第六十話 少年の理由〜グレナ伯爵一家殺害事件〜7
(ルッカ…)
ルッカの声に反応したウィリスが、両腕を振りかぶったまま動きを止めた。
そしてウィリスは自分の背後にいるであろうルッカの存在を確かめようと、目の前のガラス窓に映っている少女へと目をやった。
しかし、宵闇を背にした窓ガラスに映っていたのは強張った表情のルッカだけではなく、恐ろしい程不気味で、何とも残酷そうな笑みを浮かべている己の姿で…。
それを目にした途端、ウィリスはガラスに映っているのが自分だと認められなかった。
いや、認めたくなかった。
今まさに人の命を奪おうとしている自分が、嬉しそうに笑っているなど…。
ガラスに映る自分の姿をした何かに問いたかった。
『お前は誰だ?』と。
先程までの高揚感が薄れ、冷静さを取り戻したウィリスは、ガラスに映る己の姿の異様さと異常さに、自分自身が恐ろしくなった。
「ウィル、もう止めて!お願い!」
窓に映るウィリスを見つめながら、再びルッカが声を上げる。
そのルッカの声に現実へと意識を引き戻されたウィリスは、自分が成した事、今成そうとしていた事に恐れ慄いた。
人を殺した。
人を殺そうとしていた。
それも、笑って…。
怖い。
何が?
自分が…。
笑いながら人を殺める自分が!
そう思ってしまった瞬間、ウィリスは振り上げていた腕を下へと垂らし、一歩、二歩、三歩と男から離れる様に後ずさった。
己の姿に衝撃を受けたウィリスがその場に呆然と立ち尽くしていると、駆け寄ってきたルッカがウィリスを抱きしめた。
「ウィル…。もう…、もういいから…。もう…、充分よ…」
嗚咽混じりのルッカから零れ落ちる涙が、抱きしめられたウィリスのおでこや頬に絶え間なく降ってくる。
ポタポタ、ポタポタと…。
その雫の幾つかがウィリスの口へと流れ込んできた。
(しょっぱい…)
そんな当たり前の事を感じたウィリスは、ようやく自分が人らしさを取り戻したのだと思った。
「ルッカ、ごめん。父上と母上を、守れなかった…」
ぽつりとこぼされたウィリスの言葉に、ルッカは腕の中の弟を強く抱きしめ直した。
「ウィルが、無事なだけでも、良かった…」
ルッカの言葉を聞いた瞬間、ウィリスは自分を覆っていた緊張感がプツリと途切れ、体中の力が抜けていくような感覚に襲われた。
思わず剣を持っていない左手でルッカにしがみつき、その体に寄り掛かると、ルッカは更に強くウィリスを抱きしめてくれた。
「ウィル、頑張ったね…。父上と、母上がいたら、きっとウィルの事、いっぱい褒めて、くれたよ…」
ルッカは涙ながらにそう言いながら、ウィリスの頭を何度も撫でた。
撫で付けられるルッカの手をとても心地良く感じたウィリスは、体だけではなく、頭までルッカに預けてウットリと目を瞑った。
だがその瞬間、ルッカがウィリスを思い切り突き飛ばしてきた。
驚いたウィリスがよろめきながら目を見開くと、ルッカの腹部は赤く染まり、剣先が現れていた。
「ルッカ…」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
いや、分かりたくなかった…。
ルッカの直ぐ後ろには、先程トドメを刺さずに捨て置いた黒髪の男がいる。
「う、ううっ…」
呻き声を上げながら、ルッカがその場にしゃがみ込む。
「ルッカ?」
姉の名を呼んだウィリスに、ルッカが歪んだ顔を向けた。
「ごめん、ウィル…」
前屈みで座り込むルッカの背後には、剣をルッカの背へと突き刺している黒髪の男がいた。
「チッ。二人まとめて殺してやろうと思ったのによぉ、一人しか殺れなかったか。ははっ…」
乾いた笑いを顔に貼り付けた男の言葉に、ウィリスはルッカの身に起きた全てを理解すると、一瞬にしてその心を憎悪と憤怒に染め上げた。




