第三話 少年と少女3
「ご機嫌麗しゅうございますな、レイリア様」
ウィリスの部屋を出て、自らの部屋へと戻ったレイリアを迎えたのは、平均寿命が五十代のこの国において、すでに齢七十近くとなった、白髪白鬚の老人だった。
「ごきげんよう、ヴィモット先生」
レイリアが和やかに挨拶をしたのは、現王立図書館館長であり、古代史学者でもある王国魔導士ヴィモット=オルドスだ。
レイリアは幼い頃、ヴィモットより魔法を教わっていたのだが、約六年前からは魔法ではなく、古代ルーシャン語を学ぶようになっていた。
ヴィモットをソファへと誘ったレイリアは、自分の机へと向かうと一冊の古めかしい本を手にした。
「どうでしたかな、そちらの本は。まだ難しかったですかな?」
最近やっと古代語の文献を原文のまま何とか読めるようになった弟子に、ヴィモットは柔らかな眼差しを向けながら尋ねた。
「はい。以前、現代語に訳されたものを読んだ事があったのですが、今回お借りした原書の写しを自分で読んでみると、どうも違う意味の内容になってしまう箇所があって…。やはり、古代語は難しいです」
苦笑いを浮かべながらヴィモットの反対側へと座ったレイリアへ、ヴィモットは頷いた。
「古代語は、一つの言葉に多くの意味が含まれております故、どの意味を以って訳すかにより、全く違う物語になり得てしまいますからな。私も、自らの読み解いた意味が真に正しいものなのかどうか、未だに自信が持てない時があるくらいですしな。ハッハッハ」
レイリアが学んでいる古代語は、現代語に比べて言葉の数はそれほど多くはないが、それ故、一つの言葉に多くの意味合いを含んでいる。
例えば「クレスティア」という言葉がある。
この言葉は一般的には、「日」、「光」、「輝き」、「希望」、「未来」、「金色」と言った、前向きな意味合いを現す言葉である。
だが、魔術用語として扱うときには、魔法の四属性である「水」、「火」、「風」、「地」の各属性の性質を全て併せ持つ「光」の属性を示す言葉でもあり、そのものずばり「クレスティア」という呪文の魔法さえあるのだ。
「ではやはり、巫女様しか古代語を正しく読み解くことは出来ないのですね」
この大陸に住まう多くの者が知る神話『女神の雫』にて、この地を創世し人々を導いたとされる女神『フロディア』を唯一の神として崇あがめる宗教が『フロディア教』だ。
レイリアを始め、このフロディア大陸に住まうほとんどの人々が信仰するこの宗教は、この国より遥か東の地に『トランセア』という宗教国家を築いている。
そのトランセアの王であり、女神フロディアの意思を人々に届けることが出来るとされる女性が、フロディア教の教主たる人物、『巫女』だ。
「レイリア様は少々誤解されておりますな。巫女様が読み解かれるのは文字では無く、物に込められた先人の意思との事でございます。故に、恐らく文字を読み解く事はなされないのではないかと存じます」
「では、巫女様に古代語で書かれた書物を読み解いて頂くことは、不可能ということでしょうか?」
「作者本人が書き込んだ原書ならば可能でしょうが、写本になると難しいかもしれませんな」
「そうだったのですね。そうなると、過去の出来事を解き明かすためには、やはり古書や記録を地道に読み解いていくしかないわけですね」
「そうなりますな。だからこそ我々のような古代言語学者が必要とされている訳なのですが。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
自身が知りたいと願う事柄が、想像以上に知り難いものなのだと改めて思い知ったレイリアは、ヴィモットの笑いに苦笑いで応えるしかなかった。
その後レイリアとヴィモットは、エイミーが用意したお茶とお菓子を頂きつつ、レイリアが今回読みこんできた書物の内容についての講義をヴィモットが行っていった。
そして、講義の時間が終わりに近づき、次回の課題である書物をレイリアへと手渡したヴィモットが、
「そう言えば」
と話し始めた。