逃げられない
一旦紅葉のことは置いておき伊織は真面目に講義を受けていた。
そして昼食を取り午後の講義も終わったところで白雪がある提案をしてくる。
「ねぇ伊織君、このまま帰っちゃおうか?」
「え?でもこの後紅葉さんと戦う約束してるんだぞ?」
「でもあんな失礼なこという人の約束なんて守らなくて大丈夫だよ。さ、帰ろ?」
この後予定されている紅葉とシアナの戦闘に嫌な予感を感じていた白雪がそう言う。
確かに嫌なことは言われたが、一度交わした約束を破るのは如何なものかと思っていた伊織だが、白雪がその手を掴み歩き出してしまう。
「し、白雪。やっぱり約束を破るのは良くないぞ」
「大丈夫大丈夫、何か言われても私が守ってあげるから」
そうして白雪が強引に手を引きながら講義室を出たところで...。
「む、そんなに早く出てくるとは。余程私と戦いたかったらしいな」
不機嫌そうな顔をした安倍紅葉が待ち構えていた。
いったい何時からそこに居たのだろうか分からないが、何人かの人が遠巻きに紅葉を見ている。
迎えに来ると言っていた紅葉であるが、まさか講義室の前で待ち構えているとは二人は思っていなかった。
「(に、逃げられなかった...)紅葉さんは何時からそこに?」
「私か?講義が終わってからここで待っていた」
腕を組みながらそう答える。
その言葉を話した後紅葉は伊織に歩み寄り腕を掴む。
「さぁ、組合へ行くぞ」
「え?ちょ!」
そしてずんずんと歩き出した。
いきなり腕を掴み歩き始めたので、伊織は引きずられるようにしながら紅葉について行く。
「ちょっと紅葉さん!強引ですよ!」
「ふん、こうしておけば逃げられないだろう」
実は紅葉は二人が講義室で話していた内容が聞こえていた。紅葉は鍛錬として生活に支障が無い範囲で常に身体強化を施している。
一口に身体強化と言ってもその強化幅は様々で、文字通り体の力を上げることも出来れば聴力や視力を上げることも出来る。
そんな鍛錬を常日頃行っているので、強化された聴力で伊織たちの話を偶然聞いてしまったのである。
「知っておけ、この安倍紅葉からは決して逃げられん」
そんな言葉を吐きながら歩みを進める。
ちなみに伊織は紅葉に引きずられた時、一瞬であるが抵抗しようとした。
しかし全くと言っていい程逆らえなかったので、諦めて腕を引かれながら歩いている。
右手を白雪に繋がれ、左腕を紅葉に掴まれながら歩いている伊織は大学内でかなり注目を集めていた。
流石にそのことに気が付いた伊織は紅葉に提案する。
「あの、紅葉さん。もう逃げないので手を放して貰えませんか?」
「ダメだ」
しかしその提案は一刀両断される。
まさに我が道を行く紅葉のその態度に、朝の出来事も頭に来ていたクシナとシアナが再び加熱し始める。
『本当にこの女は無礼だわ、主様の事を何だと思っているのかしら...』
『ん、絶対ボコボコにする』
紅葉に引かれながら歩みを進める。
あんまり話せる雰囲気でも無かったので会話も少ないままに組合へと到着した。
それでも未だに伊織の腕を掴んでおり、そのまま組合の中へ入る。
今日も今日とて沢山の女性が組合の中に居たのだが、中に入ってきた伊織たちの事を見た退魔士は一様に足を止める。
「く、紅葉様が、紅葉様が伊織君と一緒にいるわ!」
「これは...伊織君レースに新たな刺客よ!」
「はぁ、今日も伊織きゅんはカッコいいな~」
「白雪様もいるわ!これは修羅場よ!」
「見てあの不満そうな白雪様の表情を」
「はぁはぁ、伊織様...」
恋愛経験の少ない退魔士にとって、今の状況は恰好の娯楽である。
誰が一番に伊織を射止めることが出来るのか?レースが面白くなってきたなどの言葉が聞こえてくる。
