対価を用意しよう2
台所からグラスを取り出して戻ると、今か今かと待ちわびている緋冥が目に入ってきた。
少しミステリアスな印象のあった緋冥だが、今の様子からはただ楽しみなものを待ちわびている子供にしか見えない。
緋冥の前にグラスをおき、木箱から一升瓶を取り出してみる。
「ん?これって説明書かな?」
一升瓶の下には折りたたまれた紙が入っており、この酔僧がどういったお酒なのかが記載されていた。
「規律に厳しい修行僧であってもこのお酒の匂いを嗅いだら飲まずにはいられない…なるほどね」
「なに?これはそんな悪魔的な酒なのか?うむ、これは早く飲まねばならんな。久遠伊織よ、早く注いでくれ」
その説明を聞いた緋冥はさらに飲みたい欲求が加速したようで、早く注げとせがんでくる。
これ以上待たせたら怒られそうだと思った伊織は、一升瓶の蓋を外した。
するとふわっとした匂いが鼻をくすぐる。
日本酒ってこんな匂いがするんだなと少し思いながら、グラスにお酒を注いでいき、緋冥に手渡した。
「すー……。うむ、非常に華やかな香りだな。まるで自分が果樹園にいるのではないかと錯覚させられる」
「甘い?」
無類の甘いもの好きであるシアナが緋冥の感想に興味を持ちそう聞いた
「香りは甘いが、味は甘くない酒もある。つまり飲んでみないと分からん」
「ふ~ん?」
「ただ一つ分かるのは、これが美味い酒であるという事だ。では…」
まだ匂いを嗅いだだけであるが、このお酒が非常に美味しいものであると確信を持っていた。
待ちに待った人の作ったお酒、目をつむりながら一口飲み、味や広がる香りを楽しむ。
「うむ…うむ…。これぞ妾が求めていたもの。人の手でしか作れぬ繊細な味……。誠に美味である」
「へ~、そんなに美味しいのかしら?」
「少なくとも、以前供物として捧げられていた酒と遜色ない味をしている」
非常に美味しそうにお酒を飲む緋冥を見て、伊織も少し飲んでみたくなった。
これは緋冥の為のお酒なので、こんど自分で買って飲んでみようとそう思ったとき。
「少し飲んでみたいわね」
「ん、飲んでみたい」
そんなのは関係ないとばかりに二人がそう言った。
あれほどお酒を楽しみにしていた緋冥から貰うのは申し訳ない、そう思った伊織が二人をなだめようとする。
「これは緋冥のお酒だから、今度買ってくるよ」
「いや、構わんぞ。皆で飲もうではないか」
だが、意外にも緋冥から皆で飲もうと提案があった。
「え?いいんですか?」
「うむ、酒は一人で飲むのも良いが、皆で飲むのも良いものだ。久遠伊織よ、グラスを用意せよ」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
少し緋冥に申し訳ない気持ちもありつつ、あそこまで美味しそうに飲んでいたお酒を飲んでみたかった伊織は三人分のグラスを新しく用意した。
そしてお酒を注ぎ、クシナとシアナにグラスを手渡す。
「確かに、良い匂いがするわね」
「美味しそう」
「確かに、紅玉姫さんが行ってたみたいに果樹園にいるみたいな香りですね」
「それじゃあ飲んでみましょうか」
クシナの言葉を合図に、お酒を口に含む。
すると、匂いからは想像できないような米の風味が口の中に広がり、コク深い味が押し寄せてきた。
「凄く、美味しいですねこれ…」
初めてお酒を飲んだ伊織であるが、ただただ美味しいと思った。
「確かに凄く美味しいわね、これ」
「甘くない……」
クシナも同様で、非常に美味しそうにお酒を飲んでおり、いつもより三割増しで笑顔だった。
対してシアナは匂いからそのまま味を想像していたのだが、米の甘みが感じられる程度で果実酒程は甘くないお酒を飲んで少しだけテンションが下がっている。
