厄星討伐7
自慢気な表情をしているクシナやシアナの姿を笑いながら見ていた緋冥が伊織に問いかける。
「久遠伊織よ、妾との契約は簡易的な契約だ。だから妾に何かして欲しい場合は対価を差し出す必要がある」
「対価ですか?それはどんな…?」
「うむ、例えばお主が黒龍をどうにかして欲しいと頼んだ場合、霊力の他に捧げものとして酒を用意して欲しい」
「お酒ですか?」
緋冥から何か対価を差し出して欲しいと言われた時は一体どんな対価が必要なのかと緊張したが、それがお酒で良いと言う話しなので思ったより簡単そうだなと思った。
「今、簡単な対価だと思ったか?」
「え?えっと、はい」
そう考えていた伊織だが、どうやら顔に出ていたようだ。
「どんな酒でも良いわけではないぞ?妾が納得する酒を用意する必要がある」
「紅玉姫さんが納得するお酒ですか…」
「うむ、妾は清酒が好きだ」
お酒を用意するだけなら簡単だが、緋冥が納得できるかとなると少し難易度が上がる。
しかしそれでも、お酒で黒龍をどうにか出来るのであれば安いものだと思い、緋冥へ黒龍の対処をお願いすることにした。
「分かりました、ではお酒を用意するので黒龍の対処をお願いしても良いですか?」
「あい分かった。それで、程度はどうする?」
「程度ですか?」
「うむ、ボコボコにする、滅ぼす、追い返す、好きなのを選んでいいぞ」
「えぇ…」
そう、簡単そうに聞いてきた。
黒龍が顕現してから、退魔士達は総力を上げて戦ってきた。
五大明王の一角を投入し、やっとの思いで追い詰めた黒龍であるが、緋冥にしてみれば対処は容易いのだろう。
緋冥に提示された三択を聞いた伊織は、少し引きながら緋冥に問いかける。
「例えば黒龍を追い返した場合って、またこっちに現われる事はあるんですか?」
「いや、力を抜き取って追い返すから、再び現世へ来ることはないだろう」
「そうですか…」
伊織は追い返す選択をしようとしていた。
幸いにも、今回の戦いで軽く負傷した者はいるが死者は0人である。
それに何だか緋冥から滅して欲しくなさそうな雰囲気を感じ取っていた。
他の人たちは気づかないであろう本当に些細な違いだが、簡易的とはいえ緋冥と契約を結んだ伊織だけが緋冥の気持ちに気が付いていた。
「そしたら、追い返す形でお願いします」
「いいのか?ボコボコにすることも出来るぞ?あの黒龍のイキった顔面が張れ上がる姿を見たくないか?」
「い、いえ、大丈夫です。お願いします」
どれだけ黒龍の事をボコボコにしたいのだろうか?
緋冥がそう告げた瞬間、若干黒龍の方から悲鳴のようなものが聞こえてきた気がするが、伊織は変わらず追い返す方向でお願いした。
「そうか……感謝する」
一つ頷いた後、小さく呟いた。
「では久遠伊織よ、霊力を少し貰うぞ」
「分かりまし、うっ……」
そう言いながら緋冥が伊織の方へ手を伸ばすと、今まで感じたことのない虚脱感が伊織を襲った。
「主様!」
「主!」
倒れそうになった伊織を二人が咄嗟に支える。
顔色の悪い伊織を見て、クシナは殺気の籠った目で緋冥を睨みつけた。
「貴女っ……」
「そう殺気だつな九尾よ、なにも生命を脅かすほど霊力を貰っていない」
実際に緋冥が伊織から貰った霊力は、割合的にはそこまでではなかった。
おそらく他の退魔士が伊織と同じくらいの割合で霊力を消費したとしても、ちょっと体が重いかな?と思う程度だ。
では何故伊織が倒れるほど消耗したのか、それは緋冥の口から語られた。
「久遠伊織は、今まで多くの霊力を一度に消費したことがないだろう?」
「……」
「単純に霊力の消費に慣れていないだけだ」
今までクシナやシアナが伊織から霊力を貰って妖術を行使していたが、どれも伊織の霊力量からすれば気にする必要のないものばかりだった。
クシナの白炎さえ、伊織にとっては微々たるものでしかない。
「今後その主に仕えるのであれば、これより多くの霊力を使う機会もあるだろう。そのたびに倒れていては、倒せる敵も倒せんぞ?」
「……」
緋冥の言う事はもっともであった。
もし仮にクシナやシアナが死闘を繰り広げなければいけない相手が出てきたとき、伊織が倒れればそれだけで一気に不利になってしまう。
クシナが全力を出さなければいけない相手は滅多に居ないのだが、六尾の前例があるため伊織はそう言った存在から狙われる可能性が高かった。
「悪いクシナ、大丈夫だから…」
「そう……分かったわ」
緋冥の言い分が納得できることや、苦しそうにしながらもそう言ってきた伊織を見て殺気を収める。
「久遠伊織よ、今後は霊力を消費する訓練もした方が良いぞ」
「分かりました、ありがとうございます…」
そう答えた伊織を満足そうに眺めた後、緋冥は再び黒龍を見据える。
《早くこの炎を解け、緋龍よ!》
「はぁ、全く…お主はいつからそんな偉そうな物言いが出来るようになったのだ?」
憎悪に塗れた黒龍を見ながら少しげんなりとした様子を見せる。
「まぁ、この後久々に人の手で作られた美味い酒が飲めることだし、派手に行くとするか」
緋冥は両手に霊力を集めて一つ手を打ち鳴らした。
パンッという音が戦場を不自然にも駆け抜け、全ての退魔士がその音を耳にした。
それと同時に黒龍の上空に巨大な炎が現われた。
その炎は黒龍の何倍もの大きさがあり、全ての退魔士が唖然と空を見上げる。
次第に炎が晴れていくと、その中から巨大な門が現われた。
黒地に赤と金の配色、至る所に龍の彫刻が施されたその門は、荘重な気配を醸し出している。
「なに…これ……」
その呟きは誰が漏らしたものか分からない。
分からないが、この場にいる全員が同じことを思っていた。
《まさか…これは…》
門を見て黒龍は酷く動揺した様子を見せる。
そんな黒龍などお構いなしに、緋冥は呟いた。
「開け」
緋冥がそう言うと同時に、門が徐々に開きだした。
一体あの門は何なのか?そんな疑問を全員が思う中門が開く。
しかし、中は暗闇で覆われており伺うことが出来ない。
《くっ…緋龍!やめろ!!》
黒龍は何とか緋冥の拘束から抜け出そうともがくが、そうしている間に門が全て開き切った。
そして緋冥が一言。
「連れていけ」
その言葉を合図に、門から数多の龍が飛び出してきた。
龍たちは目の前にいた黒龍に噛みつき、巻きつき、門の中へと黒龍を引きずり込んでいく。
《ぐっ、やめろ!!やめろぉ!!》
黒龍も最後の抵抗をしていたが、多勢に無勢、呆気なく門の中へと引きずり込まれていく。
そして黒龍が完全に門の中へと消えると、門は閉じ消えていった。
「さて、終わったぞ」
振り返りながらそう言ってきた緋冥であるが、誰も言葉をかけることが出来なかった。




