自ら泥沼に。
ハンドルにもたれるようにしてTの屋敷を見上げていた。いつ見ても大きな屋敷だ。
この大きな屋敷の中で奥様として生活しているのか?
そんな女を俺は受け止められるのだろうか。
でも、会いたい。もう一度この胸に抱きたい。
そんなことを考えていたら、突然携帯が鳴った。
そんなところにいてはダメよ。
誰が見てるか分からないから…。
お願いやめて。
懐かしいTの声。もう忘れかけていた。
会いたい。お願いだから会って欲しい。
会ってくれるまでここから動かない。
しばしの沈黙の後、
わかったわ。1時間後にあなたの部屋で会いましょう。
それだけ言うと一方的に電話を斬られた。
1時間後、俺のマンションに現れたあなたは、俺の記憶にあるどれよりも艶やかで美しかった。
俺は思わずその華奢な肩を抱きしめていた。
俺の腕の中、いつものように甘いささやき声が聞こえてきた。
私は毎日あなたのCDを聴き、DVDを見ていたわ。
こんな素晴らしい人が私のことを愛してくれた。
誇らしい気持ちになるのと同時に悲しみが押し寄せてきたわ。
なぜあなたの手を離してしまったのかしら。
いくら悔やんでも悔やみきれなかった。
もう一度会えたら、もう一度最初から出会えたら、もっと早く出会っていたら。
私、この先どうなるかわからないけど、あなたと一緒にいたいの。
そうだ、先の事など誰にもわからない。
でも、俺はもうこの手を離さない、絶対に。
泣き疲れてグッタリとしたあなたの肩を抱き、ソファーに座り2人で新しいCD 3枚を聞いた。
いつの間にかあなたは再び泣いていた。
これは私たちの事?
心を揺さぶられる歌だわ。
あなたの怒り、悲しみ、優しさ、愛情、全てが感じられるわ。
私はあなたからこんなに愛されてるの?
私にそんな価値はあるの?
俺は返事の代わりにあなたの肩を抱く腕に力を込めた。
あなたは、泣いて泣いて、体中の全ての水分がなくなってしまうように泣いていた。
俺たちは再びスタート地点に立った。
この先何があろうと俺はこの手を離さない。
あなたにもそれだけの覚悟があるかどうか…。
俺が支えていなきゃ立ってもいられないほど、華奢で儚いT。
これから様々なことがあるだろう。
誹謗中傷、嫌がらせ、面白おかしくささやかれる噂、もしかしたら危害を加えてくる奴もいるかもしれない。そんな困難に立ち向かえるのだろうか。
あなたは、この先どうなるか分からないけど一緒にいたいと言った。
俺が手を取り、励まし、支えていけば…。
俺はこの手を離すつもりはないし、俺だけのものにしたい。これがどんなに自分勝手な思いであろうと。
俺は自ら泥沼に飛び込んだ。