第十五話 約束3
そんなやり取りをしてから二週間近くが経ったある日。
翌日もノイエール学園の授業があるため、いつも通りの時間に就寝したレイリアだったが、夜半になり、屋敷内が騒ついている事に気が付いて目を覚ました。
夜着の上にショールを羽織って廊下へ出てみると、隣の部屋から兄のカイも出てきたところだった。
「兄様」
レイリアは兄へと声を掛けると、そばへと小走りで寄った。
「父様に何かあったのかしら?」
こんな時間に屋敷内が騒つくなど、レイリアの記憶の中では一度も無い。
となれば、余程の事が我が家に起こったという事であり、考えられる事の第一は父に関する事だった。
不安げな表情を浮かべるレイリアの横で、カイが腕を組む。
「父上の身に何かあったのなら、僕らにもすぐ何らかの報せが届くはずだ。それが無いという事は、別件だろうな」
「別件?父様のお仕事の関係?」
「若しくは王子様の救出に成功したか、かな」
「王子様って?エルディオ殿下に何かあったの!?」
レイリア達の父方の従姉妹である、フォーン侯爵家のルルーシアを先頃妃として迎えたばかりのルタルニア王国第一王子の名を口にしたレイリアに、カイは苦笑いを浮かべた。
「本物じゃなくて、物語に出て来る王子様みたいに綺麗な顔をしたヤツが、お前の友達にはいるだろ?まぁ、あいつの場合、お姫様の方が似合ってるかもしれないけれどな」
綺麗な顔をしたお姫様みたいな男の子…。
そんな友達は、たった一人しか思い浮かばない。
「もしかして、ウィルの事?」
「あぁ」
カイの短い肯定に、レイリアが困惑する。
「ウィルの救出って、何?」
レイリアがそう呟いた時、何者かが二人の元へと駆け込んできた。
「カイ様!」
カイの従者であるディーン=エデックが、慌てた様子で主を呼んだ。
「何があった」
カイの問い掛けに、ディーンは
「それが…」
と言い淀むと、レイリアを一瞥した。
「父上がレイリアには知らせるなとでも言ったのか?」
「いいえ。その様な事はおっしゃられていませんでしたが…」
「ならば構わない。言ってくれ」
カイに促され、ディーンが口を開く。
「先程、旦那様がウィリス=ハーウェイ様をお連れになりました」
ディーンの報告に、カイが真顔でポツリと洩らす。
「間に合ったか」
レイリアは、『何が?』、若しくは『何に?』、とカイへ尋ねたかったが、今はそれ以上にディーンへ聞きたい事がある。
「ウィルはどこ!?」
飛びつかんばかりの勢いで尋ねるレイリアに、ディーンが告げる。
「客室にお通し…、レイリア様!」
ウィリスの居場所さえ分かれば、ディーンの言葉なぞ最後まで聞く必要は無い。
すぐに廊下を走り出したレイリアは、カイやレイリアの部屋がある建物の二階の東側から、客室のある三階の西側を目指した。
だが、中央階段を駆け上がる途中で、すれ違い様に執事のラザエル=オボックに腕を掴まれてしまった。
「お待ち下さい、レイリア様」
「離して、ラザエル!」
父より年上だが、まだ初老に届かない中年男性のラザエルは、流石リシュラスのゼピス邸を仕切る執事だけあり、頭も切れる上、魔法にも剣術にも造詣のある希有な人物だ。
それなりの腕力で腕を掴まれれば、当然レイリアは動けない。
「ウィリス様の元へ行かれるおつもりですか?」
「そうよ」
「では今は、お会いにならない方が宜しいかと」
「どうして?」
「今のウィリス様は体調を崩していらっしゃいます。お会いになられれば、ウィリス様のご負担にもなるかと」
ラザエルの言葉に、レイリアの体から力が抜ける。
それと同時に、ラザエルがレイリアの束縛を解いた。
「ウィル、具合が悪いの?」
「はい」
体調が悪いところを無理に押しかけるのも申し訳ない。
しかし、僅かでも良いから顔が見たいという思いもレイリアはあった。
「ほんの少しでも良いの。会うことは出来ない?」
「暫くはお控え頂いた方が宜しいかと存じます」
ラザエルの態度から、僅かの時間さえ会わせてもらえない程にウィリスの体調が悪いのだと思い至り、レイリアの言葉がわずかに震える。
「そんなに、ウィルの具合、悪いの?」
「良いとは言い難いかと…」
「どうして…」
数日前に送られてきたローシャルム子爵夫人からの手紙には、いつもの如く、ウィリスは元気だと書かれていた。
では、この数日の間にウィリスは体調を崩し、更に悪化させたというのだろうか?
俯くレイリアと、レイリアを見守るラザエルがいる階段上に、威厳のある低い声が響く。
「こんな所で何をしている」
「父様…」
見上げた先に現れた父の元へ、レイリアが駆け上がる。
「父様、ウィルは?」
そう尋ねる娘に、ファウスはため息を吐いた。
「もうお前のところにまでウィリスの事が伝わったか」
「ディーンが知らせてくれました」
実際のところ、ディーンはカイに伝えに来たのであり、レイリアはその場に居ただけなのだが、間違った事は言っていないとレイリアは開き直って答えた。
「まぁ、良いだろう。それで、ウィリスに会いに来たのか?」
「はい」
レイリアの返事に、一瞬の間を置いてからファウスが口を開いた。
「そうか…。ならば、付いて来なさい」
「はい!」
ファウスの言葉に頷いたレイリアは、身を翻して客室へと続く廊下を歩き始めたファウスの隣へと急いだ。
「あの、父様」
「何だ?」
横に並んで歩くファウスへ、レイリアが尋ねた。
「ラザエルからウィルは体調を崩していると聞きましたが、私が行っても良いのでしょうか?」
「ウィリスの体調不良は精神的な問題から来ている部分が大きい。仲の良かったお前が励ませば、或いは、ウィリスも元気になるかもしれないな」
いつかと同じように目を細めたファウスが、レイリアの頭の上に、その大きな手を軽く乗せてきた。