そして伊織の方を拝んでいる人の姿さえあるのでその場は混沌としていた。
そんなざわめく組合の中を歩き三人は訓練場へ足を進める。
流石の紅葉も少し煩わしそうにしていた。
「ふん、ここの退魔士は男が来るといつもうるさいな」
実際男の退魔士が組合を訪れると、大なり小なりこういったざわめきが起こる。
それに遭遇したことのある紅葉であったが、今日はいつもよりうるさかった。
そのまま歩き続け、訓練場へ到着した。
中に入ると今日も何人かの退魔士が霊術の訓練を行っている姿が見える。
ここで初めて紅葉が伊織の腕を放し、訓練している退魔士に向かって足を進める。
そして退魔士の目の前まで行った紅葉が一言。
「下がれ、ここは今から私が使う」
「は、はい...」
安倍家の、それも一等星である紅葉からそう言われた退魔士達は訓練を中断し場所を開ける。
ただそれを告げられた退魔士達は今からここで紅葉が鍛錬をするであろうと予想しており、一等星の実力を間近で見る良い機会だと思い訓練場の中に止まっている。
ちなみにエントランスから訓練場に向かっていると気が付いた退魔士達も何人か付いて来ていたので、今訓練場の中にはそこそこの人数が居る。
そして場所が空いたので伊織に振り返り告げる。
「さぁお前の妖魔を見せてみろ」
その言葉を聞いた退魔士達がまた少しざわめく。
「ま、まさか伊織きゅんが戦うの!?危ないよ伊織きゅん!」
「怪我をしてしまうわ!」
「そうよ、やめた方がいいわよ」
「黙れ」
そんなざわめきがあったのだが紅葉の一言で全て沈黙する。
伊織は一つため息をつきながらシアナに尋ねる。
『シアナ、大丈夫か?』
『ん、準備万端』
『そっか、じゃあ悪いけど頼む』
『ん』
その言葉を聞いたシアナは、風を纏いながら姿を現す。
その瞳は真っ直ぐと紅葉を見つめておりやる気が伺える。
この場でシアナのことを見たことあるのは白雪だけなので、数多くの退魔士が驚いていた。
「あれが伊織君が契約してる妖魔...」
「え?人型なんだけど」
「人型っていうか、ほぼ人じゃない?」
「え?待って、ていうことは実は凄い妖魔何じゃ...」
「そんな妖魔を従えてる伊織きゅん素敵!」
どよめく退魔士達であるが、シアナの姿を見た紅葉も感心していた。
「ほう、格の高い妖魔だと思っていたがまさかここまでとは」
「お前はボコボコにする」
「ふっ、面白い。やれるものならやってみろ」
紅葉は強いと聞いていた伊織であったが、あまりにもシアナがやる気満々なので一つ忠告をする。
「シアナ、怪我はさせないようにな?」
「ん、出来るだけ前向きに考えて善処する」
何処でそんな言葉を覚えたのか不安になる言葉をシアナは言う。
そしてその言葉は紅葉にも聞こえており、一瞬きょとんとした顔をした後大笑いを始める。
「は、あははははは!お前は面白いことを言うな久遠伊織!」
何故紅葉がそこまで笑っているのか理解できなかった伊織は疑問に思う。
ちなみに白雪は頭を抱えていた、今の発言で少しであるが紅葉が伊織に興味を持ったためだ。
ひとしきり笑って落ち着いたのか紅葉が話し出す。
「この安倍紅葉にそんなことを言う奴がいるとは、久しぶりにこんな笑ったぞ」
「そ、そうですか...」
「あぁ、だがそうだな。もし私に傷を着けることが出来るのであれば、お前の嫁になってやっても良いぞ」
未だに楽しそうにしている紅葉が突然そう告げる。
「は?何言ってるんですか紅葉さんそんなの許すわけないじゃないですか」
それを聞いた白雪はあまりの怒りから体から冷気が漏れ出す。
そんな白雪の態度を見つつも未だに紅葉は楽しそうに笑っている。
「さぁ久遠伊織。始めようじゃないか」
「分かりました。頼むシアナ」
「ん!」
こうして紅葉対シアナの戦いが始まった。




