パート1
多分、「思ってたんと違う」って人多い。さぁせん。
いってらっしゃいませ。
僕が通学に利用している駅の近くには、スクランブル交差点がある。
都会人には解らない感覚かもしれないが。僕が生まれた街にはそんなハイカラなモノは無かったので、幼き日の渡辺歩少年――つまり僕にとって、スクランブル交差点は都会の象徴であり、一つの憧れだった。だからこそ、今の高校――仮にA高校とでもしておこう――への入学が決まった時は随分と胸を弾ませた覚えがある。毎日スクランブル交差点を使う。それだけのことだが、まるで都会人の仲間入りを果たしたような気がして。錯覚なんだけれども。
しかし人間、同じ事を毎日続けていると、新鮮味が失せてしまうもので。入学からおよそ三ヶ月経った頃には、僕はスクランブル交差点へ対する高揚を殆ど喪失していた。
そんな折。
あれは高校一年目の夏休みが始まって三日、いや五日後だったか……まあいい。正確な日にちは定かに記憶していないけれど、とにかく数日後の出来事――。
その日、僕は暗闇の中で目を覚ました。
不規則な睡眠に定評のある僕には、そのバッドステータスが都合よく作用して十八時頃に寝る日が度々あるので、早朝と呼ばれる時間帯より更に早い時間帯に起床するのもさして珍しい事では無くて。だから起床の時点では決して慌てなかった。
――ああ、まだ夜か。午前二時くらいか。目覚まし時計、ちゃんとセットしてたっけ……。あれ、床の上で寝てる。寝相が悪かったのかな。布団はどこだ……。
手を左右に広げてみて。
そこで、僕は初めて異変に気づいた。
布団が無い、だけではなく。
僕が自室の床だと思っていたもの。
明らかに、普段と、手触りが、違う。
――なんだこれは……石? いや、アスファルトか? 自分の部屋に? そんな訳は無いだろう。
小さな違和感。
その断片から、覚醒が誘われる。
全身に纏わりつく緊張感。
脳が緊急事態を呼びかける。
――何が起こっている!? なぜ僕は地面の上に寝ている――もしくは『倒れている』んだ? 状況を整理しなければ……ここはどこだ!?
飛び起きて辺りを見渡す。
幸いながら、外灯の光が柔らかく差していて。おかげで、周りの様子がはっきりと視認できた。
予想通りというか。
どうやら、ここは道路。
横断歩道が交差している。つまり、スクランブル交差点のど真ん中。もしかして、例の交差点か? 駅前の?
交差点の中央にうつ伏せで倒れていたということになるのか。滅茶苦茶に危険だ。なぜこんなところに……。ともかく事故に遭わなくて良かった。
胸をそっとなでおろす。
しかし何故倒れていたのだろうか? 常識的に考えたら『倒れたから倒れていた』のだろうけれども、そんな禅問答みたいな話をしたい訳じゃあない。じゃあ突然意識を失って倒れたとか? 僕は何かの病気なのか?
駄目だった。僕がいくら考えたところで、この状況を理解するのには限界がある。
とりあえず家に帰ろう。
いや、帰っちゃまずいか。救急車とか呼ばないと。
僕が立ち上がった、その時。
「あ、起きたんですね」
「ひゃっ!?」
突然後ろから話しかけられ、心臓が跳ねる。
咄嗟に振り向くと、そこには女の子が立っていた。その姿から判断するに、おそらく僕と同年代だ。白いワンピースを着こなしており、夜の川越に純白が映える。
しかし何だこの人は。「起きたんですね」とは。僕が倒れているのを知っていて、指を咥えて起きるのを待っていたのだろうか?
この人に一体どのような意図があったのか、この人は誰なのか、僕には皆目検討がつかなかった。
「初めまして。こんばんは。いらっしゃいませ」
一方、この人は何事も無いかのように続ける。
初めまして、ということは初対面か。
「あなたは、誰ですか」
初対面の相手に第一声で名前を問うという致命的なミスを犯してしまう。仕方ないことだ。状況が何一つ読み取れず焦っていた上に、相手は女子ときている。うちの学校の生徒は女子と意思疎通を取る能力が致命的に欠落している。挙動不審にならないわけがない。
それを知ってか知らずか、この人は僕の失礼な問いかけに気を悪くしていないようだった。
「私は、……そうですね。ふふっ、まあ、妖精とでも呼んでください」
妖精。
冗談?
