6、白く呼ぶ声
砂川からもらった段ボールの中に、何故か一冊だけ絵本が入っていた。
「白く呼ぶ声」、という題名の絵本だ。絵本の内容はこういうものだった。
あるところに一人の青年がいた。両親と三人で暮らしていた。青年は青学校でいじめを受け不登校になった。それから家に閉じこもり、好きな絵を描くだけの生活になった。親の助けなしではいられないほど何もできなかった。両親はどうしてうちの子だけ、と嘆くことはなかった。生きていてくれるだけでよかった。週末になると母が弁当を作って近くの公園に行き、三人で食べた。傍から見れば奇異に見える光景だったが、三人は気にしなかった。ささやかだが幸せだった。三人だけの世界だった。
父は冒険者をしており、高齢でもあるため、次の任務を最後に引退することになった。三人で穏やかに暮らそう。母は「気をつけて」と言って見送った。青年も無言で無事を祈っていた。しかし、父は帰らなかった。外地で魔物に襲われた。ギルド団員にそう告げられた。母はその場で気を失ってしまった。
父さん。父さんがもういない――。
目の前が真っ暗になった。世界が終わったかのような絶望感に襲われた。
一週間後、葬儀が終わるとその疲れから母は病にかかり寝込んでしまった。病に逆らう力もなくなり、衰弱していった。病院のベッドの上で弱っていく姿を見るだけになった。
「母さん、死なないよね」
「あなたを残したままではいかない」
林檎をむいた。手元が定まらず、一時間かかった。
青年は毎日病院へ通った。
「お母さん、死なないで」
「あなたなら大丈夫。しっかり生きて」
最後は「ごめんなさい」と言って、息を引き取った。
冷たくなった母の前で青年はうつむいていた。
もう母さんもどこにもいない。
青年は家で一人ぼっちになった。
居間の座卓の前でうなだれている。
向かいには父が、その隣には母が、ついこの間までいた。
今は暗い部屋の中、自分以外誰もいない。
お父さん、お母さん――。
両親の笑顔が思い浮かんだ。すぐそばにいるような気がした。
しかしもういない。
もう会えない、父さんにも母さんにも。
その晩、青年は一枚の絵を描いた。
両親の絵だった。位牌のそばに張った。
位牌の前で一晩中うなだれていた。
涙は枯れてしまった。
自分もいきたい――。
しかし、それだけの力ももうなかった。
次の日の朝、青年はある場所へ向かった。
「つどいの広場」。
地域の住民のためのメンタルケアなどを行う事業所だった。
障害を持った子が働いたり、集まったりする場所だ。
青年はまだ両親がいた頃、三人でよくお世話になっていた。
職員は顔なじみだった。
両親の死を悼んでくれた。手伝えることがあれば言ってくれと言われた。
隅の席で俯いていた。自分はこれからどうやって生きていけばいいのだろう。
そんな青年を遠くから見る一人の職員がいた。まだ若い娘だった。
職員たちは青年が自殺しないか心配した。毎日でもいいから来てくれと言った。
娘もその一人だった。最初は同情だった。
あるものをきっかけに娘は青年に惹かれるようになった。
それはつどいの広場に飾ってある青年が描いた一枚の絵だった。道端の雑草をスケッチしたものだった。
「日陰に咲く」というタイトルだった。優しいタッチの絵だった。
「食事は食べれていますか」、「夜は眠れていますか」。
娘は青年に心配する声を送った。青年は「はい」と答えるだけだった。
両親と三人で来るときもいつも控えめだった。青年は隅の席ばかりに座っていた。人前は自分のいるところじゃない、そんな風に言っているようだった。
あまりにも心配だったため職員が夕食を出張して作るということに決まった。そしてそれは娘が担当することになった。
その日の晩、青年の家を決まったことも伝えるために訪れた。
呼び鈴を鳴らすが青年は出てこない。ドアは鍵がかかっていなかった。娘は失礼しますと言って中に入っていった。すると居間の方で人がいる気配がした。居間の方へと向かうと、そこには信じられないような光景が広がっていた。
居間の真ん中でただひたすら青年はグルグルと回っているのだった。何周も何周も部屋の真ん中をグルグルと回っていた。驚いた娘は「何してるのですか!?」と言ってその行動を止めようとした。しかし青年は止まらない、反時計回りでひたすら回っていた。反時計回り――。
娘は職業柄こういうケースの対応に当たることは初めてじゃない。ピンと来たのだろう。その言葉を口にした。
「時間を巻き戻そうとしてるのですか!?」
青年は回るのを止めた。
ただ立ち止まって俯いている。
床にはもうどれくらい回ったのかわからないほど、円運動の跡が床に黒く付いていた。部屋はbタキオンで満たされていた。bタキオン特有の短絡運動だ。
娘はただ泣いていた。
青年は黙っているだけだった。
父さん、母さん、あとどれくらい回れば戻ってきてくれますか。
部屋の真ん中で黙って立ちすくんでいた。
父さんと母さん。
それだけだった。
次の年、青年は冒険者登録をしていた。
心が自由を失い、あることに捕らわれ、苦しみを延々と生み出す状態に入ることを六畳結界という。
精神を病んだ者などが、暗い部屋でネガティブな儀式を延々と繰り返すことなどがそういう風に言われる。彼らは内的世界での戦いに慣れている。修行を行い、魔法系をはじめスキルを片っ端から覚えていった。bタキオンに晒され六畳結界の度合いも酷かったのだろう。このとき源力も手に入れている。
青年の心は暗かったが白い光として声をかけ続けた娘の努力のおかげで生きる希望を取り戻した。
娘は舞という。青年は行郎という。
行郎の描いた一枚の絵がある。それは動物の絵だった。水辺で山羊が群れている。崖の上に狼がいる。人の子どもたちが動物たちと戯れている。美しい絵だった。この構図は、後に「古代庭園」、あるいは「根源庭園」と名付けられる。
というところで絵本は終わっている。
最後のページに本の中の青年の描いた絵が見開きで取り上げられていた。
「古代庭園」である。
普通の絵とは異なり、黒い下地に白の鉛筆で書かれた美しい絵だった。
本を読んだ俺はすぐに気がついた。
部屋の本棚から一冊のスケッチブックを引っ張り出した。水色学校時代の俺の落書き帳だ。
最後の方のページを見たとき、俺は背筋が凍るような感覚に襲われた。
そこには、「古代庭園」と全く同じ構図の絵が描いてあったからだ。
記憶がない。しかし、俺の描いた絵で間違いない。いつ描いたのだろう。
絵の題名は「帰れない場所」と書いてある。
もう一つ白い色に関して気になることがあった。
俺は白い色に何故か不思議な縁がある。昔から困ったときは白い色を選択するようにしていた。すると何故か上手くいくからだ。
砂川の下の名前。段ボールに名前が書いてあったのを見て初めて知った。
あの人の名前も「砂川弥白」だった。
絵本は作者の名前が「かざりまにこ」と書いてあった。
一体この絵本は何なのか。砂川は何か知っているのだろうか。
後で聞いてみた方がいいかもしれない。