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パート3(完結)

歩「スクランブルエッグを『ぐちゃぐちゃ玉子』って言うの、私の家だけでしょうか?」

妖「あなたの家庭だけです」

「でも、あなただって。誰かに対して、死んでほしいほどの憎悪を抱くことはあるのでしょう?」

彼女が、悪戯っぽい笑みを浮かべて聞いてきた。

「解ります。私は他人の気持ちを汲める良い子ですから」

 少なくとも良い子ではないよね、と言いたい気持ちをぐっと呑み込む。

「何を仰るんですか」

溜息をつきながら反論する。

「そんなわけ、」

 そんなわけ。

 ……。

 言葉に詰まってしまった。 

 そんなわけ、ない?

 ない、のだろうか。

もしこれが道徳の問題ならば、当然の如く正解は否定なのだろう。万が一首肯しようものなら、たちまちクラスメイトや先生から執拗な追及を頂戴するに違いない。

 判っている。

 でも、実際のところ。

 僕は、僕自身はそれで納得するのだろうか?

「そんなわけ、ない。だなんて、嘘を吐いてはいけませんよ」

あいも変わらず微笑みを――薄ら笑いを浮かべたままに、軽くたしなめられる。

「……嘘?」

「ええ、嘘です。聞くに堪えない、真っ赤な嘘。虚言、いや、妄言もいいとこです。まさか、自分は本当に一度も『人を憎んだ』ことが無いとでも? むしろその方が、『そんなわけ、ない』でしょう。正常な人間ならね」

「……」

 彼女の舌はかつてなく滑らかに動いていた。

 憎悪というのは、身近にありふれたものなのか? ――少なくとも彼女が言うことには、殺意を抱くのは。

「自然な事、だと思いますよ。どんなに取り繕ったって、私たちは所詮人間なんだから。仕方ありません。ラヴがあるならヘイトもあって。一位がいるならビリがいて。ねえ、そう思いませんか?」

 なんだろう。

 今、胸の底になにかどす黒いものが溜まっているのを感じる。

 咄嗟に。条件反射的に。出血したら止血したくなるような、半ば強迫観念的な思考で。

 彼女の言葉を否定したくなった。

「……判らないけれど。今そんな話をしなくてもいいじゃあないですか。真実から目を背けてでも、僕は敢えて人間に絶望したくないですよ」

 平たく言えば要するに。

 気が沈むので暗い話題を挙げないで下さい。

 臭い物には蓋をして、紛い物をも使い倒して。

 何にも気づかず、のほほんと生きればいいじゃあないですか。

「おや、こういう話はお好きではない。意外ですね、てっきりお目目を輝かせてノッてくるかと。まだ思考の表層に浮き出ていないだけかしら」

 彼女は心底意外そうに首を傾げる。

 やめてください。

 僕は普通の人間です、

 異常者ではありません、

 あなたと違って。

「それじゃ、空気を読んで話題を変えるとしましょうか」

 一旦勘弁してくれた彼女だが、すぐに追撃してくるだろうことは明白だった。

「そうですね、折角ですし今回の事故の話でも」

「今回の、事故――」

「ああ、いや、身構える必要はありませんけどね。この交差点で死んだという事実を知ってしまっている以上、例えば運転手の容貌とかぶつかり方とか身体の欠け方とか――些事どころかオマケみたいなものです。小さじ一杯のスパイス程度の役割に他なりません」

 彼女は宥めるように笑う。

 確かにそう言われてみれば、逆にどうでもいいとさえ思えてくる。けれども、やはり知っておくべきではあるのだろう。

「まあ『折角なので』教えて下さい」

「そうこなくては」とでも言いたげに。

 彼女はおもむろに頷き、静かに語り始めた。

 僕の人生の分岐点――否、行き止まり。

「……やだなぁ、そんな大層な前置きをつけられたって期待には沿えませんよ。九割九分の人間の最期は、呆気ないものなんですから。あってないようなものなんですから。事故ともなれば尚更です。何の変哲も無い、自転車と歩行者の接触事故」

やはり彼女はドライなところがあるのではないかと思う。人の死に様くらいもっとドラマチックに――ん?

