4、やさしい事故
次の日、砂川が源力について教えてくれた。
「まあ、そこに座れ」
ギルドの二階の休憩所だ。丸い座卓の上に灰皿がある。話し相手のようにそこに手を何度も伸ばし灰を捨てている。
全然構わずたばこの煙が吹きかかってくる。まあ体丈夫だからいいが。
源力の説明が始まった。
ここに出入りするなら知っておいた方がいいらしいとのことだ。
「犬か猫は飼ったことがあるか?」
「……」
あいつらは飼うものだと、俺は思ったことない。下手したら競争相手だ。
「わかりやすく動物で例えてやろう」
まず動物は、大体のやつが周囲を確認する、ということができない。
確かに立ち止まって右を見たり左を見たりしている犬や猫を見たことはない。
人間でも赤ん坊はできない。これができるのは世界に対する認識と検討能力をある程度身に付けてからだ。
というのが学者たちの考えだそうだ。
しかし、一部の冒険者は別の認識を持っている。
人間は選択肢が減れば減るほど、意識が深まるという。
そして、それと比例して、感覚の射程距離が長くなるという。
極端な話、全く何もない場所で生活する人間は、遥か遠くを見渡せ、聞き分けられるそうだ。
植物も水をやらなければ根を伸ばす。水をやりすぎるとさぼって根は伸びない。
しかし、普通に生活している限り、そのような環境を作り出すことは難しい。
ところが、人間の中には稀に、あらゆる情報に晒されていながらも、その全てを無視して何もない世界を作れるものがいるらしい。
その状態が、源力がきいている状態だという。
源力というのは物量のあるエネルギーではなく状態なのだそうだ。しかしその状態に持っていくのにかなりの精神力を消費するらしい。
つまり、最初の例えに戻ると、右を見たり左を見たり、落ち着いて確認できる犬や猫がいれば、それが人間でいう源力持ちになる。
砂川は源力持ちではないそうだ。
源力を持っている人間は大きな町に一人か二人だという。
まず源力の仕組みを、それ以前に源力の存在そのものを知っている人間が冒険者でもほとんどいないそうだ。
源力を纏った状態だと、打撃などの攻撃の通りも一段階変わるらしい。
源力なしで一晩中打ち込んでも破壊できない相手に源力一つで壊せるようになる、それが死兵なのだそうだ。
ちなみに源力は、同じ源力を持っている人間にはすぐにわかるらしい。
立ち姿、振る舞い、その人間の全てにその痕跡がにじみ出るそうだ。
砂川が知る限り、この道楽の街には源力持ちはいなかったらしい。
何故そこまで教えてくれるのか、と聞いたら、取り引きを求められた。
ある人間の前で源力を纏ってくれ、と言われた。
いったい誰の?
と聞いたら、俺の家族のだ、と言われた。
というわけで翌日。俺は砂川に引っ張られて何故か病院の玄関前に立っていた。
「あの、ご家族って、入院されているのですか?」
「医者や看護婦に家族がいるように見えるか?」
何だか気が立っているな。たばこ吸わないでいるからだなきっと。
俺たちは二階の入院病棟に向かった。
階段を上がって進むと、病室が並んでいるなかで二人部屋の病室に「砂川果歩」と書かれているのを見つけた。娘かな?
「俺の娘だ」
入り口で砂川が言った。
あんた所帯持ちだったのか。
「細君はいねえ。拾ったんだ。体が弱くってな」
娘って落っこちてるものじゃないだろう。しかし、問い詰めるのはよそう。
俺たちはノックをしてその病室に入った。
「あ、お父さん、来てくれたの」
「調子はどうだ」
その隣のベッドでは、お婆さんが仰向けで寝ていた。
俺は何も言わずに見守る。
「お客さん?」
「ああ、ギルドの下っ端だ。何もできねえけど見舞いくらいはできる」
この人は顔広いように見えるけど、ここには誰も連れてこないんだろうな。俺に何させようっていうんだ?
娘は俺のことは気にしないようだ。
「ふーん、今日はお昼から外に出ていいって言われたよ」
「そうか、じゃあ後で連れていってやる」
「うん」
「ところで、すまん。名前聞いてなかったな」
「相葉冬介です」
そういえば名乗ってなかった。
「相葉、悪いけどちょっとここにいてくれるか」
「はい」
そう言うと砂川は部屋を出ていった。たばこ吸いに行ったのか。
俺は置いてあった椅子に座る。できるだけ部屋の隅っこの方に座った。
「……」
「……」
砂川は仕事はできるのだろうが、こういった細かい気づかいは苦手のようだ。
俺だけ残したらこうなるの当たり前だろう。
すると、隣のお婆さんが目を覚ましたらしく、枕元にある呼び鈴に手を伸ばして鳴らした。
すぐに看護婦と思われる女の人がやってくる。
「どうしました?」
「といれ」
そういうと女の人はお婆さんを介助して外へ出ていってしまった。
二人だけになり、さらに気まずくなる。
すると、砂川の娘は突然ベッドから降り、寝間着のままでスリッパを履いた。外に出るのか?
「あ、あれ……」
部屋の入り口の方を指差しながらそう言うと、その後はただ黙って再びベッドに腰かけた。
部屋の入り口を見るとそこに大きな手押し車がある。あれを使って外に出るのか。
俺はそれを確認すると入り口まで行き、その手押し車に手を掛けて持ち上げようとした。
「……」
ぐ、おおおおお――。なんだこりゃ、滅茶苦茶重い。
姿勢を変え、改めて構え直して持ち上げる。
うおおおおおお――――、何でこんな重いんだ? 女の子に押せるわけないだろこんなの。
しかし、何とか少しだけ持ち上がった。そのまま引き摺るように女の子の方へ持っていく。
ほんの僅かな距離が物凄く遠い。
呼吸が苦しくなってきた。一度下ろしてしまったら再び持ち上げられる自信はもうない。
何だこれ、魔物討伐に匹敵するんじゃないか。苦しい。
しかし、女の子にはあまり刺激を与えない方がいい。体の何が弱いのか知らないが、俺は必死で手押し車をそこに静かに下ろした。
「……はあ、はあ」
女の子はただ呆然とそれを見ていた。
「おまえ、何やってんだ」
気がつくと後ろで砂川が立っていた。
あきれたような顔で見ている。何かまずいことしたのか?
「あ、……おもり」
女の子が言った。
おもり?
* * *
病院の中庭で二人が楽しそうに歩いている姿を俺は後ろから眺めていた。手が震えている。あまりの重さに手が麻痺している。
どうやら手押し車には重りがはめられていたようだった。
隣のばあさんが勝手に押して出ていってしまわないようにらしい。
大人四人でやっと持てる重さだそうだ。
砂川は俺のおかげで源力を間近で始めて見たらしく、これまでの考えを改めた。
源力は物量のあるエネルギーだ。
お前が手押し車を、娘の前でゆっくり下ろしたとき、それがはっきりと感じられた。
今まで源力持ちを遠目で見ていただけで、その姿に勝手に自分なりの解釈を得ていたそうだ。
聞いた感じではそんなに間違ってもいないように思えたが。
娘の果歩は十三歳らしい。
砂川のある知り合いの男の娘で、その知り合いの冒険者は果歩が幼いとき任務で亡くなったそうだ。
それ以来、引き取って育てている。
二人がこちらを見た。
「冬介。お前も早く所帯持て。しっかり稼がないとな」
「がんばって」
苦笑いで返した。
空を見上げると、日が赤く暮れかけていた。