第九十七話 青の聖騎士9
「なるほど。今の貴方の負の感情の大本は、レイリア嬢に関わる問題でしたか」
平坦な声と共に光の中から現れたのは、先程挨拶を交わした青の聖騎士だったが、なぜかその髪と瞳の色が先程会った時と異なっていた。
それでもウィリスは目の前に現れた人物が先程の青の聖騎士本人であると、何故だか直感で分かった。
「セディス卿は、どうしてここに?」
「伯爵が負の感情に囚われていらっしゃるご様子でしたので、お救いすべく、意識の中に入り込ませて頂きました。とは言え、私に出来る事は、こうして会話をする事くらいですので、そこから出るにはご自身の力で何とかして頂かなくてはなりませんが」
「自力で、ですか…」
「はい」
仕方なくウィリスは靄を取り払おうと足掻いてみせるが、まったく効果が無い。
「ちょっと無理そうです」
どんどん濃くなる靄に包まれながら、ウィリスは弱々しい笑みを浮かべた
「そうですか。では、そこから抜け出すのに役に立ちそうな話を一つ致しましょう。レイラ様のご夫君であられたソーマ=ゼピス様をご存知ですか?」
その名は流石のウィリスも知っている。
ファウスやファウスの姉のアイリーン=フォーン侯爵夫人の父親であり、レイリアとカイの祖父でもある前ゼピス侯爵だ。
元は王国騎士の称号を持つ男爵で、ゼピス家の跡取りであったレイラと結婚するにあたり、ゼピス家へ婿入りしたらしい。
だが、ソーマはレイリアが生まれる前に亡くなっており、ウィリスは当然会った事が無かった。
「お会いした事はありませんが、存じてはいます」
「では、ソーマ様が元平民だった事はご存知ですか?」
「ソーマ様は男爵のはずでは?」
「それはソーマ様がルタルニアの王国騎士になられた暁に、男爵位を叙爵されたからです」
「えっ!」
初めて聞く話に、ウィリスは目を丸くした。
「剣士としても人としてもとても優れた方だったそうで、レイラ様が惚れ込んでご結婚されたそうですよ。ご結婚当初は貴賤結婚だと騒がれたそうですが、ソーマ様は実力でそのような話をねじ伏せていったそうです。まぁ、あのレイラ様を娶るほどの方ならば当然でしょう」
フッと笑ったエルマーを見て、思わずウィリスもクスリと笑いを漏らすと、体がふわりと軽くなった。
「あっ!」
ウィリスを覆い尽くそうとしていた濃紫の靄が、いつの間にか消えている。
「悩みの種が消えたようですね」
「はい!」
元気な声で返事をしたウィリスに一つ頷いたエルマーは、体をふわりと宙に浮かせると、その身を銀色に光る球体へと変化させた。
「では、私は先に戻らせて頂きます」
銀色の球体から聞こえたエルマーの平坦な声に、ウィリスが明るく答えた。
「ありがとうございました!」
ウィリスの謝意に反応するかの様に銀色の球体は幾度か煌めくと、暗闇の中からその存在を消した。
「さぁ、僕も帰ろう」
誰にともなくウィリスがそう呟くと、ウィリスの体も先程のエルマーの様に宙に浮き、やがて銀色の光に包まれた。
(ここはどこだ?)
記憶に無い場所で目覚めたウィリスが、警戒心から勢い良くベッドから体を起こすと、横から少女の慌てた声がした。
「わっ!ウィル!そんな風に急に起き上がると、また倒れちゃうわよ?」
ベットの横に据えられた椅子から身を乗り出してウィリスを心配そうに覗き込む水色の瞳に、とりあえず今いる場所が安全な場所だと分かったウィリスは、強張らせていた顔と体から力を抜いた。
「ここは?」
「お祖母様の寝室よ」
「レイラ様の?」
「そう。だからここにはメルベス夫人か私しか入れないから、私とメルベス夫人で交代しながらウィルに付き添っていたの」
「レイラ様とセディス卿は?」
「午後から兄様と一緒に出掛けたわ」
「午後!?いったい今何時?」
「うーん…。時計が無いからはっきり分からないけれど、でももう夕方近くよ」
ウィリスがレイラとエルマーに会っていたのは午前の早い時間帯だ。
どれだけ自分は眠っていたのだろうかとウィリスが考えている横で、椅子に座り直したレイリアがベッドを挟んで反対側にある窓の方へと目を向けた。
「さっきまで雨が降っていたんだけれど、いつの間にか止んだみたいね」
そう言って外を眺めたレイリアが、急に椅子から立ち上がった。
「どうしたの?」
「ウィル、虹が出てる!」
パッと顔を輝かせたレイリアが、窓辺へ小走りで近づき、一気に窓を全開した。
少し冷たい風が部屋の中へと舞い込み、ハーフアップに結い直されたレイリアの髪がふわりと揺れる。
朝の少し大人っぽい装いから、黄色が少し強めの萌黄色のシンプルなワンピースへと変わったその姿が、窓越しに見える山の緑と白い雲が浮かぶ青空にはよく映えていた。
「わぁ!きれい…」
虹に暫し見惚れたレイリアが、くるりとウィリスへと振り向いた。
「ウィル、そこから虹見える?」
「山と空と、レイリアしか見えない」
「じゃあこっち来て!」
「うん」
ウィリスはベッドの下に揃え置かれていた靴を履くと、レイリアの隣へ歩み寄った。
「ほら、あそこ!」
レイリアが指し示す先には、濃淡の緑に包まれた山から白雲漂う水色の空へと掛かる虹がはっきりと見えた。
「ね、綺麗でしょ?」
嬉しそうに満面の笑みを向けるレイリアに、ウィリスは僅かに笑みながら呟くように言った。
「うん。とても綺麗だね」
と…。




