第六十九話 救国の英雄と殲滅の魔女8
前ゼピス家当主にして前ゼピス侯爵夫人であったレイラ=ゼピスは、前ルタルニア王国筆頭魔導士でもあった人だ。
そして、約三十年前に隣国リガルム帝国とグルーシャ地方の帰属を巡って争った『グルーシャ戦役』における最大の功労者とされ、世間ではレイラを『救国の英雄』と呼び讃えていた。
リガルム帝国は、元はリガルム王国と呼ばれていた中規模の国であった。
それが先代の王の時代に、周辺の小国を次々と武力で併合すると、三十年ほど前にリガルム帝国と名乗るようになった。
そして、その勢いのままに隣接していたルタルニア王国のグルーシャ地方へまで手を伸ばしてきたため、ルタルニア王国軍との戦端が開かれる事となった。
新興のリガルム帝国と、大陸内でも一、二を争う大国となっていたルタルニア王国との争いは、開戦当初よりルタルニア王国軍が押していたため、そのままルタルニア王国側の勝利で終わるかと思われていた。
しかし、敗北が濃厚と思われたリガルム帝国が、最後の最後に投入した魔戦士部隊により、戦場は両国軍共に混乱の極みに陥る事となる。
リガルム帝国の魔戦士部隊は、剣士でありながら魔法も使える、いわゆる魔法剣士のみで構成された部隊であった。
一般的な魔法剣士は、魔術士として生きるには魔力不足の者が、剣術を身に付けて魔法剣士となる場合が多かった。
そのため低級魔法しか使えない魔法剣士が殆どなのだが、リガルム帝国の魔戦士部隊に所属する魔法剣士は、中級魔法どころか、中には上級魔法まで操る者がいた。
この魔戦士部隊の登場により、戦況は一気にリガルム帝国側へと傾き始めた。
ルタルニア王国軍はこの状況を打開すべく、ほぼ全ての騎士と魔導士を戦場へと投入する事を決めた。
そして、戦況が再びルタルニア軍優勢となり始めた頃、リガルム帝国にとって想定外の事が起こった。
それは、戦場の第一線で戦っていた魔戦士達が、突如として人ならざる異形のモノへと転じ、敵味方区別無く襲い始めたのだ。
人ならざる異形のモノとなった元魔戦士の戦闘能力は今までよりも更に高く、魔戦士以外ルタルニア王国軍よりも劣っていたリガルム帝国軍は、元魔戦士であったモノ達によりあっという間に蹂躙されていった。
一方のルタルニア軍は、騎士と魔導士を前面に配した布陣へと組み直し、更には、王族警護のために王都に残っていた筆頭魔道士のレイラ=ゼピスを戦場へと送る事を決めた。
戦場に現れたレイラは、人ならざる異形のモノと化した元魔戦士達の魔力を悉く封じていった。
その後、魔力を封じられた元魔戦士達は、騎士と魔導士を擁したルタルニア軍に殲滅されたのだが、その殲滅戦の先頭にはいつも不気味な笑みを浮かべたレイラがおり、魔戦士を上回る上級魔法を、笑いながらこれでもかという程連発していたという。
そして、レイラが魔法を放ちまくった大地は、何の生命の息吹も感じられない程の荒野と成り果てた…。
上級魔法を高笑いと共に自在に操るレイラを目にした者達は、その姿に恐れ慄き、彼女をこう呼ぶようになった。
『殲滅の魔女』と…。
こうしてレイラ=ゼピスは、『救国の英雄』であると共に、『殲滅の魔女』という有り難く無い異名を得たのだが、問題は『殲滅の』という部分が、レイラだけではなくゼピス家の人間全てに当てはまるかの様な風潮となってしまった事だ。
お陰でレイリアは家名を名乗るだけで恐れられてしまう事が度々あり、それを回避するため、初対面の相手には必要がなければ家名を名乗らないという小さな努力を続けていた。
そんな孫の苦労なぞ気にも留めないレイラは、齢六十を超えた今も尚、剛者の覇気を纏い続ける女傑であり、現在でもゼピス家内外において強い発言権を持っていた。
レイリアはこの強くて怖くて、しかも礼儀礼節に厳しい祖母とこれから相見え、アトスとの婚約話を無かった事にしてくれと説得しなければならないのだ。
車窓からレイラの待つ屋敷を澄んだ水色の瞳に映したレイリアが、膝の上で重ねていた手を握りしめ、心の中で盛大に気合を入れるのも仕方のない事だった。




