第十話 スイカフラッペ
日本の夏という物は前に生きた世界とまるで違う。蒸された空気は本当に酸素なのかと疑う程に息苦しいし、日傘をさしているというのにじわりじわりと汗が吹き出て不快極まりない。
夏のイベントは両親がよく連れて行ってくれて楽しくはあったものの、海水浴も縁日もとても体力を使うしインドアな私には少々気が重くって、自ら計画したいとは思えない。
そんなこの世界で十九回目の夏が訪れていた。ふわ子が居る、初めての夏だ。
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大学は夏休みに入ったばかりだ。
その分お互いアルバイトに多く入るので、約束せずともほとんど毎日講義室で顔を合わせる事が出来ていた日々はしばらくお預けである。
納戸色と知り合った後、私はふわ子の部屋に訪れるようになったし、ふわ子を私の部屋に招くようにもなった。なんと合鍵まで交換した。
ふわ子にそんな気が無い以上感じ取りはしないのでしょう!もうどうにでもして!とヤケクソではあったが前は一緒に住んでいたのだ。
城は広く人もたくさん仕えていたから二人きりの時間は少なかったが、一緒にご飯を食べて一緒に食休みして、一緒に微睡んで一緒に本を読んで⋯とすごすのは取り戻したかった大好きな時間でもある。
だからそれだけでも心が安らぐ。幸せを感じられている。恋人として触れ合いたい気持ちを押し殺しながらではあるけれど。
医大生は余程学業に忙しいのか、納戸色はあまり頻繁にふわ子に会いに来れないらしい。
彼氏より密接に会っているのだという愉悦もあり、最近は存外ふわ子と楽しくすごせていた。
しかし当然医大生にも夏休みはある。今日からシキふわカップルは二泊三日の避暑地旅行デートだ。
その間アルバイトのシフトも入っていない私は一人虚しく指をくわえてふわ子の帰りを待つのかと思うと、久しぶりに泣きそうになった。
ので私も旅行ではないが、実家に泊まる事にした。
一人暮らしを始めてから泊まりで帰るのは初めてだ。パパもママも大喜びで歓迎してくれて、祖父母の家でみんなでご飯を食べようだとか寿司をとろうだとか思ったより盛大な事態になってしまっている。
チクタクも妖精の国で用事があるだとかで、それならば手伝いが必要な時以外の無用な呼び出しは遠慮しましょうと、ここしばらくは二時間のはずのクールタイムが六時間経過しているなんてざらだ。
人の目や行動制限が多く、腕時計すら校則で禁止されていたような子供時代は今くらいの呼び出し頻度だったのだけれど。
「僕はおはようとおやすみを言うだけの相手なのです?」と拗ねた時だってあったくせに、妖精にも用事とかあるんじゃない。たくさん呼び出して無理をさせていなかったかしら⋯。
これからはチクタクの都合も確認するようにしなきゃ。
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地元の道ってしばらく歩かなくても懐かしいという感想がすぐに掻き消えるくらいに、毎日歩いていた頃に簡単にトリップするわよね。
よく見たらあの家建て替えたのねだとか、あそこお店変わったのねだとかあるのだけれど。
そんな事を考えながら馴染み深い横断歩道を信号待ちしていると、ワンピースのポケットに入れていたスマホが短く震えて新着メッセージを報せた。
電車に乗る時マナーモードにしてそのままだ。
メッセージはふわ子だった。
『今から新幹線乗るよ〜。』と自撮り写真付きで送られてきている。
可愛い。ふわ子フォルダに保存⋯と思ったが納戸色が写りこんでいる事に指が止まる。
困りはしないわ。科学って誰にでも使えるようにしてくれてる魔法みたいなものなの。家に着いたらくつろぎながら納戸色だけ消します。
信号待ち中に送れるのはスタンプくらいだ。
『いってらっしゃい』と手を振るうさぎのスタンプを送って、スマホをまたポケットにしまった。
ああほら青信号。歩きスマホは禁術だもの。
高校の時アルバイトをしていたあの可愛らしいカフェを通りかかる。まだ辞めてから半年も経っていないので来店すると顔見知りの従業員ばかりだろう。
気を使うからあまり来たいとは思わなかったのだけれど、夏限定のスイカフラッペはとても、とても好きだった。それのポスターが目に入りつい足が止まる。
暑いし⋯。喉乾いたし⋯。今家に着いてもパパもママもまだ仕事で留守だし⋯。カフェで涼みながら好物を片手に納戸色を消しても⋯。
「花通!」
「きゃあっ?!」
誘惑に言い訳を並べる事に集中していた私は思わず悲鳴を上げてしまった。
案の定顔見知りの従業員に見つかったのかと思ったが、女の子しかいない従業員に私を花通と呼び捨てる人はいなかった。そもそも従業員に男はいない。
そう、この声⋯。
「竜飼君?!」
「すげえ久しぶり。何してんの?」
あなたとは随分この場所で縁があるようね?!
