかな彼女の笑顔を前に掻き消えた。
フワコだ。
見間違えようもない、最期よりも少し大人びているがそれもそのはずだ。前世は享年十四歳、私もその歳をとっくに超した。
大学の入学式に居るという事は同い年だと思って差し支えないだろう。
なんてことかしら、血縁関係だとばかり思い込んでいて、この世界のどこかになんて思いもしなかった。あなたも生まれ変わっていたのね。そしてこうして巡り会えたのね。
顔が熱い。あまりの感動に何も言葉が出てこない。
謝りたい。愛してると言いたい。抱き締めてキスがしたい。あなたの体温を感じたい。あなたを想わなかった日なんて無い。フワコ、フワコー⋯
「ねえ、医大生と付き合ってる子ってあなたでしょ?」
栗色の巻き毛を揺らしフェミニンな女がフワコに声を掛ける。その台詞に溢れ出しそうだった涙がきゅっと引っ込んだ。再会早々一番聞きたくない言葉かもしれない。
「そうだよー!」
あっ、間違いない再会早々一番聞きたくない言葉だ。
「急にごめんね、同中の友達があなたと高校同じでね、みゆきって子なんだけど」
「ああみゆきちゃん!わーそうなんだ!」
「そうそうー!」
心がめちゃくちゃになっている私を尻目に二人はぺらぺらに薄い会話で盛り上がっていく。
何も追いつかないのだけれど、この女の第一声だけはこの世界で十九年生きた私の脳に警鐘を鳴らしている。
「今合コン相手探してて⋯、彼氏さんのお友達紹介してもらえたりしない?」
ほらね!下心が丸見えなのよ!そんな不純な動機でフワコを利用しようだなんて冗談じゃ⋯
「いいよー!」
いいの?!あまりにも朗らかな快諾にツッコミが喉から出そうになる。
「えっでもこういうのするの初めて!色君わかるかなあ。」
「彼氏さんシキ君っていうんだ〜」
「そうそう⋯あっ何人集めればいい?ていうかまず私とリネン交換しよ」
「こっち四人!え〜助かる〜!バーコード出したらいい?」
「うん読み取る〜!あっ。集められるかわからないからまだ助からないでね?」
「あはは了解!」
知り合って三分も経たずメッセージアプリを共有している⋯。
「ゆめちゃん!可愛い名前だね。」
「ふわ子って本名?!そっちも可愛いじゃん!」
「やだよ〜!子は無いでしょ。」
「私全然あり派だよ〜。」
名前も前世と一緒だってその文脈で知りたくなかった⋯。
「そっちの子は?これから同期だよねよろしくね〜!」
「私もまだ名前聞いてないや、花かんむりも髪の色もお揃いだからつい話しかけちゃった!音楽聴いてたのにごめんね。名前なんていうの?」
唐突に矛先を向けられたが最早無我の境地だった私は別段慌てる事も無くさめざめと答えた。
「さら美⋯⋯。」
サラミ?!あっ美で?!名前のジャンルまで一緒じゃん〜!と(向こうだけが)盛り上がったのも束の間、講義室に入ってきた講師の「お待たせ新入生〜。席に着いて〜。」という号令にその場は有難い事に解散となった。
愛した人は私を覚えていなかった。
それどころかどうやら新しい、男の、恋人がいるらしい。
前世の記憶なんてそもそも覚えている方がおかしいのだ。仕方がない。フワコが今幸せならそれでいいじゃない。元気な顔を見れただけで神様に感謝しなくっちゃ。前の人生と混同しちゃだめよ。私にだって大好きなパパとママがいるじゃない。フワコだってきっと全然違う人生を新しく歩んできたのよ。
「さら美」
講師がレジュメを配ろうと四苦八苦している隙を縫ってぽそりと囁かれた愛しい声のそれに、前世の感覚がフラッシュバックしてぴくりと睫毛が震える。
心を落ち着かせようと、納得させようと必死で、聴覚を失ったかのように何も聞こえなかったのに。
好きな人の声という物はこうもスっと、鮮明に耳が拾うものだろうか。
「あとでゆっくり喋ろ?なんだか運命感じちゃった。」
フワコはよくこんな風に微笑んだ。
確信犯のようでいて無邪気に、私の不安を包み込むように。そうやって笑う時は大抵楽しい事にわくわくしていて、決まってちょっとだけ悪さをするのだ。
ー⋯ああ神様、この人を愛しています。
どうしようもなく。きっと何度生まれ変わっても。
たとえ彼女が別の人と結ばれていても。