第三十三話 少女の理由〜ゼピス侯爵令嬢誘拐事件〜9
残酷な描写等のため前話を避けた方用簡単なまとめ
→レイリアを魔族から守るため、リジルが犠牲になり、魔族が倒される
この事件の後、レイリアは部屋から出られなくなってしまった。
事件に対する精神的な衝撃が大き過ぎたのだ。
食が細まり、日々表情を失い、虚ろな瞳でどこかをぼんやりと見つめるだけのレイリアの姿は、まるで精巧に作られた等身大の人形のようであった。
(私のせいで、リジル様は亡くなった…)
事件以降、レイリアの心は自責の念にさいなまれ続けた。
あの日、大人しく家で魔法の練習をしていれば。
魔法の練習が嫌だったとしても、家出なんてしなければ。
ムウ=ウェイズに捕まらなければ。
山の様な後悔が押し寄せ続ける中、ポロポロと涙だけが零れていった。
そんな日々が幾日か続いたある日、魔術の師であるヴィモットがあの黒髪の剣士と共にレイリアの元を訪れた。
黒髪の剣士はグエン=ハーウェイと名乗り、父の古くからの友人で、元聖騎士との事だった。
「ヴィモット先生、お体の具合は?」
消え入りそうな声で尋ねられた魔術の師は、
「あの程度の傷など、大したことは無いですぞ」
と、笑い飛ばした。
ファウスからはあの後、ヴィモットは自ら回復魔法を掛け自力で歩ける程だったとレイリアは聞いていた。
それでもレイリアは、レイリアを守るために身を挺して傷を負ったヴィモットのその後の容体について、ずっと気に掛けていた。
「良かった…」
分かってはいた事だが、それをこの目で確認出来た事に安心したレイリアは、その水色の瞳から涙を溢れ出させた。
「先生、ごめんなさい…」
家出をした事も、レイリアを庇った事で怪我を負わせてしまったことも、心配を掛けた事も、全てをひっくるめて謝りたかった。
すすり泣くレイリアの頭を、ヴィモットはそのしわがれた手で優しく撫でた。
「もう良いのです。レイリア様がご無事であることが一番なのですから」
レイリアは家族からも同じ言葉を掛けられていた。
「無事であれば、それで良い」
と。
しかし、レイリアを護るために、一人の騎士が命を落としたのだ。
レイリアが無事で良かった、というその一言で終わらせて良いはずがない。
「でも、私のせいでリジル様がお亡くなりに…。本当に、ごめんなさい…」
「リジル=ラズメイラの事は、君が謝る必要も責任を感じる必要もない」
大粒の涙を零すレイリアへと、グエンがはっきりとそう言い切った。
何でこの人はそんな事を言うのだろう。
レイリアのせいでリジルが亡くなった事は、誰の目にも明らかなのに。
レイリアは涙でぐしょぐしょの顔を上げ、グエンへと抗議の視線を送った。
「あいつは騎士だ。君を護るという責務を果たした騎士に対し、感謝こそすれ責任を感じる必要は無い。もし君が責任を感じて自らを責めるような事をし続けるのであれば、それは騎士に対する冒涜になる」
今グエンはとても大切な話をしてくれた気がするのだが、小さなレイリアには解らない言葉が出てきた。
「ぼうとく?」
「騎士の魂を汚すという事だ」
(騎士の魂を、汚す…)
レイリアはグエンの言葉に、悲しみに暮れながら日々を過ごしている今の自分がとても悪い事をしているような気がした。
「私は、リジル様の魂を、汚しているのでしょうか?」
「あぁ、そうだ。騎士とは弱き者を、大切な者を、己を賭して護る者の事だ。護るためならば、自らの命さえ顧みない。それが出来る者こそが騎士だ。ラズメイラ殿は己の身を挺して君を護った。彼は正しく騎士たる尊い魂を持つ男だった。どうか彼の魂を尊ぶならば、自分自身を責めるのではなく、ラズメイラ殿に対して感謝の気持ちを持ち続けて欲しい。そして、彼の分まで一生懸命生きて欲しい。それが護られた者の責務だ」
レイリアはグエンの言葉に衝撃を受けた。
今までリジルに対し、自分のせいで死なせてしまったという申し訳無さしかなく、只ひたすらに悲しみ、涙していた。
(感謝の気持ちを持って、一生懸命生きる。それが、護られた者の責務)
グエンの言葉を、レイリアは心の中で繰り返した。
護られたことに対し謝罪こそすれ、感謝することをレイリアは忘れていた。
そして、護られ、生かされた命であるにもかかわらず、この世から消えてしまいたいと思うほど、レイリアは自責の念に駆られていた。
(私、リジル様に護って下さってありがとうございますって言ってない。リジル様のおかげで生きているのに、消えてしまいたいとさえ思っていた。なんて失礼な事をしていたんだろう…)
レイリアは今までの自分自身を恥じると涙を拭い、グエンへと誓った。
「私、リジル様に感謝して、リジル様の分も一生懸命生きていこうと思います!」
そう言って真っ直ぐにグエンを見つめるレイリアへ、グエンは優しく微笑んだ。
「そうして欲しい。それがラズメイラ殿への最高の手向けだ」
その日以降、レイリアは食事もしっかり取るようになり、涙を流す回数も減り、徐々に元気になっていった。
そして体力も回復し、事件以前とほぼ同じ生活を送れるようになった頃、レイリアはここ暫くずっと考えていた事をファウスへ伝えた。
それは、リジルの様な騎士になりたい、と。
魔術士では魔族を倒せない。
だから破邪の剣を持ち、皆を護れる騎士になりたい、と。
(リジル様の分も一生懸命生きると決めたからには、私の未来はこれしか無い)
そう決めたレイリアは、とても頑固だった。
魔術の鍛練はもちろんのこと、余程のことが無ければ魔法を使うことさえ拒んだ。
その事に祖母のレイラは大層怒ったが、結局は息子であるファウスに説得されたらしく、レイリアが剣術を習う事に渋々同意してくれた。
更に、
「あの時一番強かったグエン様に剣術を習えば、きっと強くなれるはず!」
と、レイリアはグエンに弟子入りするとまで言い出した。
グエンにはレイリアと同じ年の子供がいて、剣術を習っているという話も聞いていたので、一緒に練習するには丁度良いとも思ったのだ。
それからもう一つレイリアが始めたことがある。
それが『古代語』の勉強だ。
レイリアはあの部屋の魔法陣の中で宙に浮かんでいた石板の正体を知りたいと思ったのだ。
もともと魔法を唱えるための呪文は古代語であったため、魔術に必要な基本的な古代語を、レイリアは幼いながらも会得していた。
そのため遠目から石板を目にしたあの時、レイリアはそこに刻まれていた言葉が古代語であると何となく分かった。
だからこそ、いつか石板をもう一度目にしたい、そしてそこに書かれている文字を読んでみたいと思ったのだ。
その頃はその程度の考えで、レイリアは古代語学者でもあったヴィモットを再び師とし、古代語を学び始めた。
こうして事件から立ち直りつつあったレイリアに、一つの出会いが訪れる。
自分よりも小さく、人形の様に愛らしい見た目であるにもかかわらず、信じられないくらいの剣術の腕前を持った、黒髪の少年との…。




