第十七話 約束5
「ローシャルム領を流れるローエル川が、二年続けて氾濫を起こした事を知っているか?」
ファウスの問い掛けに、レイリアは頷いた。
「バムエット家は公爵家から嫁がれた前子爵夫人が非常に華美な生活を好まれた為、財政が傾きかけていた。その上、河川の復興費用と不作が続いた事による減収で、現在のバムエット家の財政はかなり厳しい。
その中でグエンが亡くなり、グレナ伯爵位の継承問題が起こった。
知っているとは思うが、爵位の継承順位は爵位保持者から特に指名がなければ直系子が優先であり、その次に傍系子となる。
だが、継承者が未成年の場合、継承者が成人するまで、爵位を持つ成人のの後見人が必要だ。
一般的には親族がその責を追うため、ウィリスの場合、本来であるならばグエンの弟であるローウェンが後見人となるはずだった。
しかし、未成年爵位保持者の後見人制度には、前任の爵位保持者が指名した別の成人爵位保持者を別途後見人とする事が出来るという例外規定がある。
グエンはグレナへ退く際、ウィリスが成人前に爵位を継ぐようになった場合を見越して後見人に私を指名する文書を国へと出していた。それ故ウィリスの後見人は、ローウェンではなく私という事になったのだ。
だが、その事でローウェンはグエンの死後、グレナの領主代行という地位を得てグレナの税収を手に入れようとしていた目論見が外れてしまった。
そんな追い詰められた彼らが取った手段が、ウィリスを亡き者とし、ローウェンがグレナ伯爵位を継ぐという計画だ。
その事に気付かなかった私は、葬儀後、ローウェンの虚言に惑わされ、ウィリスを渡してしまったのだ…」
ファウスの語った余りにも恐ろしい内容に、レイリアは背筋が冷たくなるのを感じるものの、納得が出来ない点があった。それは…。
「でも父様、それではウィルの叔父様がグレナの伯爵位を継ぐ事は出来ないのでは?爵位の簒奪は認めらていませんし…。それに、今伺ったバムエット家の状況では、ウィルが死んでしまえば真っ先に疑われるのはバムエット家です。その様に家名を汚す真似を、わざわざバムエット家が行うでしょうか?」
相手も子爵家だ。
まかり間違ってもウィリスを亡き者とするためにと直接手を下すような事はしないだろうが、例えウィリスを上手く消し去ってグレナ伯爵位を手に入れたとしても、爵位 簒奪の疑いの目は確実にバムエット家に向けられる。
そうなればバムエット家は貴族社会から爪弾きにされるだけでは無く、社会的にも抹殺されて、没落するのは目に見えている。
「ウィリス」
ファウスの突然の呼び掛けに、ウィリスがピクリとも反応し、
「はい」
と小さく応えた。
「お前はまだ、死を望むか?」
何とも珍妙なファウスの問いに、ウィリスが真顔で肯首する。
「はい。でも、それは、僕が犯した罪を考えれば、当然です…」
弱々しい声で己の死を求めるウィリスを目にしたレイリアは、ウィリスの叔父が何を目論んでいたのかに思い至った。
「まさか、ウィルに、自死を選ばせようと…」
レイリアの体から血の気が引き、声が震える。
「そのまさかだ」
静かな口調で肯定され、レイリアは大きく唾を飲み込んだ。
どの様な形であれ、ウィリスが殺されればバムエット家は疑われる。
だが、ウィリスの死が自殺であれば、バムエット家が疑われる事は殆ど無いだろう。
「でも、そんな…。どうして?どうやって?」
「人の心を操る方法など、いくらでもある…」
もたらされた父の言葉に、レイリアの中で怒りの感情が湧き上がる。
人の心を操るなんて、許されない。
ましてや、自死へ導こうなど、絶対に!
バムエット家に対してと、ウィリスが置かれていた残酷な状況への憤りから、レイリアはその大きな水色の瞳からポロポロと涙を零した。
そんなレイリアに、ウィリスがそっと声を掛けてきた。
「レイリア、僕なんかの為に、泣かないで…」
だが、ウィリスの発した言葉は、更にレイリアを苛つかせた。
「何で、何でそんな言い方をするのよ!?『僕なんかの為に』だなんて言わないでよ!」
レイリアの怒りの理由が分からないウィリスが、悲しげに目を伏せる。
「ごめんね…。僕のせいで、怒らせてしまって…。やっぱり、僕なんか、居ない方が、良いよね…」
何故ウィリスが謝るのか、何故そこまで自らを卑下するのかがレイリアには理解出来ず、涙と共に体を震わせていると、ファウスの手がレイリアの肩乗せられた。
「ウィリスは、徹底した自己否定の暗示を掛けられている」
「自己否定の暗示?」
レイリアが涙で濡れた瞳をファウスへと向ける。
「そうだ。己の存在を己で否定し続ける者の末路は、則ち自死となる。この暗示を掛け続けられた者は、偶然起こった不幸な結果に対しても自らの責任であると捉え、更には、自らの存在が周囲に害悪を呼び込んでいるとさえ思い込むようになる。結果、今のウィリスは己の存在を消し去ろうと思い詰めるまでに至ってしまっているのだ」
「そんなぁ…」
ファウスの言葉に、レイリアの涙が止まらない。
「それじゃあ、ウィルは、もう、助からない、の?」
レイリアがしゃくり上げながら問い掛けの言葉を紡ぐと、ファウスは安心させる様にレイリアの頭を優しく撫でて来た。
「大丈夫だ。時間は掛かるが、暗示を消し去れば元のウィリスに戻る」
「本当?」
「あぁ」
父の言葉に安堵し、僅かながらの笑みを浮かべたレイリアの後ろで、カイがとんでもない事を言い出した。