どう反応するのが正解なんだ?
「……妖精、ですか」
「ええ。えーっと、じゃあ本川越駅前スクランブル交差点の妖精ってことで。メルヘンチックで良さげでしょう?」
……なんだかなあ。
普段なら「ああ、ちょっと面白い感じの人(忖度した表現)なんだな」と確信していたことだろうけれども。状況が状況、何を言われても信じざるを得なかった。確かに彼女の衣装をよく見れば妖精のような神秘的な印象があるようなないような。
「あの。僕がこの交差点で寝ていた理由とか、ご存知ありませんか? どうしても思い出せなくて……」
「ああ、勿論知ってますよ。全部ではないですが」
知っているのか。尚更誰だ。
「えっと……それではね。お名前、一応聞いてもいいですか?」
「僕の名前は、渡辺歩です。一介の高校生です」
「渡辺歩さんね。分かりました。……もしかしてA高の方ですか?」
「あ、はい」
着ていた制服でバレたか。うちの学校は襟に紺色のラインが入ったワイシャツを採用している。
ここでもう少し説明しておくと、A高は県内で五本の指に数えられる程度には高偏差値(自分で言うのもアレだけど)の進学校である。自由な校風が人気だが、男子しかいないという決して修復できない欠陥を背負っている。僕は既に色々と諦めているが。
「さて、色々とつもる話もありますが……まずはご愁傷さまとお悔やみ申し上げておきましょう。この世界に落ちてしまうなんて、最高に不運ですね」
もしくは最低に幸運とでもいいましょうか、と付け加えた。
「どういう事ですか?」
この世界に落ちてしまった、とは。
今流行りの異世界転生系ラノベか?
それとも、きさらぎ駅みたいな?
一応聞き返したが、知らないでおきたいというのが本音だった。お悔やみ頂いている(?)時点で既にバッドニュースに確定しているのだから。
「ひょっとしたら既にお察しかもしれませんが――」
彼女は、そう前置きして。
演技の如く目を伏せつつ。
ぞっとするほど『冷たくない』声で。
なんでもないようかのように。
今日は火曜じゃなくて水曜ですよ、とでも言うように。
「――あなた、死んでいますよ」
指摘したのだった。
彼女の黒髪が風におどっている。
「……え」
ある程度は覚悟の準備をしていたけれど……正直、耳を疑った。
「死んでいるって……死んでいるということですか?」
「流石A高生、理解が早いですね」
とてつもなくバカにされたような気がするが、ともかく。
それはすぐに受け止めて納得できる類の話ではなかった。
「嘘でしょ……いや、やっぱり嘘だ。じゃあ、今ここにいる僕の存在はどう説明するんですか」
「まあ、落ち着いて下さいよ」
とはいえ、彼女の話を本気で疑っていると言ったら、それもまた嘘になる。
要するに僕は、彼女の話を「信じたくない事実」と判断した訳だ。因みにネタバレしておくと正解だった。
しかし、信じてしまうともう歯止めが利かない。
暫く言葉が出てこなかった。
考えることが多すぎて。
なぜ他人でなくこの僕が?
両親になんと言えばいい?
死後の世界って何なんだ?
こんな理不尽ってあるか?
負の感情に起因する衝動が。言語として成立してこそいなかったけれども、ただ悔しさとして、憂いとして、切なさとして、脳の大半を支配しているような状態だった。
そんな僕の気持ちを慮ってくれたのか、それとも嫌がらせとしてか、はたまた何も考えていないのか。彼女は、ぽつりぽつりと語り始めた。
以上。僕と彼女の出遭いは、おおよそこんなところだった。ただ自分だから主観だからなどというエゴめいた平凡な理由だけから言いたい訳ではないけれども。運命と切り捨てることもできるだろうし、偶然と仕立て上げることもできる程、数多い現代人の中でおそらく段違いに正義感の強い――彼女が言うには場違いで真面目なだけのこの僕が巻き込まれていたのは、やはり何かの間違い、特異な状況だったのだと誰もが認めざるを得ないところだと思う。
妖「転生したら幽霊だった件」
歩「それ転生できてないです」