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甘党ドラゴンと縄張りの街

作者: 悠戯


 むかしむかしのお話です。

 人間たちの国の端から百里も彼方の山々に、それはそれは強く大きなドラゴンが住んでいました。


 齢にして優に一万歳以上。

 正確な年齢となると、最早カレ自身にすら分かりません。

 ルビーの如き深紅の鱗は同族の竜たちであっても傷ひとつ付けられぬ頑強さを誇り、真珠のように白く輝く牙はヒトの英雄が持つ最も優れた名剣をも超える鋭さ。

 生まれ持った無敵の肉体に、たったの一息で山をも消し飛ばす炎の息吹が合わされば、人間の英雄や軍隊はおろか同族の竜たちや世に畏れられる怪物たちが徒党を組んでかかってきても、容易く蹴散らすことができるでしょう。


 まさしく、この世界における最強の生物。

 しかも、その力は年月を経て衰えるどころか年々増していく一方。他の生き物も病も、時間ですら紅き巨竜の敵ではなかったのです。


「ああ、つまらぬ」


 故にこそ、カレの最大の敵は退屈でした。

 こればかりは如何に強大な力を持っていようが倒しようがありません。


 一度、人間たちの崇めるカミと名乗る白髪の老人が縄張りに入ってきた時はなかなか楽しめましたが、その相手も形勢不利と見るや逃げ出してしまいそれっきり。再戦を挑んでくるのをかれこれ二千年ほども待っていますが、顔を出す気配は一向になし。

 ドラゴンのほうから出向いて探しに行ったことも幾度かありますが、気配を隠して逃げ隠れしているのか、それとも戦った際の傷が障っていつの間にやら死んでしまったのか、ついぞ見つかることはありません。


 好奇心に駆られ、空の彼方に浮かぶ月まで飛んで行ったこともありますが、土と石ばかりで何もなさすぎて地上よりも退屈だったため、すぐに飽きて縄張りに帰ってくることとなりました。



 この世界の他の生物全てにとって幸運だったのは、カレがどこかの国を焼き滅ぼそうとか、気に入らない動物を絶滅させようとか、知恵のある生き物を支配して貢ぎ物を持ってこさせようとか、そんな欲望をまるで持っていなかったことでしょう。


 まだ千歳にも満たない若い時分には、種族丸ごと戦狂いの竜らしく、同族たちやあちこちの怪物たちと元気に殺し合ったものですが、うっかり強くなりすぎてしまい戦いが一方的な弱い者いじめにしかならなくなってからは、大好きだった戦いすらも退屈なものとなってしまったのです。


「む、この匂いは山葡萄か。うむ、うまいうまい」


 今や楽しみらしい楽しみといえば、日の半分を占める昼寝と、舌の好みに合う甘い物を食べること。この日は幸運なことに山中に山葡萄の木を見つけ、枝葉や幹ごとバリバリ噛み砕いて芳醇な甘みを堪能しました。


 カレが縄張りにしている山々には他にも果実が多く生り、他にも林檎や桃、野イチゴなどを近場で楽しめるようになっているのです。

 少し変わったところだと、果実でこそありませんが甘いミツをたっぷり溜め込んだハチの巣が見つかることもあります。その辺りは大型のクマが多く住む危険地帯なのですが、無敵の鱗に守られた竜にとってはクマなど目当てのハチミツの前の手頃な前菜でしかありません。


「この辺りの果実はすっかり平らげてしまったな。まあ、ちと十年か二十年ほども昼寝をすればまた生えてくるだろう」


 あまりに大きすぎて実だけを収穫することが面倒なため、竜の食事は果樹ごと豪快に噛み砕くという形になることがしばしば。当然、そんな風に幹の半ばから嚙み千切られた木が再生する、あるいは新たな芽が実をつけるまで育つには長い時間がかかるのですが、万年を生きる竜からすればちょっと昼寝をして目覚めれば過ぎている程度の時間でしかありません。


「……む、今回は少し寝過ぎたか?」


 そんな風に食事と睡眠を幾度となく繰り返し、いったいどれほどの時間が経ったでしょうか。ある時いつになく長い眠りから目覚めたドラゴンは、ちょっとした違和感を覚えました。


 まず、目が覚めたら全身が土の中に埋もれていました。

 もちろん宇宙空間ですらへっちゃらなカレがそのくらいで窒息したりはしませんが、もしかすると寝ている間に長年のねぐらとしていた洞窟が落盤でも起こしたのかもしれません。


「よっこらせ、っと」


 仕方がないのでグッと腹のあたりに力を入れて、一気に半身を持ち上げました。全身が埋もれていた状態でそんな真似をしたのだから、当然身体を覆っていた大量の土砂まで持ち上がります。