「主、あげる」
「もういいのか?」
「ん…」
生粋の甘党であるシアナにはこのお酒は合わなかったようだ。
「久遠伊織よ、初めての酒は美味かったか?」
「はい、凄くおいしかったです」
「そうかそうか!では今日はこのまま飲み明かすとするか!久遠伊織よ、何かつまみになりそうな物はないか?」
「つまみですか?ちょっと探してみます」
一旦席を立ち冷蔵庫を開けてみたのだが、作り置きはなかった。
ただいくつか野菜が余っていたのでこれで味噌炒めでも作るかと思い、調理を開始する。
お酒のつまみも出来上がったことで、本格的な飲み会が開始された。
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お酒を飲み始めてから早数時間、伊織は完全に出来上がっていた。
本来であればもっとペースを落としながら飲んだ方が良いのだが、このお酒が伊織の好みにバッチリとハマっており、ドンドンと飲み進めてしまった。
その結果、少し頭がボーっとしたながらも何故か非常に楽しい気分になっていた。
「主様、大丈夫かしら?かなり顔が赤いわよ?」
そんな伊織の様子を心配してクシナが声をかける。
「んー、大丈夫だよ。それよりもクシナ、いつもありがとう」
「え?あ、主様!?」
それに対する伊織の返答は予想外のものであった。
何故かクシナに感謝をし、隣に座っていたクシナを突然抱きしめる。
自分から抱きしめたことはあっても、伊織から抱きしめられたことのないクシナは非常に驚いた。
「本当にいつも助かってるんだ……妖魔から守ってくれたり、気を使ってくれたり……だから、ありがとう」
そう言いながら、クシナの頭を撫でる。
「え、えぇ、いいのよ?主様の事はいつでも、いつまでも守るわよ?」
何とかそう答えたクシナであるが、心の中は歓喜で溢れていた。
酔った伊織がまさかここまで積極的になるなんて…と、これはもっと家でお酒を飲む機会を増やすべきかもしれないと、頭を巡らせる。
「クシナって凄く良い匂いがするよね…」
クシナの首筋に顔を埋めながら、そんな爆弾を投下する。
「えぇ!?そ、そうかしら…?」
「うん…子ぎつねの時は太陽みたいな匂いがしたけど、今は花畑見たいな匂いがする…」
そんなことを言われたクシナのテンションは軽々と上限を突破し、内情を現すように尻尾が荒ぶっていた。
「あ、主様さえ良ければ、いつでも嗅いでいいのよ?」
「……」
「主様?」
一種の暴走状態であった伊織であるが、かなり限界が近かったようだ。
「ね、寝ちゃったのね…」
クシナに抱きついたことで感じた暖かさや良い匂いに包まれた瞬間眠気に襲われ、伊織は簡単に意識を手放した。
「ふむ、久遠伊織は酔うとそのような感じになるのだな」
「えぇ、意外だったわ……でも、悪くないわ。えぇ、本当に悪くないわっ」
「まぁ、お主のその尻尾を見れば機嫌が良いことは分かる。さて、久遠伊織も寝てしまったしここらでお開きとするか」
「そうね、じゃあ私は主様を部屋に運んでくるわ」
クシナに抱きついたまま寝落ちしてしまった伊織を抱え、寝室へと移動する。
その後は伊織をベッドに寝かせるだけで良いのだが、伊織は今非常に気持ちよさそうに寝ている。
「そうよね、主様は私の匂いが好きなのよね?だったら一緒に寝たほうが良いわよね?」
伊織をベッドに寝かせ、自分も同じくベッドの中に潜り込む。
そして自身の尻尾で伊織を包み込むと、伊織は非常に幸せそうな顔をした。
「うふふ、おやすみなさい、主様」
本当に今日は良い日だと、心底思いながらクシナも目を閉じた。




