今までありがとう?
一抹の不安があったが、俺は待っててくれると信じていた。
ドア開けた俺の目に飛び込んできたのは、きれいに揃えられた華奢なハイヒール。
T、T!
俺の怒鳴り声にくすりと微笑んだあなた。
しかしその笑顔はすぐに泣き顔に変わった。
どうして連絡してくれなかったの?
私はもう捨てられたと思ったわ。
俺にも考える時間が欲しかったんだ。
でも、あなたと会わずにいて、どれだけ大事な存在かがわかった。
お願いだ旦那と別れてくれ。そして俺と一緒になってくれ。
私はそんなこと望んでないわ。
あなたのお荷物にだけはなりたくない。
こんな状態のまま、あなたと一緒にいるわけにはいかないわ。こんなあやふやな関係であなたを縛ることができない。離婚なんてそう簡単にはいかないのよ。
俺はいつまでも待つよ。あなたが自由の身になるまで。
だから、旦那と別れて欲しい。
今日でお別れにしようと思ったの。
でも、あなたの顔を見ると決心が鈍るわ。
私の大好きなあなた、そんなふうに泣かないで。
今まで楽しかった。あなたとの思い出があれば、これから先の長い人生生きていけるわ。
だから、さようなら。
今までありがとう。
そう言ってあなたは、風のように去っていった。
あまりの展開の早さに俺がついていけなかった。
呆然としていた。
一瞬のうちに天国と地獄を味わって俺は、しばらく身動きひとつしなかった。
信じられなかった。
しばらく、なぜなんだと自分に問いかけていた。
気づけば、どれぐらい時間が経っただろう。
なぜ、俺はすぐ追いかけなかったんだろう。
ふとリビングのテーブルを見ると、あなたに持たせていた携帯とこの部屋の鍵が置いてある。
携帯の中身は全て消去されている。本当にこれが最後なのか。2人をつないでいたものを全て置いて出て行ったんだ。本気なんだなぁ。
クローゼットを除けば、俺が買い与えたものが全て置き去りにされている。そこからはまだあなたのカシスの香りが漂っている。俺はあなたが好きだったワンピースを握り締め泣いていた。
それからの俺はどうやって生きていたのか?
たかが女1人。それなのにどうして?
こんなに苦しいのか。今までの恋愛とどこが違う。
いや、今までのは恋愛とは呼べなかった。
こんなに真剣に1人の女を愛したのは初めてだ。
仕事には行った。今の俺に残されているのは歌だけ。
どうしていいかわからず、もてあました心を歌にぶつけた。この悲しみを、この喪失感を、歌にすることであなたを失った悲しみを癒そうとしたが、そうはいかなかった。
悲しみを癒すことはできなかったが、結局俺の手には新曲3枚が残った。
出会った喜び、別れた悲しみ、そして再生の道を新曲3曲に込めた。メンバーには絶賛されたが、この悲しみが癒えるわけがなかった。
もう一度この手に取り戻したい。
レコーディングも終わった。PVも撮影した。
しばしの休息をもらった俺は、車をあなたの屋敷の近くまで走らせた。
そして、あなたの屋敷が見えるところに車を止め、あなたが出てくるのを待った。
出てくるまでいつまでも待つつもりだった。