1:訓練生 上総月京子
「帝国海軍特務科少尉、上総月京子外伝 バンニップ狩り」
帝都日報より抜粋。
『さる未明、遠路、オーストラリア大陸より帰還せし民間探検隊の船舶より、かの大陸で違法に捕獲された原始猛獣が牢を破り、複数の船員を殺傷せしめて逃走せり。
港湾保安局、および帝都警邏隊の大規模捜索にもかかわらず、原始猛獣はいまだ発見に至らず。
かの獣は、現地にて『バンニップ』と呼称され恐れられる、水陸両棲の、凶猛凶悪なる大型肉食獣なり』
1:訓練生、上総月京子
「次!! 上総月訓練生、第二射座で射撃用意!!」
「はいッ!!」
教官の指示に、良く通る声で唱和した少女は、一列応対で待機している訓練生たちの列から出て前に進み、卓上に置かれていた拳銃を手に取った。
帝国海軍正式拳銃である、六連発の輪胴式ピストルである。
海水による錆びつきに耐えるように、クローム成分を多く含んだ防錆鋼を使用しており、軍内部では、銀色の地金が剥き出しになったその見かけから、「銀銃」と呼ばれている。
その呼称通り、艶を抑えた鈍い銀色をした拳銃を手に取った少女は、傍らに置かれたボール紙製の弾箱から、9ミリ口径の拳銃弾を摘まみ出し、レンコン型をした弾倉に手際よく装填してゆく。
やや俯き加減で、弾薬を装填する少女の顔立ちは、人形のように怜悧に整っていた。
髪型は、全女性訓練生共通の、耳元辺りで奇麗に刈り揃えられた、いわゆる「おかっぱ頭」だが、画一的なそんな髪型さえもよく似合っている。
冷たい光を宿した目つきは少し鋭く、見るからに気の強そうな顔立ちではあるが、端正に整った美貌の持ち主だ。
彼女の名は上総月京子、陸海空軍が合同で立ち上げた、特殊諜報員訓練学校、『特務科養成所』の女子部訓練生である。
京子は、彼女の後方で、直立不動で待機している十数人の少女たちと比べると、二、三才程若く見えた。
いや、この場合、京子が幼く見える、と表現した方が適切であろう。
実際、彼女は、同期の訓練生より年下で、異例の飛び級入学を果たした生徒なのだ。
「……装填、完了いたしました!!」
六発の実弾を装填した少女は教官に申告しつつ、カチリ、と音を立てて弾倉を閉じ、左右のぐらつきがないのを確認すると、防音用の耳当てを装着して、次の指示を待つ。
銃声から鼓膜を守るための防音耳当てをすると、周囲の声も聞こえなくなるため、射手への指示は、手旗信号で出される仕組みになっている。
標的までの距離は二十五メートル。
拳銃としては、比較的遠距離にあたるが、実戦において、突進してくる敵兵を確実に仕留めるためには、この距離で命中させる必要があるのだ。
「狙え!!」
教官の声と同時に、射手である少女……上総月京子訓練生に、手旗信号で指示が伝えられる。
それを確認した京子は、スッ、と手を伸ばし、半身立ち、片手撃ちの体勢で構えた銀色の拳銃の狙いを、標的に定めた。
射場をわずかに吹き抜けてゆく風が、眉の上あたりで切りそろえられた京子の前髪をかすかに揺らし、鋭いまなざしに陽光が反射して、磨き抜かれたダイヤモンドのように煌めく。
「撃て!!」
視界の隅で、手旗信号を確認した少女は、狙いを定めて引き金を絞り込んだ。
パァァァァ~ンッ!!
