第百二話 魔法だから出来ること5
それから暫くはウィリスへともたらされる報告に何の変化もなく、ただ時間だけが過ぎていった。
そして、ガラス窓が音を立てるくらいの風が強く吹き出した頃、ようやく良い知らせが一つ舞い込んだ。
「風向きが変わったようでして、カイ様のいらっしゃる山の東側は消火作業が捗り始めたそうです」
「レイラ様のいらっしゃる南側は?」
「未だ風が強いようですが、徐々に火が収まっているようです」
「東側の火が消えたら、カイには南側のレイラ様の補助へ回ってもらった方が良いだろうか?」
報告を受けたウィリスが、向いに座っている家令のノーマンへと尋ねた。
家令であるノーマンの仕事はグレナ伯爵領の管理だ。
つまり、ノーマンが実質的なグレナ伯爵領の運営者であるため、領内における諸事はウィリスよりノーマンの方が詳しい。
そうした事から、ウィリスはノーマンに自身の判断の適否を衡らせた。
「それが宜しいかと」
ノーマンの言葉を受け、ウィリスは家臣の一人へと命を下した。
「分かった。ではゼピス令息に伝令を。パゼル山東側の消火作業が終わり次第、南側の消化作業の援護に回られたし、と」
「畏まりました」
一礼して部屋を出て行く家臣を見送ったウィリスは、椅子にもたれかかると大きく息を吐いた。
そこへ横から手が伸びてきて、ウィリスとノーマンの前のテーブルの上に、カップが一つずつ置かれた。
「宜しかったら、どうぞ」
聞き慣れた明るい少女の声と共に置かれたカップの中身は、透明感が全く無い濃茶色の飲み物だ。
(レイリアがコーヒーを淹れてくれるなんて珍しいな)
ウィリスはそう思いながら
「ありがとう」
と声を掛けてカップを口元へ運べば、コーヒーとは香りが違う。更に口に含めば、その味も違う。
「ココア?」
「そう。エイミーが疲れた時に良く出してくれるでしょ」
「うん」
「ウィルもノーマンさんも疲れていると思って。だから紅茶じゃなくてココアにしたの」
「そっか。ありがとう」
掛けてくれるその小さな気遣いが嬉しくて、ウィリスがもう一度礼を述べると、レイリアは申し訳なさそうな顔を見せた。
「私はここに居るだけで何も手伝えないから、これくらいはしないと」
そう言ったレイリアが、ウィリスのそばから離れようとした時だった。
「大変です!」
一人の村人が部屋の中へと転げるように飛び込んできた。
「山の西側でも火の手が上がったとの連絡が!」
村人の言葉にノーマンが苦虫を潰したような顔になった。
「風向が変わったせいで西側へと燃え移ったか」
この事態に部屋にいた人々がウィリスとノーマンを取り囲み声を上げ始めた。
「伯爵、至急残りの人員を消化作業に向かわせましょう」
「馬鹿なことを言うな!通常の火災ならまだしも、山火事だぞ!どこへ燃え移るかもわからない森へ魔術士無しで向かわせるのは危険過ぎる」
「では、何もせずにいろというのか?」
「レイラ様とゼピスの若君に付かせた魔術士を呼び戻すのは?」
「戻ってくるのにどれだけの時間がかかると思っているんだ!」
「では取り敢えずは周辺の木を切って延焼を防ぐというのは?」
「今から村人を森へ向かわせて木を切ったところで、どれだけの効果があるか…」
「ではやはり、魔術士を戻すしか…」
甲論乙駁する人々と、その中心で難しい顔をして考えあぐねるウィリスを前にして、レイリアの心がさざ波立つ。
(魔術士がいないからってこのままにしていたら森が燃えちゃう。でもお祖母様も、兄様も、ハーウェイ家の魔術士もいないし…)
燃え始めたのは山の西側、つまりビシェ村から一番近い森だ。
林業を主産業の一つとしているビシェ村の人々にとり、近場の森が失われるのは大きな痛手となるだろう。
それくらいレイリアでも簡単に推測出来た。
だからこそレイリアは思った。
(今ここで魔法が使えるのは、もう私しか居ない。私が行かないと森も、村の人も守れない。だから今だけ…。今だけ魔術士にならないと!)
レイリアはそう決心すると、部屋の人々へと向かって叫んだ。
「待って!」
部屋に響いた少女の声に、一同の視線が集まる。
「魔術士ならここにいるわ!」
レイラから役立たずとまで言われたレイリアの発言に驚いたのか、部屋の中が奇妙な沈黙に覆われた。




