第百十四話 祖母と孫娘6
この後、エルマーはトランセアに帰還する挨拶のため、そしてウィリスは、山火事に際してゼピス家の協力を得られた事への謝意を伝えるために、レイラとの面会予定があった。
エルマーとウィリスが魔導車に乗り込むと、魔導車はゼピス家のグレナ別邸に向かって走り出した。
二人の乗った魔導車が、行きに通った湖畔道を途中まで戻り、そこから山へと続く脇道に入る。
そこから森の中の道を幾ばくか進むと、白壁に濃灰色の屋根を持った二階建ての建物が見えてきた。
魔導車がゼピス家の別邸の玄関前に到着すると、今回は別邸の管理人であるデイエルのみが二人を出迎えた。
デイエルの案内で二人が一階にある応接室へ向かうと、そこにはレイラとレイラの侍女のメルベス前男爵夫人が既にいた。
メルベス夫人を除いた三人が簡単な挨拶を交わしてからソファに座ると、先ずはウィリスからレイラへ謝意を伝えた。
「この度は、グレナの為にご尽力を賜りました事、厚く御礼申し上げます」
「こちらとしては当然の事をしたまでです。それよりも、レイリアの件はごめんなさいね。山をあんな風にしてしまって」
「いえ、火を消し止めて頂けただけで充分ですので、どうぞお気になさらず。それで、あの…、レイリア嬢はご無事ですか?」
昨日の夕方グレナ伯爵邸へやってきたカイから、レイリアが目を覚ました事と、レイリアが山を凍らせた経緯については聞いていたが、それでもウィリスはレイリアが心配だった。
「えぇ。単なる魔力切れですからね。今日はもう、元気に過ごしておりますよ」
レイラの言葉に、ウィリスは安堵の表情を浮かべると、
「良かった…」
と呟く様に言った。
魔力を使い切った魔術士が、魔力を回復させるために眠りにつくという話は、ウィリスも当然知っていた。
だが、魔力切れを起こしてレイリアが倒れ込む姿を目の当たりにしたウィリスは、理屈では大丈夫だと分かっていても、気が動転して狼狽えてしまった。
その後は、ルッジにレイリアを任せて山を降りたが、レイリアを軽々と運ぶルッジの姿を見て、自分の非力さと身長の低さに遣る瀬無い気持ちになったのは内緒だ。
「それはそうと、ファウスから連絡が来て、カイとレイリアを明後日にはリシュラスへ帰す事になったのだけれど、貴方も一緒に戻る形で良いかしら?」
元々ウィリスがグレナへ戻ってきた理由は、呪いを解く為だ。解呪が済んだ以上、ウィリスがグレナにいなければならない理由は、今は特には無い。
「はい、大丈夫です」
「そう。では貴方の分の列車の切符も、こちらで手配しておきましょう」
「ありがとうございます」
「それと、この後少しお時間頂けて?レイリアが貴方と話をしたいそうなの」
「はい、構いません」
レイリアの様子を自分の目で確かめたかったウィリスにとり、レイラからのこの申し出は有難いものだった。
「では、グレナ伯爵には申し訳ないのだけれど、この後セディス卿と二人で話をしたいので、ご退席頂いても宜しいかしら?」
「分かりました」
レイラへとそう答えたウィリスは、立ち上がるとエルマーへと向きを変え、姿勢を正した。
「セディス卿、この度は大変お世話になりました。そして、家族のために祈りを捧げて下さった事、感謝申し上げます。私はこれで失礼しますが、またいつかお目にかかれる日が来ることを、心より願っております」
ウィリスが右足を一歩引き、左手を腹部に添え、握り締めた右手の親指側を胸に当てて腰を折り、恭しく頭を下げる。
この所作は、左手が武器を持たず無抵抗である事を、そして、右手が自らの急所を指し示して、自らの命を相手に差し出す覚悟がある事を意味する、ルタルニアの男性貴族にとって最上位の敬意の表し方だった。
「グレナ伯爵、どうぞお直り下さい」
エルマーの言葉にウィリスが頭を上げると、目の前には穏やかな目付きでウィリスを見下ろすエルマーがいた。
「こちらこそ、貴方にお会い出来た事を女神に感謝しております。またいつかどこかでお会いしましょう。貴方の行く先に、女神の尊き導きがあらん事を」
右手を左肩に触れて祈りの姿勢取りながら紡がれるエルマーの祈りの言葉に、ウィリスは再度軽く頭を下げた。
それからウィリスはレイラに対して退出の挨拶をすると、メルベス夫人に伴われて応接室を後にした。
メルベス夫人の案内で、一度玄関ホールを経由して二階へと続く階段を登り、レイラの部屋とは逆方向に伸びる廊下を歩く。
突き当たりより二つ手前の扉の前でメルベス夫人は立ち止まると、扉を四回叩いた。
「レイリア様、グレナ伯爵がお越しになりました」
「入って頂いて」
レイリアの口調がいつもより丁寧なのは、礼儀作法に厳しいレイラの片腕たるメルベス夫人の手前だからだろう。
だが聞こえてきた声音は、いつも通りの明るいものだった。
メルベス夫人が扉を開けると、部屋の中には、首元にある紺色のボウタイリボンが目を引く、淡黄色のワンピース姿のレイリアが行儀良く立っていた。
「お待ちしておりました、グレナ伯爵。どうぞこちらへ」
レイリアの他人行儀な言い回しに少し戸惑いながらも、ウィリスは元気そうなレイリアを目にして安心した。
「失礼致します」
と一言断りを入れてから部屋へ入ったウィリスを、レイリアがソファへと案内した。
「どうぞお座りになって」
にこやかな笑顔で令嬢然と振る舞うその姿は、レイリアの事を良く知らない人達からすれば、充分侯爵令嬢らしく見えるだろう。
だが実情を知るウィリスからすれば、レイリアのその振る舞いは、気を抜けば吹き出してしまいそうだった。
澄まし顔のウィリスと、わざとらしい穏やかな笑みを浮かべるレイリアが座ったところで、レイリアが扉脇に控えるメルベス夫人に声を掛けた。
「メルベス夫人、下がって結構よ」
「畏まりました。では、失礼致します」
一礼したメルベス夫人が部屋を出るのを確認したレイリアが、
「はぁ〜っ」
と大きく息を吐くと、肩の力を抜いた。
それを見たウィリスが、とうとう我慢出来なくなり、
「くくくっ」
と小さく笑い出した。
「仕方が無いでしょ?メルベス夫人の前で気を抜いたら、全部お祖母様に報告されるんだから」
小さなテーブルを挟んだ向かい側で、不貞腐れ気味に口を尖らすレイリアは、ウィリスの良く知るレイリアで、ウィリスは淑やかではあるが他人行儀な令嬢仕様のレイリアよりも、元気で明るく、そして、気の置けないレイリアの方がずっと良いと思った。
「ねぇ、レイリア」
「何?」
レイリアが、まだ少し不機嫌な声を上げながらも、首を僅かに傾げてウィリスを見てくる。
そんな様子も可愛いなと思いながら、ウィリスは腰を浮かせると、テーブルに左手を置き、右手をレイリアの顔へと伸ばした。