開放的な銃声が、射場の空気を貫くと同時に、銃口からわずかに赤茶けた白煙が吹き出し、一刹那遅れて、反動で拳銃が跳ね上がる。
まだ生育途上である細身な肢体がわずかに揺らぎ、拳銃を保持した細腕が、グンッ!! と三十度ほど斜め上を向いた。
「的中!! 黒円、中央より六時寄り!!」
観測員からの報告は、手旗信号で伝えられる。
なお、手旗信号を担当しているのも、京子と同じ、帝国軍の訓練生であった。
「射撃、続行せよ!!」
手旗信号の指示に従い、帝国軍特務科訓練生、上総月京子は、跳ね上がった拳銃の狙いを標的に向け直し、弾倉内の残弾五発を、全弾黒円内に撃ち込んだ。
実弾訓練の後の授業は、座学であった。
一般的な学校の教卓よりも大型の教卓上には、太い鉄パイプの側面に、雑に銃握を取り付けただけのような形状の火砲が鎮座している。
長さは一メートル半ほど、砲身の直径は十数センチの、ずんぐりした砲で、砲尾には、漏斗を四本束ねたような形状のパーツが突き出していた。
その武器の前には、長さ五十センチほどありそうな、数種類の模擬砲弾が置かれている。
「この兵器は、軽量にして絶大な支援火力を誇る新兵器、『濱田式無反動砲』である!!」
教官は、黒板に吊るした内部構造の図面を、長い指示棒で指し示しながら講義を続ける。
「これは、口径の大きな各種砲弾を使用できる、極めて多用途な火砲でありながら、軽量にして簡素、堅牢であり、歩兵部隊と行動を共にできる頼もしい武器である! ……ただし、射撃時には絶対の注意を払わねばならぬことがある、それは何か?」
見事な口ひげを蓄えた教官は、そこで言葉を切ると、鋭い目つきで訓練生の女子生徒たちを見回す。
「……上総月訓練生、答えよ!!」
長い指示棒が、ヒュンッ!! と風を切る音を立てて京子に向けられた。
「はいッ! 最も注意せねばならぬのは、発射時に生じる後方爆風であります!!」
即座に起立し、良く通る声で完結明瞭に答える京子。
「それはいかなるものか、引き続き説明せよ!!」
「はいッ! 無反動砲は、発砲時に発生する高温、高圧の発射煙を、砲尾より逃がすことによって、砲弾の発射反動を相殺しております。よって、砲の後方にも極めて危険な領域が発生いたしますので、発砲時には後方の確認が重要となります」
京子の歯切れのいい返答に、教官は満足げな表情を浮かべて頷く。
「正解である!! 無反動砲は、空てい部隊にも強力な火力をもたらす画期的武器ではあるが、発射前の後方確認を怠れば、味方にも被害をもたらすことがあると熟知せよ!!」
指示棒で、壁に吊った無反動砲の図面をバンバンと叩きつつ、教官は後方の危険域についての説明を始めた。
「……おい、上総月訓練生、この後暇なら、いつもの洋食屋で、食事に付き合え!」
終礼が終わると同時に、クラスメイトの真田彩音が声をかけてきた。
彼女は、言うまでも無く、京子より年上で、飛び級で入学した年下の京子に対して、妙にお姉さんぶって色々話しかけてくるのだ。
最初は鬱陶しがって無視したり拒絶したりしていた京子であったが、それでもなおしつこく話しかけてくる彩音に根負けして、今ではそれなりの付き合いをしている。
真田彩音は美形ではあったが、逆八の字でやや太めの怒り型をした眉と、常にまとっているピリピリした雰囲気のせいで、いつも怒っているような第一印象を、見る者に与えてしまう。
実際、短気な性格で、激昂すると関西方面の荒々しい口調で怒鳴るくせがあるため、一部の生徒たちからは敬遠されているようだ。
そんな彩音であったが、京子とは妙に気が合うところがあって、時折、こうして放課後の食事に誘いに来る。
「暇とは言い難いが、時間は取れる。だが、少し、図書室で調べものをしたい。そのあとでいいなら付き合うが?」
帰り支度しながら、気のない感じで応える京子。
「調べものだと? 相変わらず、勉強熱心なことだな。いいだろう、アタシも付き合ってやる。判らないことがあったら、家庭教師代わりを務めてやっても構わないぞ」
生意気な京子の口調に慣れてきている様子の彩音は、京子を見下ろしながら、高飛車な口調で告げる。
「家庭教師の件は固く遠慮しておこう……私に判らぬことが、真田に判るとは思えないからな……」
