第九十一話 青の聖騎士3
部屋へと到着すると、レイラがメルベス夫人へ告げた。
「グレナ伯爵がいらっしゃったら声を掛けてちょうだい。それ以外は誰も部屋には近づけないように」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げたメルベス夫人が部屋を退室したのを見計らい、レイラは扉の鍵を掛けると、二、三言、不思議な呪文を唱えた。
「イゼルム・オーヴェ・クラスティルス」
すると、一瞬淡い光を放つ不思議な紋様が部屋の中央に浮かび上がり、そしてすぐに消え去った。
「これで誰にも邪魔されず、気兼ね無く話が出来るわ」
レイラの唱えた魔法は、一定の空間を風と光の魔力で覆い、音を閉じ込めるものだ。
使用する事で盗聴の恐れがほぼ無くなるこの魔法は、重要な会話を行う際によく用いられる。
ただこの魔法を扱うには、かなりの魔力と魔術士としての高い技能が必要なため、ルタルニアで言うところの王国魔導士に匹敵する高位魔術師でなければ扱えない。
しかも魔法の効果を付与する空間に、予め魔力を注いでから魔法陣を展開し、その後呪文を唱えて魔法を発動させるので、魔法陣の展開から発動まである程度の時間を要する魔法でもある。
それをレイラは、呪文の詠唱から魔法陣の展開、更には魔法の発動までを僅かな時間で行ったのだ。
「相変わらずお見事です」
抑揚のないエルマーの声が、静かになった部屋に低く響く。
「ふふ…。第一位の青の聖騎士様に褒められるだなんて、私も魔術師として衰えていないと自負して良いのかしら?」
レイラは部屋に据えられたソファへとゆったり身を沈めると、
「まぁ、あなたもお掛けなさい」
と、エルマーに対面を示した。
小さく頷いたエルマーが座りながら口を開く。
「レイラ様ともあろうお方が何を仰られるのやら。貴女様を超える魔術士など、この大陸にそうそう居りませんよ」
そう返したエルマーに、レイラが大仰に驚きの顔を見せた。
「あらあら。まさか貴方が世辞を口にするような日が来るとは。私が女神様の御許へ旅立つ日が近いという事かしら?」
くくく、と小さく笑うレイラに、エルマーが静かに言葉を紡ぐ。
「世辞などではありません。聖騎士の中でさえ、ゼピスの方や聖王国の王族を凌ぐ魔術士は、やはりおりませんからね」
「聖騎士の人材不足は相変わらず、というところかしら?」
「高望みしなければ、それなりにおります」
「でも、その『高望み』が今回のそちら側の希望なのでしょう?」
何もかもお見通しだと言わんばかりで笑んでくるレイラに、エルマーは一切の表情を崩さず肯定した。
「はい」
エルマーの答えに、レイラが僅かに首を傾げた。
「して、ファウスは何と?」
「経験に勝るものは無い、と仰って下さいました」
「そう…」
レイラは小さく息を吐くと、一瞬両目を閉じた。
「そうね…。あの子は力だけならば既にファウスや私にも引けを取らないでしょう。でも、絶対的に『経験』が足りないわ」
「では?」
エルマーの問い掛けに、レイラの目が緩む。
「私は既に隠居の身ですよ?当主の下した判断に、異を唱える必要は無いでしょう」
レイラからも了承を得られた事に、エルマーは内心安堵した。
「ありがとうございます。では建国祭が終わりました後も、風の若君を暫くの間お借り致します」
「あら。礼なんて必要無いわ。遅かれ早かれ、あの子は私達が向き合うべき現実を知らなければならないのだから。今回のトランセア行きも武者修行になったでしょうしね」
ほほほほほ、とレイラの笑い声が響く室内に、コンコンコン、と扉を叩く音が鳴った。
「お祖母様、レイリアです。お茶をお持ちしました」
部屋の外の音は中に聞こえるが、中の音は外には聞こえない。
孫娘の声に、レイラが困り顔で溜息を吐いた。
「誰も来ない様にと申し付けたはずなのに、全くあの子は…」
レイラはそう言いながらも、魔法で扉を開けた。
「失礼致します」
と声を掛けて部屋の中へと入ってきたレイリアに、レイラの厳しい口調が飛ぶ。
「私が呼ぶまでは、誰も部屋には来ないようにと言ったはずですよ?」
「ごめんなさい、お祖母様。でもセディス様へお茶もお出ししないなんて、やはり失礼かと思いまして…」
レイリアは申し訳なさそうな顔をレイラへ向けてから、ティーセットの載ったトレー上をテーブルの端へと置いた。
「お祖母様、私がお茶をお淹れしても宜しいですか?」
「そうねぇ。貴女はお茶を淹れる腕前だけは確かだし、お願いしようかしら」
「はい」
レイリアはレイラの許しにパッと表情を明るくすると、早速準備に取り掛かった。
先ずはポットとティーカップを温めるためにお湯を注ぐと、レイラとエルマーに茶葉の説明をした。
「本日ご用意致しました茶葉は、この春に収穫されたばかりのレーズウェーヌ産の早摘み茶葉です。早摘み茶葉特有の新緑を思わせる香りはもちろん、こちらは他の産地のものよりもすっきりとした味わいとなっているのが特徴なんですよ」
ポットとティーカップが温まった所で中の湯を別の容器へと捨て、ポットへと茶葉を入れる。そこへ熱々の湯を注ぎ入れると、ポットの中で茶葉が踊り出した。
その様子を確認してから蓋をし、ポットにティーコジーをレイリアが被せたところでレイラが言った。
「この子は昔からお茶を淹れるのが上手でね、家の者は皆この子が淹れてくれるお茶を気に入っているの。だから味に関しては私が保証するわ」
「レイラ様お墨付きのお茶を頂けるだけでも光栄な事ですが、まさかそれが風の姫君手ずから淹れて頂くお茶となると、恐縮の限りですね」
そうエルマーが口にした途端、レイリアは苦笑いを浮かべた。
「大袈裟です、セディス様。私はただ美味しいお茶を皆様に飲んで頂きたいだけなのです。それと、確かに私は幼い頃、風の姫君と呼ばれておりましたが、今の私はその様には呼ばれておりません。出来れば名前でお呼び頂けますか?」
「これは失礼を。こちらの呼び名は、幼少期のゼピスの姫君のみに用いられるものなのでしょうか?」
エルマーの問い掛けには、レイリアではなくレイラが答えた。
「いいえ。ゼピス家の魔力持ちの娘は、婚姻前であればそう呼ばれるのが習わしよ。ただ、この子の場合は魔術士ではなく剣士になりたいらしくて、魔術士としての鍛錬は行っていないの」
「魔力量の問題ですか?」
「ゼピスの名を持つに相応しいだけの魔力量をこの子は持っているわよ」
「では、何故に?」
それまで感情を全く表に出さなかったエルマーが僅かばかり眉を顰めて尋ねてきたものの、レイリアは正直に答えるべきか一瞬迷った。




