第二十五話 少女の理由〜ゼピス侯爵令嬢誘拐事件〜1
魔術士の家系であるゼピス家の娘として生まれたレイリアは、六歳の時に母のシェリアを亡くすまで、王国魔道士のヴィモット=オルドスの指導のもと、兄であるカイと共に日々魔術の訓練に勤しんでいた。
カイと比べると進みも覚えも悪かったレイリアだったが、それでもレイリアなりに頑張っていた。
ところが母のシェリアが流行り病で亡くなり、母代わりとして父方の祖母のレイラがリシュラスのゼピス邸へやってきた事で、レイリアを取り巻く環境が変わってしまった。
レイラはとにかく行儀作法に厳しく、レイリアはレイラと顔を合わせる度に怒られていた。
しかも、カイとレイリアの魔術の教師がヴィモットからレイラへと代わり、訓練内容が今までと比べようも無い程に厳しいものとなった。
そこからの毎日は、小さなレイリアにとって全然楽しく無い日々であった。
母親を失った心の傷も癒えないままに灰色の毎日を過ごすレイリアは、段々と笑わなくなっていった。
そして七歳を過ぎたある日、とうとう祖母に我慢が出来なくなったレイリアは、家から一人で逃げ出した。
幼い貴族の少女が一人で街中をフラついていれば悪い大人が近づいてくるのは必然で、レイリアもあっという間にガラの悪そうな大人たちに囲まれた。
しかし、レイリアは普通の子供ではない。
元々数が少ない魔術士の中でも、非常に高い魔力を持つ者に付与される称号である『王国魔導士』の、更にはその頂点に立つ『王国筆頭魔導士』を代々輩出する家系の者であり、幼い時から魔術の訓練を受けている子供だ。
だからこそレイリアは、自分一人の力でその場を切り抜けようとした。
だがそこに、レイリア以上の魔法の使い手が現れた。
ムウ=ウェイズと名乗ったその魔術士の男は、以前は王国魔導士としてレイリアの父の下で働いており、レイリアがゼピス家の子供であるとすぐに気が付いたそうだ。
父の知り合いに見つかったことで逃げ出そうとしたレイリアだったが、元魔導士であるこの男にはさすがに敵わず、あっという間に身柄を捕らえられると、眠りの魔法によって眠らされてしまった。
レイリアが目を覚ました場所はゼピス家の屋敷ではなく、全く見覚えの無い薄汚れた部屋だった。
(ここはどこ?)
そう思ったレイリアは、扉から部屋の外へ出ようとしたのだが、扉は外から鍵が掛けられていて出られなかった。
レイリアが今いる部屋には窓が無いので、部屋の外へ出るにはやはり扉から出るしか無いさそうだ。
レイリアは仕方無く扉を壊して部屋の外へ出ようと得意の風魔法を扉に向けて放ったものの、その扉は全く魔法を受け付けなかった。
レイリアは、ここでようやく自分がムウによって閉じ込められた事に気が付いた。
「開けて!ここから出して!」
レイリアが扉を叩きながら叫んでいると、先ほどのムウが食事を持ってやってきた。
「やっとお目覚めですね、お嬢様」
「あなた、父様のお知り合いなのでしょう?どうして私を家へ連れて行かないの?」
「これはおかしなことを仰る。レイリア様はお屋敷に戻られるのを嫌がっておいでだったではありませんか?それとも、もうお屋敷が恋しくなりましたか?」
恋しい訳がない。
今家に帰れば家から逃げ出した事を、あの恐ろしい祖母から猛烈に叱られるのは確実だ。
レイリアは即座にフルフルと首を横に振った。
「そうですか。私としても、あなた様にはもうしばらくここに居て頂きたいので助かります」
ムウの安堵する様な声に、レイリアもまた家へ帰らなくて済んだとホッとしたものの、どうせしばらくこの家にいるならば、出来ればこんな薄汚れた部屋からもう少し綺麗な部屋へ移動したいと思った。
「出来れば私、もう少し綺麗な部屋が良いのだけれど、お部屋はここしかないの?」
攫われた身でありながら、小さなレイリアは何とも図々しくムウへと願い出た。
「この建物の中ではこの部屋が、一番綺麗な部屋なのですよ」
「まぁ…。このお屋敷のメイドは何をしているの?」
小さなお嬢様の見当違いな発言に、ムウは小さな笑い声を立てた。
「ここにはメイドはおりません」
「メイドがいらっしゃらないの?では、お掃除やお料理などはどなたがなさるの?執事?それとも、ウェイズ様の奥様かしら?」
「この建物には、私と私の協力者たる方がいるのみです」
「協力者?」
「はい。実は私はここでとある研究をしておりまして、あなた様のお父上でいらっしゃるファウス様に、是非私の研究成果を見て頂きたいのです。ですがファウス様はお忙しい方ですから、なかなかこちらまで足を運んで頂く事が叶いません。しかし、レイリア様がこちらにいらっしゃると分かれば、きっとファウス様はあなた様を迎えにこちらまでいらっしゃる」
レイリアは父がここへ来るという言葉に敏感に反応し、体をこわばらせた。
「待って!父様がここへ来たら、私、きっとすっごく怒られるわ!」
「大丈夫ですよ。私が居る限り、お父上様があなた様をお叱りになることはあり得ませんから」
そう言うとムウは不敵な笑いを浮かべたのだが、レイリアにとっては父や祖母に怒られなくて済むという事の方が重要であり、目の前の男の事は今やどうでも良かった。
「本当?良かった~」
呑気そうな声を上げて安堵するレイリアに、ムウは少々呆れながらも、
「申し訳ありませんが、今しばらくこちらの部屋にてお待ち下さい」
と丁寧に声を掛けてから部屋を出ていき、しっかりと扉に鍵をかけた。