「いつもいつも、一言多いぞ! お前!!」
ムッ! とした表情になる彩音であったが、本気で怒っている様子はない。
この、小生意気な飛び級訓練生との、一触即発状態の掛け合いを、自制心の鍛錬と捉えてでもいるのか、彼女なりに楽しんでいるようでもあった。
「……で、何を調べるのだ?」
図書室にやって来た京子に、彩音は声を潜めて問いかける。
「無反動砲の後方爆風を浴びた場合の、負傷実態を知りたくって、な……」
医学書が収められた本棚の間を歩きながら、京子は答える。
軍の訓練学校であるこの施設に付随する図書室だけあって、戦傷に関する外科的な資料書は、下手な図書館や医科大学よりも充実している。
やがて、目当ての本を探し出した京子は、閲覧室の机の上で本を広げ、該当するページを読みふけり始めた。
「どれどれ……ゲッ!!」
横から本のページを覗き込んだ彩音は、そこに記載された生々しい医学初見図面や、モノクロとはいえ、実際の負傷部位を写した生々しい画像を目にして顔を引きつらせてしまう。
「……ふむ……火傷以上に、爆風の直撃による裂傷と、高圧ガスによる体組織の圧迫損壊が激しいようだな……まるで、巨大な鉄槌で叩き潰されたかのような有様だ……」
ある意味、おぞましいともいえる画像の数々を見つめながら、京子は淡々と告げた。
「……要するにだ、お前はデリカシーというものが決定的に欠けておるのだ!!」
テーブルについた彩音は、正面に座る京子に説教している。
「ほほぉ、その、デリカシーというのは、美味いのか? この店のメニューにあるようならば、今度注文してみよう」
「だ~か~らぁ~!! そういう、知っているくせに、白々しくとぼけて見せるところが、可愛げが無いというのだ!!」
無表情な上に、しれっとした口調でとぼける京子に、彩音はちょっと切れ気味で食って掛かる。
ここは、訓練学校にほど近い繁華街にある洋食堂だ。
海外航路の客船で司厨長(料理長)を勤めていた店主が作る、廉価でありながらも本格的で美味な洋食が人気の店であった。
二人の前に置かれた料理の皿は、クリームコロッケを主催とした洋定食であった。
添えられた温野菜の茹で加減も、スープの味も絶品だ。
「アタシは食事に誘ってやったというのに、よりによって、あんなに食欲を削ぐような画像を見せつけよって!」
「別に、私が見せつけたわけではあるまい? 真田が勝手に横から覗いて、勝手に気分が悪くなっただけだろう?」
淡々とした口調で言いながら、京子は、ほんの数十分前、凄惨な画像や医療記録を見たばかりとは思えぬ旺盛な食欲で、料理を平らげてゆく。
「ああ言えばこう言う……。まあいい。料理が美味かったから、私の気分も少しは良くなった」
気分を害したとか言いつつも、彩音の方も、なかなかの健啖っぷりで料理を口に運んでいる。
まだ訓練生ではあるが、彼女も軍の特務科員を目指す者だけあって、肝の座りっぷりは一般人の比ではないのだ。
「……で、実は折り入って相談があるのだがな?」
食事も終盤に差し掛かった所で、彩音が少し声を潜めて話を切り出した。
「何だ? 試験の不正には手を貸さないぞ?」
デザートに出てきた蒸しプリンをスプーンですくって口に運びながら、京子はつれない口調で言い放つ。
「そういうのではない。実はな……」
彩音が話し始めたのは、数日前、民間探検隊の船から逃げ出した、古代猛獣の件であった。
「アタシの父親が、帝都警邏部の総監なのは、お前も知っているだろう?」
「ああ、娘のお前からは想像もできぬほど、人格高潔で立派なお方だと聞きおよんでいる」
最後のプリンのひとかけらを口に運びつつ、サラッと辛辣なことをつぶやく京子。
「憎まれ口叩かなきゃ話が進められぬ病気なのか、お前は!?」
流石に聞き捨てならなかった彩音は、立ち上がって声を荒げる。
「候補生とはいえ、軍人ともあろうものが公共の場所で激するものではないぞ……」
哀れみさえ感じさせる視線を、年上の同級生に投げかけながら、京子はティーカップを優雅に口元に運んでいる。
「くううう~!!! ……まあいい、ここからは茶々入れ無しで話を聞いて欲しい。父のメンツにも関わる話なのだ」
怒りの感情をグッ!! と噛み殺し、どうにか憤りを収めた彩音は、着席すると真面目な表情で話を進めた。