第百十六話 グレナの少年領主1
その日、グレイベラにあるグレナ伯爵邸は、朝から重苦しい雰囲気に包まれていた。
理由は一つ。
このグレナ地方の領主たる少年が、王都リシュラスより戻ってくるからだ。
前領主であった父親グエン=ハーウェイの死によりこの地を治める事となった少年は、この屋敷に仕える者の殆どを信用していなかった。
そのため少年は、多くの使用人に対して喜怒哀楽といった感情を示さず、会話も必要最低限で済ませていたので、勤続年数の浅い使用人の中には、領主たる少年の声をほんの数度しか聞いた事が無い者さえいた。
そんな少年が領主となって以降、使用人が次々と解雇されていった。
始めのうちは、前領主が殺された事件に関して行われた調査によって、伯爵家に害となる行動を取っていたと判明した者達が解雇されていった。
そして、一年が経った頃からは、新規に雇用した者を中心に、その大半が解雇された。
解雇事由は、一貫して『領主に害ある言動が見られたため』だったものの、解雇された者達のどのような言動が『領主に害ある』と判断されたのかについては、残された使用人達には知らされなかった。
そのため、殆どの使用人達は、少しでも少年の気に障る何かをしてしまうと解雇されると思い込んでしまい、少年がこの屋敷に滞在している間は、くれぐれも少年の機嫌を損ねないようにと、最大限の注意を払うようになっていた。
今回の少年の帰郷に際しても、使用人達は少年を満足させるためにと、屋敷内を隅々まで磨き上げ、各部屋を丁寧に整えていた。
その一方で、それぞれの仕事に励む使用人達の姿を、ハーウェイ家の執事であるフォーナム=トイットは、調度品の飾り付けや掃除具合を確認するふりをしながら、監視していた。
使用人の動向を監視する理由は、働き具合に対するものでは無く、領主たるウィリスに害ある行いをするかどうかという一点のみだ。
前領主夫妻と令嬢が殺された事件については、犯人達が現領主たるウィリスにより皆殺しにされてしまったため、単なる強盗殺人事件として最終的には処理されてしまったが、不可解な点が多過ぎた。
別荘にある金目の物目当ての単なる窃盗犯であれば、誰も人がいない時を狙って別荘へと忍び込めば良い。
だが、犯人達はわざわざ領主家族が滞在していた日を狙ってやってきた。
しかも夜に襲ってきたとなると、犯人達は夜には使用人達がいなくなる事だけではなく、グエンが既にまともに動けない状態である事さえも知っていた可能性が高い。
そうでなければ、いくら夜間は使用人がいなくなるとはいえ、騎士の称号を持つ剣士がいる場所をわざわざ襲うような愚か者はこの国には居ないだろう。
更に言えば、犯人達の中に魔術士が居なかったという事実は、グレナ伯爵邸同様、湖畔の別荘全体に魔法の使用を抑える結界が貼られている事を犯人達が知っていた事を推測させた。
なにせグレナ伯爵邸と、湖畔の別荘に魔法の使用を抑える結界を張ったのは、この国の筆頭魔導士であるファウス=ゼピス侯爵だ。
あの結界を破るにはゼピス侯爵と同等以上の力を持つ魔術士でなければ不可能であり、詰まる所それは、別荘内では魔法が使えない事を意味していた。
誰から見ても、犯人達の目的は領主一家の命だと思われたが、なにぶん犯人達が全員死んでしまっていたため、事件後暫くは、この予想を裏付ける証拠が何一つ無かった。
では、領主一家の命を狙った者は誰なのか?
それは領主一家が死ぬ事で誰が利するのかという意味でもあった。
領主一家が亡くなる事で利する者は多くいるだろう。
だがその中でも筆頭となるのは、亡くなった前領主の弟であるローシャルム子爵ウォーレン=バムエットである。
しかし、長年ウォーレンを見続けてきたトイットからすると、幼い頃より兄であるグエンに憧れ、そして尊敬し続けていたウォーレンが、グエンに手を掛けるとは到底思えなかった。
いや、思いたく無かったが正しいだろう。
それは、葬儀の際、グエンの遺体を前にして、ただ静かに涙を流し続けたウォーレンの姿を目にしていたからでもあった。
葬儀後、本来であれば後見人であるゼピス侯爵に預けられるはずだったグエンの息子であるウィリスを、ウォーレンは血縁である自分の手で育てさせて欲しいとゼピス侯爵に頼み込んだ。
真摯に頭を下げて何度も願うウォーレンを、誰が疑う事が出来ただろう。
結局ウィリスはウォーレンに引き取られる事となった。
その約三の月後、グレナのハーウェイ邸をゼピス侯爵家の使者が訪れた。
使者がもたらした話に、対応した家令であるノーマン=リッツと執事のトイットは、驚くしか無かった。
ウィリスがローシャルム子爵家でどの様な扱いを受けていたのか。
なぜその様な事態が引き起こされたのか。
今現在、ウィリスはどうしているのか。
ノーマンとトイットは、ウォーレンに引き取られてからのウィリスの状況を、このゼピス家の使者がもたらした手紙と話により初めて知ったのだった。
「今はゼピス侯爵家にて保護しておりますので、ローシャルム子爵家といえど、グレナ伯爵に手出しをする事は不可能に近いでしょう。どうぞご安心下さい」
淡々と紡がれる使者の言葉に、トイットは心の底から安堵すると共に、激しい後悔に襲われた。
(何故あのウォーレン様がウィリス様を…)
以前ウォーレンは確かに異国の平民の母を持ったウィリスやルッカを蔑む言動を取っていたが、ここ暫くはその様な発言も態度も見せていなかった。
だからこそ、安心していた。
それなのに…。
悔いばかりが押し寄せるトイットに、まだ二十代のノーマンが言った。
「トイットさん、グエン様が亡くなったあの事件を調べ直してみませんか?」
と。




