第七十五話 兄と妹3
結局その後は直ぐに夕食の時間となり、カイとレイリアの話し合いは中断する事となった。
カイとレイリアが揃って食堂へと移動すると、その後すぐにレイラがやってきた。
三人が席に着いた事を確認した給仕が、テーブルへと料理を並べ始める。
正式な晩餐という訳ではないので、テーブルの上には夕食として給されるべき料理が全て並べられた。
料理の説明が料理長よりなされた後、レイラに合わせカイとレイリアも食前の言葉を唱える。
「女神フロディアの加護と恩恵のもと、今日もこのうるわしき食を受く事が出来る事に、心よりの感謝を」
祈りが終わったところで早速レイリアは食べ始めたものの、毎度の事ながら礼儀に厳しいレイラとの食事はリシュラスのゼピス邸での賑やかな食事とは違って異様に静かな上、重苦しい空気を感じながらのものとなるので、正直楽しい時間とは言い難かった。
それでも料理はあの祖母が味に満足するだけのものが並べられているだけあり、リシュラスのゼピス邸で出される料理に引けを取らない美味しさであった。
カトラリーが奏でる音が時折響くだけの食卓で、レイリアが黙々と食べ続けていると、突然レイラから声が掛かった。
「レイリア」
「はい」
「今日は貴女が来るというから、貴女が好みそうな料理を揃えてみたのだけれど、どうだったかしら?」
レイラの言葉にレイリアはハッとなった。
言われてみれば、夕食に出された料理の幾つかは、小さい頃からレイリアの好きな料理であるし、その他の料理もレイリア好みの味付けだ。
(お祖母様は私の好みを覚えていて下さったんだ)
レイラの配慮を嬉しく思ったレイリアが、笑顔をレイラへと向けた。
「とっても美味しいです、お祖母様」
「そう。それは良かったわ」
そう言って柔らかな笑みを浮かべるレイラを見て、レイリアは思った。
(もしかしたら、昔よりは嫌われていないのかも?)
魔術士ではなく剣士になると言い張った幼いレイリアに、この祖母は魔力の塊をぶつけてきてまで怒り狂った。
その結果、幼いレイリアはあっという間に意識を失い、丸一日以上寝込んでしまったのだ。
それ以降、レイリアはレイラの事を怖がりあからさまに避けるようになったし、レイラの方もレイリアと距離を取るようになっていた。
(でも私の事が嫌いじゃなかったら、アトスと魔法勝負しろなんて言わないし…。やっぱり私の事まだ嫌いなのかなぁ…)
レイリアはそんなことを考えながら、残り料理を頬張っていた。
デザートまでしっかり食べ終えレイリアが部屋へ戻ると、グレナ伯爵邸へ使いに出していたエイミーが戻っていた。
「こちらがウィリス様からお預かりした手紙です」
レイリアはエイミーから差し出された封筒を受け取ると、お茶の準備をさせてからエイミーを部屋から退出させた。
自分用のお茶を淹れたレイリアは、封筒を改めて手に取ると、裏表とひっくり返しながらまじまじと封筒を眺めた。
(そういえば、ウィルから手紙を貰ったのっていつ以来かしら?)
ウィリスとはここ一年半以上同じ家に住んでいるため手紙のやり取りをする必要が無く、その前はローシャルム子爵家に邪魔されていた。
更にウィリスの家族が生きていた頃まで遡っても、ウィリスとはほぼ毎日ノイエール学園で顔を合わせていたし、放課後もほとんど一緒に剣の稽古をしていたので手紙の必要が無かった。
(あれ?もしかしてこの手紙って、ウィルから貰った初めての手紙じゃない?)
その事に気が付いたレイリアは、何だか不思議な気持ちになりながら、手にした封筒を検める事にした。
ペーパーナイフで封を開け、手紙を取り出して読み始めれば、先ず書き出しに驚いた。
『親愛なるレイリア=ゼピス嬢』
そこから始まる文章は、
『リシュラスより無事お祖母様のもとへ到着されたようで、何よりです。グレイベラはリシュラスより幾分か気温の低い都市ですが、体調など崩されておりませんでしょうか?』
といった、まるで手紙のやり取りの模範の様な挨拶から記されていた。
レイリアがウィリスへ送った手紙は、『ウィルへ』から始まり、時候の挨拶なぞすっ飛ばし、祖母とのやり取りと祖母への文句を書き殴ったものだ。
送った手紙に対し、まさかこんな丁寧な文章の手紙がウィリスから送られてくるとは思っておらず、これはもしや代筆なのではないかとさえ思うが、筆跡は紛れもなくウィリスのものだった。
その後も丁寧な言い回しで、レイラへと面会の使者を送った事と、レイラとの面会が叶った場合には、その後にレイリアとの面会を望む事が書かれていた。
そして最後に、
『グレナ伯爵 ウィリス=ハーウェイ』
のサインが記されて、手紙の一枚目は終わっていた。
そう、この手紙は一枚目。
本来ならば手紙の終わりを示すサインが記されているにもかかわらず、ウィリスからの手紙には二枚目が存在したのだ。
レイリアは嫌な予感を覚えながら一枚目をめくり二枚目へと読み進めると、そこには『追伸』の文字から始まる嫌味とお説教が並べられていた。
『君はいったいグレナに何をしに来たのか分かっているのか?アトスとの噂を沈静化させる為にリシュラスを離れたはずなのに、僕と別れてからほんの数時間でどうしてここまで状況を悪化させられるのか、僕には全く理解出来ない。もう少しレイリアは自分の言動に注意するべきだ。頼むからこれ以上問題を起こさないでくれ。流石の僕もレイラ様が相手じゃ、今すぐどう対処すべきか分からない。レイラ様には明日にでもお会いしたいと使者を送ったから、もし明日そちらに行けたらレイラ様との話し合いの後に会おう。だから僕が行くまで大人しくしているように!』
二枚目の手紙は、正しくレイリアの知るウィリス=ハーウェイという人物が言いそうな内容だった。
それこそこの手紙の内容をウィリス本人が直接レイリアへ言ってくるとしたら、どんな表情をしながらなのかさえ、レイリアには容易に想像出来た。
げんなりしながら二枚目を読み終えたレイリアは、この文章を書いたのは本当に一枚目の手紙を書いた人物と同一人物なのかとさえ疑いたくなった。
「はぁー」
レイリアは声と共に一つ大きなため息を漏らすと、ワンピースがシワだらけになるのもお構い無しに、ベッドへと転がった。
ウィリスの言う通り、この数時間で状況が大きく変わってしまった。
アトスとの婚約が嫌で、父にファルムエイド家との交渉を任せてグレナへ逃げてきたのに、祖母の口車に乗せられてアトスと魔法勝負をしなければならなくなった。
しかもその勝負に勝てなければ、アトスと婚約させられてしまう。
だがアトスに勝てば、アトスとの婚約の話は今後一切無くなる。
つまり、ここ数年レイリアの心を苛立たせていたファルムエイド家との婚約問題が一気に解消されるのだ。
(とにかく何が何でもアトスに勝たないと。明日からはしばらく魔法の練習しなとなぁ…)
レイリアはベッドに寝転びながら明日以降の身の振り方を考えていたが、その思考には段々と靄がかかり始めた。
長時間の移動による肉体的な疲れと、祖母との対面による精神的な疲れが、ここに来て一気にレイリアを襲ってきたのだ。
眠ってはいけないと思いつつ、瞼が下がるのを止められないレイリアは、ついに夜の夢の世界へと旅立ってしまった。