 周辺一帯の大地が揺れ動き、まるで何もない地面から新たな山が生えてきたように見えたかもしれません。いいえ、かもしれない、ではなく実際にそう見えていました。少なくとも、実際にすぐ目の前で竜の目覚めを目撃した人間の少女にとっては。


「ふう、やはり洞窟が崩れておったか。寝ている間にまた大きくなってしまったせいやもしれん。む?」


「ひゃ!」


 幸いにも土砂の崩落に巻き込まれずに済んだ少女ですが、地面から出てきた見たこともないほど大きな生き物を目の当たりにして思わず悲鳴を上げてしまいました。

 とはいえ、この時カレは足下にいる小さな生き物になど気付いてすらいなかった。正確には、もっと一目で明らかにそれと分かるような異常事態に関心が向いていたのです。


「すっかり景色が変わっている。これはたしか街だか村だかいう人間のねぐらだな。地面の下で寝ていた間に頭の上でこんなモノができていたとは」


 大まかな地形、山や谷の位置こそ眠りに就く前と変わっていませんでしたが、自然のままだった森は拓かれ、代わりに木やレンガの家々が数え切れないほど建ち並んでいます。


 そして建物から慌てた様子で飛び出してきては、竜の威容を見て大騒ぎしている小さな生き物たちが目に付きました。


「おい、ヒトよ。話は通じるか? ……ううむ、たしかこんな感じだったと思うのだが」


 まだ幼い時分に幾度か人間の勇士と牙を交えたこともある竜はヒトの言葉を解することもできるのですが、時代が違い過ぎて言葉そのものがほとんど別物になっているせいか、あるいはパニック状態に陥っていてちゃんとした言葉を話せなくなっているせいか、恐らくはその両方でしょうか。いったい何を言っているのやら、まるで要領を得ません。


「さて」


 さて、いったいどうしてくれようか?

 縄張りを侵されたなら力でもって奪い返すのがドラゴンの流儀。しかし、対等な戦いならともかく一方的な弱い者いじめは竜の好むところではありません。


 今は見る影もなくなった山々においても、竜は自分が食べるため以外の獣を無意味に狩ることはしませんでした。武器を手に挑んでくる勇士であれば食べるためでなくとも敬意を払って戦いますが、このように慌てふためく様を見る限りでは、そのように勇敢な戦士など望めそうもありません。


 察するに、この様子からするにこの小さな生き物たちは、この辺りがカレの縄張りだと知らずに入り込んで街を作ってしまったのでしょう。かつての無数の木々に覆われた縄張りにおいても、別にリスや野ウサギが巣穴を作ることにまでいちいち目くじらを立てていたわけではありません。

 景色がすっかり様変わりしたことには驚きましたが、現状に不快感があるかというと正直なところそれほどでもなし。別にこのまま住まわせてやっても問題は……。

 

「いや」


 いいえ、一つだけ問題がありました。

 かつて好んで食べていた山葡萄や林檎の木々が、今やすっかり切り倒されてしまっています。恐らくは家を作る材料や、食べ物を煮炊きするための薪としてしまったのでしょう。身体の中身まで頑丈な竜と違い、人間という生き物はいちいち火を通さなければほとんどの食べ物を身体が受け付けてくれないのです。


「ううむ、葡萄に林檎か。思い出したら食いたくなってしまったな」


 いつもより一段と長く寝ていたせいか、腹の虫も一際大きく鳴いています。ゴロゴロとお腹のあたりから響く音に眼下の人々は怯えていますが、そんな事情は知ったことではありません。


 仕方がない。

 このあたりに木が生えていないのならば、どこか生えている場所を探しに行ってこよう。縄張りについては空腹を満たしてから決めればいい、と。そんな風に思って翼を広げる寸前で。


「……っ、……あの!」


「む?」


 ようやく竜も足下で叫ぶ少女の存在に気付きました。

 ただでさえ小山ほどもある巨体な上、街から聞こえる悲鳴にかき消されてなかなか声が届かなかったのでしょう。危うく羽ばたきの風圧で吹き飛ばすか、気付かず踏み潰してしまうところでした。竜はてっきり、そうした事故の危険性を察して注意を呼び掛けているものと思いましたが、少女の言葉はカレにとっても意外なものでした。


「あのっ! 竜さま! 甘い物、お好きなんですか!」


「甘い物? うむ、好んでおる」


 どうやら人間の言葉で意思疎通を図ろうとしたせいか、ついつい独り言までも同じ言葉で呟いてしまっていたのでしょう。葡萄に林檎。そうした果実をカレが好んでいることに間違いはありません。しかし、いったいどうしてこの状況下でそんな質問が出てくるのか。


 その答えは間もなく明かされました。


「これ! 良かったら! どうぞ!」


 少女が手にしていたカゴから布の覆いを外すと、まだ焼きたてでバターの香りも芳しいパイ菓子が顔を覗かせました。彼女はそれを両手で掲げるように持ち上げると、もう一度改めて叫びを上げました。