「今、なんて?」

 何と何がぶつかったって?

「今、自転車と歩行者の事故って聞こえたんですが」

「ええ。確かに」

 自転車ってのは……つまり、あの自転車だよな。

 俗に言うチャリンコ。

「それじゃあなんですか――僕は、自転車にぶつかって死んだんですか? 自動車じゃあなく?」

「え、言いませんでしたっけ? 自転車との接触事故って。あなたがぶつかったのはママチャリなんですよ。あ、知ってます? ママチャリって」

「流石に知ってますけど……」

えぇ……。

 どうしてか、自分が死んだと告げられた時と同じくらいの衝撃を受けた。

 どうせ死ぬなら大型トラックとかが良かった……というのは見栄を張りすぎ、贅沢だとしても。

 人間という生物はここまで簡単に。

 何よりも大切だったはずの、命を失ってしまうのか?

「今、『なんで自分は自転車なんかの衝撃で死んでしまったのだろう』って思っているでしょう?」

 彼女は見透かしたようなことを言った。

 違いなかった。

「まあ、はい」

「駄目ですよ、思い上がっては……いや、見くびっては。重さが劣って、速さが劣って、それでもなお当たりどころ次第では簡単に人を殺せるもんなんですよ。ま、心配しなくても、あなたが他人より弱い事にはなりません」

別にそんな事は心配していない。

「はぁ」

「それでも不愉快なら、せいぜい今後の生活に教訓を活かしたらいいんじゃあないですかね」

 何だよ、今後の生活って。

 というか、それを言うなら加害者の方じゃあないか――。

 あ。

 そういえば。

「加害者」

「はい?」

「加害者は、どんな奴でしたか?」

「お、気になりますか?」

そりゃそうだ。気になるに決まっている。

 すると、彼女はにやりと口角を上げた。

「知ってどうするんですか?」

 ……?

「……別にどうもしませんけど」

「そーぉですかそうですか、分かりました。そこまで知りたいのなら仕方がありません。教えて差し上げましょう」

 やけに気分が良さそうだ。僕は何か変な事を言っただろうか?

「事故が起こったのは昨日ですから、幸いにも彼の姿はくっきりとこの目に焼き付いてます。……確か、パッとしない感じの男の子でした。高校生かな? 坊主頭で、体格はがっちりしていました。で、紺色の学生服を着ていました」

同年代だったのか。

 まあ、一番調子に乗りそうな歳ではある。理解し難いことに。

 うん。

 ん?

「ひょっとして、その学生服って」

「鋭いですね」

「……」

 やるせなくなる。

「その子も救急車で運ばれて行きましたよ。その後どうなったのかは知りませんが、ここに来ていないということはまだ生きているんじゃあないですかね」

「おめでたいことで」

「ええ、本当に」

「……」

「……」

しばし沈黙。

 二時間程静寂が続いた後、先に妖精が口を開いた。

「私が見たところ、彼、気づいてましたよ。赤信号だって」

「へぇ。ブレーキの故障か何かですかね。ブタベルサハラ、気をつけないと」

「いやいや、判るでしょう? カマトトぶっちゃって……彼は、止まろうとしなかったんですよ。交差点に差し掛かろうとした時にさえ、彼は減速するような仕草をまるで見せませんでした」

「止まろうとしなかった?」

 止まる気がなかった。

 それって。

「つまり、信号無視ってやつですか」

「そんなところです」

 そうか。

 名前も知らない坊主頭君が信号を守らなかったせいで、僕が死んだのか。

 彼のせいで僕が死んだのか。

 ふぅん。

 ……。

「え、おかしくないですか?」

 釣り合っていない。

 筋が通っていない。

 不公平。

「はい? 何の話ですか?」

「交通事故の話ですよ」

「おかしいって。一体、何が」

「毎日律儀に交通ルールを遵守していた僕が、バカみたいに何も考えずバカみたいな速さでバカみたいに走ってきたバカのせいで死んでいるんですよ。常識的に考えて、こんな事があっていい訳無いじゃあないですか」

