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第一話 はじまり


 一国の城は赤く燃え上がった。これでは城下も凄惨に違いない。私達の国は滅ぶのだ、燃え落ちる国旗がそうむざむざと私に告げていた。


大国メルニア国の旗がひるがえる。

一角獣の誂えられた紋章が酷く恐ろしく見えた。自国リリーカル国の小花を誂えた紋章など、それこそ獣が土を踏み締めるが如く、容易く蹂躙される様が想像出来てしまう程の圧倒的な勢力差だった。


いったいどんな利益があるというのだろう。

制裁を受けるような仕打ちもしていないはずだ。友好国からの突然の暴挙に、戦争の準備も何もしていなかった我が国はいとも簡単にその侵攻を許してしまった。


「サラミ!こっち!」

大切な半身、双子の姉であるフワコが私に呼びかける。

そうだ今は敵兵から逃げないと。どうしようも無い思考の中をぐるぐると駆け回っている私の手を引いて、フワコは火の手を掻い潜っていた。


 戦争の狼煙が上がったその時、私達は王国の最奥に座する城の中に居た。第三皇女、第四皇女として、当たり前の生活の、当たり前の静かな夜を迎えようとしていた。

否、静か過ぎる夜ではあった。ずっと同じ寝台で眠っていた私達双子はひと月程前から隔離され、孤独な夜に慣れる事が出来ずにいたのだ。


皇女殿下という地位でありながら、誰も私達を助けようとはしなかった。

毎朝他愛ない話をして笑い合ったメイドも、国に忠誠を誓った兵士も、まだ齢十四の末っ子を蝶よ花よと愛でてくださっていたお父様とお母様も。


なので私とフワコはこれでもかと引き離された城の端と端から互いの元へ走った。誰にも護られないと知り、同じく誰にも護られていないであろう半身を案じて。そんな仕打ちを受けてしまう程の罪を私達は犯していた。


 近々取り壊す予定だった城内の旧聖堂。ここなら火の手は回ってこないだろう。追手に攻め入られない保証は無いが、息を整えるには充分だ。


「サラミ、大丈夫?煙を吸っていない?どこも傷付いてはいないよね?」

「大丈夫よ。フワコこそ⋯」

言い切るより先にフワコが私を抱きしめる。

「ああ、良かった⋯!」

まだ助かってはいない。それでも互いの温もりを感じずには、もうふたりとも立ってもいられなかった。

おもむろにフワコの頬に手を伸ばした。私の頬にフワコの指先が触れるのが先だったかもしれない。約束していたかのように、さっきまで震えていた唇と唇を合わせる。


双子は行動が似るというけれど、私達の場合は恋人同士のそれだ。手を繋ぎたい、抱きしめ合いたい、キスをしたい。その空気を感じ取る。そして引き合って容易に絡み交わる。愛し合っている者同士がふたりきりで築く信頼と、愛情と、色欲の絆だ。


赦されるはずも無かった。

女と女である以上に、血の繋がった姉妹だ。

何年も隠していた私達の秘密が露見したのは先月の事だった。数時間前までお父様は私とフワコをどのように引き離すか最終協議をしていた。城中からの視線が、汚らわしい物を見るかのように私達を刺していた。そんな最中の強襲だった。


「愛してる、サラミ。絶対に助けるから。」

真っ直ぐ私を見つめるフワコの眼差しは力強くも優しい。

ああ、愛してる。こんなにも愛しているのに。

どうして異性に、他人に、平民に生まれなかったの。女だから愛したわけじゃない。姉妹だから愛したわけじゃない。不条理なんて私達が誰よりもわかっているのに。

 

 「隠れていてもいずれ見付かる⋯どうにかして国外に逃げないと。」

そう呟いたフワコは羊の角で出来た小さな笛を懐から手に取り出し「モコモコ」と名を呼ぶ。

すると水面の月明かりが揺らいだかのような柔らかい光の中から、羊の角を頭に生やした少年が姿を現した。少年は溢れ落ちる寸前の雫が溜まった瞳を揺らし、「フワたんごめんなさい。」と声を絞り出した。


