第17話 ふふ、主様のにおいがします
「いやいやいやいや。なに言ってんの?」
「え、一緒に寝ましょうって……」
「そうじゃなくてね!?」
俺も久野市さんも風呂を済ませて、さあ寝ようとしたところで……久野市さんから、まさかの言葉があった。
それは今本人が言った通り。一緒に寝よう、というものだ。
一緒にとは、つまり一緒に……文字通りの意味だろう。だから、俺もこんなに驚いているんだ。
この部屋は、一人暮らし用の部屋……当然、二人暮らすとなれば充分な広さとは言えないだろう。いやまあ、場所がまったくないわけではないけども。
問題なのは、広さではなく布団だ。食器はまだ複数揃えていたが、布団は自分の分の一組しかない。もちろん、ベッドなんてあるはずもない。
なので、久野市さんを泊めるとなれば当然久野市さんに布団を渡すことになる。床で寝させるわけにもいかない。
「俺が床で適当に寝るから、布団は久野市さんが使いなよ」
「そんなことできませんよ! 主様に床に寝かせるくらいなら、私が床で寝ます!」
「いやそういうわけには……」
「すでに公園で寝泊まりしていた私に、死角はありません!」
話は平行線。おまけになんか言葉の使い方を間違っているような気もするし。
公園の話を出されてしまえば、俺はなにも言えない。
すでに外での寝泊まりを経験した久野市さんにとっては、屋根がある場所というだけで充分に感じているのかもしれない。
だが……だからこそ、ちゃんとした場所ではちゃんと寝てもらいたい。
だったら、どうするべきか……考えた、結果……
「俺のことを主様って慕ってくれるなら……命令。ちゃんと、布団で寝なさい」
「めっ……ぅ、なら、仕方ないです。わかりました」
あまりこういう言い方はしたくないのだが……俺を主様と慕う彼女になら、効くと思ったのだ。
その効果はてきめんで、先ほどまで頑なだった久野市さんは渋々といった態度ではあるが、受け入れてくれた。
……命令なら、なんでも聞いてくれるのか……
いやいや、変なこと考えるなよ俺!
「じゃ、もう寝るよ。はいどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず二人の寝る場所が決まり、久野市さんに布団を譲る。俺は少し距離を取り、床に座布団を敷く。
布団の中に久野市さんが潜り込むのを確認して、電気を消そうとするが……
「ふふ、主様のにおいがします」
「! お、おやすみ!」
なんだかとんでもないことを言われ、動揺した俺は勢いのままに、電気を消す。
部屋の中を暗闇が包み込み、俺は床に横になる。久野市さんには背を向ける形でだ。
一緒の布団ではない……とはいえ、こんな近くに女の子が一緒に寝ている。その変えようのない事実に、ドキドキしている自分がいる。
俺はこんな経験初めてだが……久野市さんはもしかして、男と一緒に寝たことがあるのだろうか。それなら、妙に慣れているのもわかる。
寝ようにもいろいろ考えてしまい寝ることができず……それは久野市さんも同じ気持ちではないかと思って、俺は確認のために少しだけ振り向き、久野市さんの様子を確認していた。
「すぴー……」
すやすやだった。暗くてよくは見えないけど、それでも心地よさ気な表情で寝ているだろうことはわかった。
ったく、変に意識しているのはこっちだけか……いや、意識していたら、自分から一緒に寝よう、なんて言わないか。
女の子が、自分の部屋で寝ている。なんとも変な気分だ。
それに……
「うーん……」
久野市さんは布団を蹴とばし、そのせいで布団が捲れる。すると、身体が露わになってしまうわけで。
俺の服を着ている……見慣れた服のはずなのに、なぜだかとても新鮮なものに見えて。あんまりまじまじ見ちゃいけないとわかっていても、頭で考えていることとは別に体は言うことを聞いてくれない。
しかし、無防備に寝ている彼女を見ていると……ふつふつと、別の感情も湧いてくる。
男の部屋に、こうも無防備な姿で寝ている。これはつまり……俺に、気を許してくれているということ。
だったらちょっとくらい……ちょっとくらい、本能に従っても、バチは当たらないのではないか。
だいたい、いきなり家まで押しかけてきて、そりゃメシは作ってもらったが……この子のせいで、桃井さんを怒らせてしまったんだ。ちょっとくらい、仕返しをしても、いいんじゃないか。
「……」
唾を、飲む。目が冴えているのは、さっき少なくとも寝たからか、それとも今からしようとしていことに昂ぶっているからか。俺はゆっくりと、手を動かす。
仰向けに寝ている彼女の身体へと手を伸ばしていく。今俺がしようとしていることは、最低なことじゃないのか。頭の中の、残った理性が警報を鳴らす。
だが、この女にかけられた迷惑……それに、こんなかわいい子が傍で無防備に寝ている状況。年頃の男には、なによりの劇薬だ。
一定のリズムを刻み、上下する胸元。そこへ視線を注ぎ、緊張から手のひらが汗ばんでいくのを感じる。
俺は、もはや本能に逆らう理性など残っておらず、感情の赴くままに手を伸ばして……
「……っ」
首筋に感じた、冷たく固い感覚に動きを止めた。
これは、覚えがある……俺が、久野市さんのことを刺客じゃないかと疑った時。
彼女は、自分ならば下手な小細工なんかしなくても俺を殺せる……と、目にも止まらぬ速さで喉元に突き付けてきたのだ。
……この、クナイを。
「んー……んぁ、なぁんだ、あるじしゃま、かぁ……」
動きが止まった俺の前で、久野市さんが目を覚ます。そして、俺の姿を確認すると……俺の首筋に当てていたクナイを引き、再び目を閉じた。
クナイが退いた瞬間、俺はどっと息を吐く。クナイを突き付けられ、息を止めていたからだ。
久野市さんは、無防備に寝ている……ように見えて。俺が手を出そうとした瞬間、きっちりと体は反応していた。
いや、寝てはいるんだ。ただ、それでも本能が反応しただけで。
もし、今ここにいるのが俺じゃなかったら、その首を切っていたのではないか……そう、思わせるほど。
「はは……はぁ……」
俺だと確認して、クナイを引いた。それは、俺相手だと安心した、ということだろうか。
こうも無条件の信頼を向けられて……なにより、今しがたちらついた死の景色に、俺はもう間違いを起こそうなどとは思わなかった。