 因果応報が世の中の原則だというのなら、当然のようにして完全に破綻していることになる。

 よって、この話は「おかしい」。

 というのが、僕の感想だった。

 しかし、彼女は僕と別の見解を持っていたようで。

「因果応報? あなたは一体何を言っているんですか」

 まるで理解できないといった風だった。

 意味は解っても、意図は解らない。

 理解できない。

 まるで解れた糸を通すような、無理難題的な受け入れがたさを彼女から感じられた。

「何って……」

僕、何か変な事でも言ったかな?

「まさか有り得ないとは思いますが。真面目に生きていれば報われるって、こつこつ善行を積めばまるで貯金みたいにいつか返ってくるって、『正しく生きるだけで幸せになれるって』、『本気でそう信じているんじゃあありませんよね?』」

 口調は厳しくとも、怒ってはいないようだった――本心で怒っていた可能性が全く無い訳ではないが――寧ろ、僕の事を心配しているようにさえ見えた。心配といっても、こいつ頭大丈夫なのかな、みたいな。

「御伽噺じゃあないんですから。運命的な不思議な力が働くだなんてメルヘンチックな夢をみないで下さいよ。『才能』、『努力』、『時の運』――主観的に見たら、の話です。客観的に見たら『そうであるようにそうである』とでも言うのでしょうかね、三つひっくるめて――以外に、成功と失敗に関わる要素があるのでしょうか?」

一瞬、言葉に詰まる。

「……日頃の行い、とか」

「ははは、ご冗談を。ああ、『能力を身につける為の努力』なんかなら話は変わってきますかね」

彼女曰く。因みに三要素の中で一番比率が大きいのが「時の運」です。だそうだ。

「この世界では、正直者がバカをみるんです。今どき小学生でも知ってますよ。囚人のジレンマとか、学校で習わなかったんですか?」

 囚人のジレンマ。皆さんは私にとって都合のよい行動をしてください、私は皆さんの都合など考えず好き勝手にやらせて頂きます、っていう自己中心主義のアレか。

「いや、そうかもしれませんが。そも、今回の事件に於いて、えーと……坊主頭A校生には、交通ルールを破る必要は無かった」

「その通りです。しかし、あなたは彼の考えを全く理解していない。彼にとっては『交通ルールを遵守する必要こそが無いんです』。だって、『他人の安全は他人の安全でしかない』のですから。他人の事を慮っても自分の人生に於いて一文の得にもならないのですから。『どうせ誰も気にしない』。『みんなやってるんだから』。――ああ、交通ルールを『守らない理由』ならありますが」

 彼女はいつものように軽く笑っている。

 表情からは、全く感情を読み取れない。

「『ルールを守るのが面倒だから』。それが真理なのです。知ってましたか? 自転車に乗ってこの交差点を渡っちゃいけないんですよ」

そして彼女は徐に首を振って。

「だなんて。価値観が違う、とか適当を言って逃げてはいけませんね。頭が悪いんです。自分の行動がどんな結果を引き起こすのか想像出来ない。しようとも思わない。もう、諦めましょうよ。人間なんて、どこまで行ってもこんなものです」

