第六十四話 救国の英雄と殲滅の魔女3
「君は本当に、自分の価値を何も知らないんだな」
「何が?」
「いや、知らされていないと言うべきか?」
「だから、何がよ!?」
呟くようにもたらされたアトスの言葉に、レイリアが強い口調で問い質す。
「ゼピスの血を引く者は、その身に風の精霊の加護を受けているという話は聞いた事があるか?」
「えぇ。聞いたことがあるわ。でも噂話よ」
アトスの話に、レイリアは肩をすくめて返した。
この話の出所は、ゼピス領の東部にある風の谷と呼ばれる地に、風の精霊を祀る神殿があり、ゼピス家が元はこの神殿を司る神官の家系であったからだ。
そのお陰で幼い頃のレイリアは、一部の人々から『風の姫君』なぞという有り難くない二つ名で呼ばれてさえもいたのだ。
「噂話ねぇ…。昔は『風の姫君』とまで呼ばれていた君が、風の精霊の加護を否定するのかい?」
絶妙のタイミングで黒歴史的呼び名を口にしたアトスに、レイリアはイラッとした。
「その呼ばれ方、好きではないから止めてくれる?だいたい、この家に生まれて十二年以上経つけれど、風の精霊なんて見たことも無ければ、精霊の加護なんてモノを感じたことも無いわよ」
「そうか…。だが、ゼピスの人間の魔力が桁外れに高いのは、そのせいだと言われているんだ。だから高い魔力を持つ子を得たい家は、ゼピスの直系の血を混ぜたがる。ここまで言えば、どうして自分が望まれるのか、分かっただろ?」
アトスから告げられた自分の知らない自分の価値に、レイリアは納得して頷くと、ニヤリと笑った。
「つまり、私には侯爵令嬢としての価値以上の価値がある、と周りは思っているっていう事よね?」
「ああ、そうだ」
「という事は、私はファルムエイド家以外からも望まれるはずの身だもの、別に今すぐ誰かさんと婚約なんてしなくても良いと思わない?だって、私ってば、選り取り見取りの立場みたいだし」
ウフフ、と笑うレイリアに、アトスもまた軽く笑んでみせた。
「残念ながら君の希望通りにはいかないんだ」
アトスはそう言うと、上着の胸元から一通の手紙を取り出した。
「これが誰からの手紙か分かるか?」
アトスの右手の指に挟まれた封筒をじっと見ていたレイリアは、そこに綴られていた文字に見覚えがある事だけは分かった。
「私の知り合い、よね?」
差出人の見当がつかない手紙にレイリアが眉を寄せると、アトスは浮かべていた笑みを深めた。
「救国の英雄様からの手紙さ」
アトスが口にした二つ名に、レイリアはサッと顔を強張らせた。
「お祖母様からの?」
レイリアからの問いに答えるかのように、アトスが封筒を裏返しにしてテーブルの上へと置くと、レイリアは封筒を食い入る様に見つめた。
ペーパーナイフで開けられた封筒には、まだ封蝋が残っており、そこには、代々のゼピス家当主のみが使用を許された羽を広げた竜と、祖母が好きなリズレンの花の模様が押し出されている。
そして、封筒の下部には、差出人として認めたく無い人物の名が記されていた。
それは、
『レイラ=ゼピス』
と。
どこからどう見ても、祖母であるレイラからの手紙だ。
ごくりと唾を飲み込んだレイリアが、アトスへと視線を戻した。
「それで、この手紙が今までの話と何の関係があるのかしら?」
レイリアが探る様な眼差しを向けると、アトスは相変わらずいけ好かない笑いを浮かべたまま口を開く。
「僕は今回の件について、レイラ様に謝罪の手紙を送ったんだ。なんと言っても君は、救国の英雄たるレイラ様の孫でもあるし、そんな君に一生跡が残る怪我をさせてしまったからね。だから手紙には、責任を取りたいからレイリアを娶らせて欲しいとも書いたんだ。その返事がこの手紙さ」
テーブルの上の手紙を、アトスが人差し指でトントンと叩く姿に、レイリアのイライラが増してくる。
「そう。それで、お祖母様は何と仰ってきたの?」
レイリアからの問い掛けに、アトスは今日一番の不快極まりない笑顔を見せると、こう言った。
「とても興味深い提案だから、是非話を聞きたい、ってさ」
その答えに、レイリアは自らの体から血の気が引くのを感じた…。