「どうぞ! 干し葡萄と、林檎の! お菓子です! ……けほっ」


「ほう?」


 あまりに叫びすぎたせいで喉に負担がかかって咳込んでしまいましたが、それでも言いたいことは伝わったようです。


「菓子というのは分からんが、たしかに果実の匂いがするな。この皮の中に入っているのか? 人間というのは変わった果実の食い方をするのだな。どれ」


 相変わらず意図は不明ながらも、目当ての果実が食べられるというのであれば竜に不満はなし。万が一、食べ物に毒が仕込まれていたとしても、並みの竜ならともかくカレに効果があるとも思えません。


 うっかり少女の身体ごと飲み込みそうになるもヒトの血の味で久しぶりの甘みの風味が濁るのを厭って一旦堪え、改めて巨木のように大きな爪の先を使って器用に少女の手からパイだけを摘まみ上げました。そして目の前まで高く持ち上げてしげしげと眺めた後、口の中へとポイと放り込みます。


 鋼鉄をも噛み砕く牙がパイ生地を突き破り、そして次の瞬間。


「……っ!?」


 万年を生きてきて初めての衝撃。

 驚きのあまり竜は天に向けて特大の炎の息吹を吐き、空の雲を一気に吹き散らしてしまいました。街の人々は相変わらず怯えるばかりですが、別に威嚇のための行動では、ましてや怒りからくる行動などではありません。


「うまいっ!」


 これまでカレが主に食べてきたのは、品種改良もされていない自然のままの果実。それはそれで自然界においては貴重な甘みではあるのですけれど、人の手で何世代にも渡って品種改良を重ねられてきた果物の甘さたるや、同じ食べ物とは思えません。


 もちろん果物の質だけでなく、干し葡萄はお酒に漬けて風味を持たせてありますし、生地の主体となる小麦粉やバターだって数え切れないほどの手間暇がかかっています。


「これはなんだ! どうやって作ったのだ!」


「だから! お菓子ですって! えっとですね、作り方は――――」


 あくまで少女に分かる範囲でですが、彼女が語った作り方は自然の物をそのまま口に運ぶのが当たり前だった竜からすると信じられないほどに、いっそ狂気の沙汰とまで言えるほどに複雑怪奇な工程でした。


「――――それで、オーブンで焼き上げて完成です!」


「ぬう、なんと手間のかかる。いやだが、あれほどの味のためと思えば……」


「それでですね!」


「む、まだ続きがあるのか?」


「他にも! まだいっぱい美味しいお菓子があるんです!」


「なんと! アレだけではないと?」


 お菓子の種類はまだ他にも無数に存在し、しかも各国各地で日進月歩の発展を続けているというのです。こんな話を聞いたら、カレが次に考えることはもう決まったも同然でしょう。


「これからも! お菓子、食べさせてあげますから! 街の人達を食べちゃわないでくれますかー!?」


「うむ、よかろう! あんな美味いもの食ったら、わざわざ人間など好きこのんで食べようとは思わん。あれほどの手間を考えると、そうだな……五、いや七日に一度、菓子を献上せよ。そうすれば我が縄張りでお前達が暮らすことを許そうではないか」


「やった! 竜さま、ありがとー!」


 なんとも豪胆な少女もいたものです。どうやら竜が甘い物好きらしいと察してから、あっという間に頭の中で説得の筋道を組み立ててアイデアを実行に移したのでしょう。

 成り行きを見守っていた街の住人たちも、たったそれだけの対価で竜が襲わないでくれるなら安いモノだと、咄嗟の機転で英雄的な活躍をした少女に喝采を送っていました。


「ちなみに、だが……もっと頻繁に献上する分にはいくらくれても構わぬからな?」


 竜としてはお菓子作りの手間暇を考慮した上で最大限に吹っ掛けた条件を出したつもりなのですが、この反応を見てもう少し頻度を高めに提示すべきだったかと少々後悔したりもしていましたが、兎にも角にも一件落着。


「竜さま! 今日は! チョコレートケーキを焼いてきましたよー!」


「おお、あの黒いやつだな! うむ、苦しゅうないぞ」


 こうして何日も、何か月も、何年も、やがて少女が年老いて世代が変わっても新たな住人たちがこの仕事を引き継いで、甘党のドラゴンと縄張りの街の人々はいつまでも幸せに暮らしました。


 めでたし、めでたし。



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― 新着の感想 ―
[良い点] デカイドラコンが甘党。 暇をもて余していたら、人間にもてなされていた。 [気になる点] 虫歯(笑) 因みに牛や豚に馬はヤスリを口に入れて削るかひどければペンチみたいな治療用器具で虫歯が悪化…
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