何って、誘惑に負けようとしていただけなのだけれど⋯。
「夏休みだから実家にお泊まりしに帰って来たところで⋯寄るつもりなかったのだけれど、どうせ今帰っても誰もいないし、スイカフラッペが見えたものだから、その、これ美味しくって⋯。」
なんて馬鹿正直に説明するのかしら。目が泳ぐ。
告白されてからも度々店員と客として接していた。高校卒業前は一人暮らしをする報告もしたし、それで通勤が遠くなるから辞めるという話もした。
おそらく私が唯一、一番、交流している男の子(チクタクとモコモコは妖精なのでカウントしない)なのだけれど。
経験値って時間が経てばすり減るのかしら?
それとも日本人らしい黒髪だったはずの彼の頭が随分明るい茶色に染まっているからかしら。
なんだか初対面みたいに緊張してしまうわ。
「わかるー!これすげえ美味いよな?!
今年は今日発売なんだぜ!」
「えっ、そうなの?」
よく見れば確かにポスターには今日の日付が書かれている。私が働いていた頃より少し遅いわね。
それにしても竜飼君は相変わらずここの常連客みたいだ。発売日まで把握して、なんだか微笑ましい。
「俺もこれ飲みに来たんだ。
せっかく会ったんだし中で少し話さねえ?」
あまりにもあっけらかんと爽やかなんだもの、他意など感じない。強いて言うなら人懐こい犬が瞳をきらきらと輝かせて尻尾を振っている様。
けれど他意が無かろうと難易度は下がらない。
ふわ子と出会うまで友達一人作らなかった私がいきなり男の子とティータイムですって?上手く断って⋯、
⋯私さっきどうせ今帰っても誰もいないしって暇そうな事言った?⋯言ったわ⋯。
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ポイントカードに二人分の金額で付けてもらいたいからと、お会計を奪われてしまった。けれど奢っていただく筋合いなど無いので自分の分をきっちり彼の財布にねじ込んだ。
スイカフラッペは相変わらずの美味しさで、けれど果肉が随分減ったような気がする。値段は少し上がったのに。こういう傾向は会社側にも事情があるのでしょうけど、度し難いものね。
「すっ⋯げえ大変な事になってたんだな⋯。
再会出来たのに知らない間に彼氏持ちになってるとか、しぬほど悔しいだろ⋯。」
⋯そう。バカ正直に近況を話しちゃったのよ。
唯一今世でカムアウトしている人なんだもの⋯。そして軽くのつもりがすっごく真剣に聞いてくれたのだもの⋯。
「でも俺だったらそのBBQ行くな。
だって花通が行かなければ"彼氏との思い出"になるかもだけど、花通が行けば"花通との思い出"にもなるわけじゃん。誘われてるなら割って入るでも無し。」
「⋯確かに⋯。」
男の子って食べたり飲んだりするのが早い生き物なの?竜飼君のスイカフラッペは溶けた氷がとびきり薄まったそれを作り出すのを待つように、ストローで掻き混ぜられしゃかしゃかと音を鳴らしている。
私のプラスチック容器はまだ鮮やかな赤が輝かしく横たわっているのに。
「その子も花通が来たら喜ぶんじゃね?
それだけ仲良いならさ。」
言葉の通り、ふわ子の喜ぶ顔が易々と目に浮かぶ。
私ったらまた自分の事しか考えていなかった。そうよふわ子が喜ぶなら、私が喜ばせられるなら、そんなにも嬉しい事があるかしら。
「不安だったら俺も行くぜ!
その子の彼氏と仲良くなって引き付けとく!」
「コミュ力すごすぎない?」
竜飼君はびし!と作ったサムズアップを引っ込めながら、「いやマジでその日まだ空いてるし大丈夫だけど、お節介か?」と真面目に言い直してくれている。
確かにこの感じだと、竜飼君なら私も自然に話せそうだ。というか⋯
「私が悪役令嬢だったら竜飼君を手下に使って邪魔してそう⋯。お行き!ヤクザに扮してあの男に絡み情けない姿を晒させなさい!みたいな⋯。」
「俺って花通の中で小物キャラなんだな⋯。」
せっかく協力しようと善意で言ってくれている。とても有難いし嬉しいけれど、フった相手に甘えていいものだろうか、私いつでも誰かに甘えているわよね。
「⋯ありがとう竜飼君。着いて来てくれなくても大丈夫。おかげで勇気が出たもの。」
そう告げるとスマホをポケットから取り出してぎゅっと両手で握り覚悟を決める。
「私BBQ行ってくる⋯!行くって今友達にメッセ入れていい?」
「おお!入れろ入れろ〜!」
声援が温かい。私の髪を勝手に切られたトラウマなど遠く霞んでいく。良い子⋯良い子だわ竜飼君⋯。男の子は相変わらず嫌だけれど⋯。