「イヒはなにもできませんでした。王様に言葉を伝える事も、炎を打ち消す事も、なにも。」

俯いている頬を濡らす事も無く、遂に大粒の雫が地面を濡らす。

「そんなことは無いわ。だって助けを頼みたくて呼んだの。」

フワコはモコモコの柔い頬を両の手で包み、水面をそっと撫でるような穏やかさで、けれどはっきりと丁寧に、言葉を紡いで語りかける。

モコモコは一生懸命にその言葉を拾い、それでも無力な自分に贈られた言葉だとは到底理解出来ないらしく、ただぱちぱちと瞬きを繰り返した。


その言葉の意味が天啓のように脳を撃ったのはモコモコではなく私だった。

慌てて自分のポケットから古ぼけた懐中時計を取り出し、「チクタク」と名を呼ぶ。


「やっとお呼びくださいましたね。」

モコモコとは対照的な冷静さを持って、波間が日差しを転がしたような光と共に兎の耳を頭に生やした少年が現れる。

彼のモノクルは遠くの炎の光を映し、その内側で眩しげに細められた瞳は未だ希望を失っていないかのように凛々しい。


「僕ら妖精は特別な人間にしか姿が見えない。だからたとえ剣も振るえぬ非力でも、敵兵の目の前を自由に駆け回りサラミ様らの退路を捜す事は出来る。」

時計の秒針のように淡々と紡がれた言葉は、今度こそモコモコにも天啓を届けさせたらしい。

あっ、という顔をするモコモコに「まさか僕らが宙を飛べる事もお忘れではあるまいな」とチクタクが畳み掛ける。


「そう。おまけに私達はテレパシーで離れていても会話が出来る。こんなに心強い事って無いわ。」

フワコの言葉にモコモコの表情はぱあっと花が開き希望に満ちた。チクタクの表情は変わらないが、いつも通りのそれにも安心を覚える。息を忘れる程の不安と恐怖が初めて和らいだ。



✿❀✿❀



 『ここも⋯ここもだめだ⋯!』

『幾人もの兵士が城をぐるっと囲んでる。戦っているこの国の兵士ももういない。』

 チクタクの声に焦りが見え始める。いよいよもって逃げ場が無い事に、全身の血液が脈打つ音をいやにうるさく感じる。

捕まったらどうなるのだろう、殺されるのだろうか。私の思考は少しでもマシな仕打ちであるようにという淡い希望に縋り始める。


しかしフワコは尚も、いいえより一層、揺らがぬ覚悟でもあるかのように恐怖を微塵も感じさせない眼差しをしていた。

「サラミ、作戦があるの。聞いてくれる?」

私の手を握るフワコの手はもう、震えてもいなかった。寝付けない夜に握ってくれていた、いつもと変わらない確かな温もりだった。



 「嫌っ!離してチクタク!」

遠くなるフワコの背中に必死に手を伸ばすも、その腕はチクタクに制止される。

「貴女が逃げ仰せなければフワコ様の御心が無駄になる。耐えてください。」

見た事も無い険しい表情をしたチクタクは、体躯もそんなに変わらないのにいざとなれば抱えてでも逃げると言わんばかりに渾身の力を込めて私の抵抗を抑え込んだ。


フワコはこの為にチクタクを呼び戻したのだ。

モコモコにはそのまま兵士の位置を宙から報告させ、自分が囮になり注意を引いている内に私を城外に逃がす。それがフワコの作戦だった。


どうしてああも落ち着いているわけだった。いつから覚悟を決めていたのかわからない。私に泣いて縋る間も与えず、彼女は有無を言わさず駆け出して行った。


 『⋯っ今だよチクタク!西側の森へ!』

モコモコの声が脳に響く。泣き叫ぶようなその声色から、彼もフワコの身を案じその無事を切望している事が伝わってくる。

幼い頃からモコモコとチクタクは私達姉妹の傍にずっと仕えてくれていた。主人として慕ってくれていた。そんな彼がフワコの覚悟を受け止めたのだ。


半ばチクタクに引き摺られるような形で遂に私は敵兵の目を盗み城壁の外に出た。

さっきまでそこに居た兵士が遠くに駆けて行く背中が見える。微かに聞こえてくる喧騒は「件の姫を見付けたぞ」と告げていた。


 西の森は城のすぐ裏手に広がる、雑木林と呼ぶにふさわしい手入れの行き届いていない危険な森だ。崖は多いし迷うと下山は容易くない。

それでも破天荒だったフワコはモコモコを連れているのをいい事に、城の者の目を盗んでよく遊びに入っていた。それを追いかけて私もよく歩いた森だ。


モコモコからのテレパシーが途絶えた。

しかしチクタクはそれに狼狽える事も無く、何かを悟ったように口を噤んでいた。


空が明るむ頃には城から立ち上る煙も勢いを無くし、煙管の煙がくゆるように空を薄らと濁らせている。

これからどうすればいいのか、どうやってフワコを助けに行けるだろうか、容易く絶望が出来ない程に私の頭は馬鹿で、尚も根拠の無い希望に縋り愛する人との未来を諦められないでいた。

宛のない視界が拾ったその時の空の色は、今でも眼に焼き付いて離れない。



✿❀✿❀



 朝焼けは苦手だ。ありもしない煙のくゆりが脳裏から視界にお邪魔する。

幻覚だと目を擦れば擦る程はっきりと見える。なのでいつからか、朝は空を視界に映さないよう、俯いて歩くようになった。


あれから私はフワコを救い出す事はおろか、殺されたという情報に我を無くしチクタクの制止も払い除け、あろう事かメルニア国の兵士にあっさりと見つかり、フワコが己を犠牲にして護った命を無惨に散らした。

思い出す度に怒りや、嫌悪や、激しい後悔で愚かな自分を滅多打ちにしたくなる。


命を散らしておいて【思い出す】という行為が出来ているのは亡霊になったからではない。死後の楽園とやらもひと目も見てはいない。


ここは日本国東京、年号は令和。家賃八万四千円のワンルームを出て最寄駅まで徒歩十分。道中のコンビニはパートナーマート。


漫画やアニメに疎かった私でも耳にし、これはとすぐに読み漁りこの状況の名称を知った。

そう、【異世界転生】である。


挿絵(By みてみん)



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