……。

 反論しようと思えば、出来たかもしれない。でも、僕はとてもそんな気にならなかった。

 この世の中において「こっち側」の人間は、きっとごく少数なのだろう。

 だから、仕方ない。

 マイノリティは、生きづらいのだ。

 諦めるしかない。

 彼女のように多数派でいられるほど賢くなかったし、革命を起こすための力も持っていなかった。

 諦めるしかない。

 自分の不当な生きづらさを知って、それでも尚、そうであるようにそうであるだけだと受け容れる。

「やっと解りました。確かに。僕は、『殺意』と呼べるほど激しい憎悪を抱いていた。決まりの枠から飛び出たくせに、まだその恩恵にありつこうとする狡い輩に対して」

これは事実。

「もう人間なんて諦めたらどうですか、だなんて仰ってましたが、そんな忠告を聞き入れるまでもなく。既に諦めていたんでしょうね、生前から」

でも、どうしても認めたくなかった。

 皆が僕と違うということは、僕が皆と違うということなのに――そんな事にも気づかず想像の他人と同じように振る舞っている、滑稽な惨めな人畜無害な僕はさぞ社会の都合のよい奴隷だったことだろう。

 負け惜しみみたいだけれど、うすうす気づいてはいたんだよ。気づいたところで、どうしようもなかった。この生き方を変えられなかった。

 何故だろう。

「あなたが絶望的に不器用だからですよ」

「そこが僕の魅力なんですよ」

「自分で言わないで下さい。現代、そんな粋な事を考える人間が貴方以外にいるはず無い」

「いいじゃあないですか、自分より大切なものなんてないのでしょう?」

「……そうでしたね」

 これで、いい。

 皆が他人に配慮しないことで自己満足するならば、僕は他人に配慮することで自己満足する。それだけ。

 ……。

「ヨウセイさん」

「はい?」

「いつか、僕みたいな人間が、他人を慮ろうとする人間が……全員とまではいかなくとも、多数になり得ると思いますか?」

「思いませんね」

一呼吸おいて、彼女は言った。

「そうはならないで欲しい」

「何故」

こころなしか、彼女の口角が少し上がった気がした。

「あなたたちは、常に少数派だから格好いいんです。正しくあることが社会の常識みたいにされてしまったら、台無しですからね」

 粋ですね。

 そう言おうとして、止めた。

「ひねくれていますね」

「ええ」

 あるいは、彼女はそうやって折り合いをつけたのかもしれない。彼女も、きっと僕のような性格の人間だったとしたら。

 僕や彼女みたいな場違いな真面目も、生きてさえいればいつか幸せになれるのか。そんなこと、誰にも判らないだろうけれど。

 真面目でもまともに生きられるって。幻想みたいな幼稚な夢に、もう少し溺れてみようか。

 僕たちは理想主義者だから。

お帰りなさい。


 推定1万字超えの駄文を読み切ったあなたは相当な読解力を身に着けていることでしょう。おめでとうございます。

 さて、自分でいうのもと思いますが、おそらく何を伝えたかったのか解らない方が大半だと思いますので解説しておきます。

 この話のテーマはズバリ、「自転車に乗る時は交通ルールを守ろうね」です。あれだけ厨二めいた事を言いながら、結局それが言いたかったのだ私は。ちなみに友人君に教えたら爆笑されました。

 今まで違反していた人が少しでも罪悪感を抱いてくだされば書いた甲斐があったというものです。これが執筆時の最大のモチベーションでしたから。反対に、僕みたいな人は主人公の考えに共感できると思います。

 主人公の渡辺歩くんは自分をモデルにしたもので(私は彼と違ってそんなに賢くないですが)、私と同じ価値観です。自己投影っていうんですかねこういうの。

 一方妖精たその方は……誰でしょうね。もう一人の自分といったところでしょうか。言いたいことを的確に伝えてくれる彼女はきっと理系に違いない。歩君と結ばれてくれないかなぁ。この後の展開は考えていないのでご自由に想像を膨らませてみると幸せになれると思います。(放棄)

 そういえば、これが私の処女作ということになるのでしょうか。こんな文書で大丈夫か?(不安)


読了くださりありがとうございました。

感想、誤字脱字報告などお待ちしております。

またどこかでお会いしましょう。

2021/10/17 嫉妬勘定(実は理系)

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